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相棒がいると世界は違う

まえがき

noteは初見です。
雑多な物事をぶちまけるときに、 Twitterとかべれすき(Misskeyという分散SNSの一部分)とかDiscordとかにいちいち貼るのメンドいんですよね。
ということでnoteの出番というわけです。いくらでも書けるし。


導入

さて、タイトル「相棒がいると世界は違う」ですが、この見出し画像に「?」というリアクションをした方が大多数だと思います。
なんでこんなものを貼っているかというと、これEscape from Tarkovというゲームで二人パーティを組んで凸ったらなんかいい感じにキルが取れてしまった、ということの自慢です。

いろんな物事に挑戦するにあたって、親しい友人や先生といった人物の助けがあるとめちゃくちゃやりやすいですよね。アレをより一般的に解釈できるんじゃないかなー、という気づきの放流になります。

何もEscape from Tarkovだけではなくて、War ThunderとかWargame: Red DragonとかValorantとかSky 星を紡ぐ子どもたち でも同じ現象は多発していました。
誰かに誘われてゲームを始めることが多いクチなんですが、自然と相性のいいバディ、相棒、そういった人を見つけた瞬間に能力やモチベが跳ね上がる、という現象です。

付け足してしまえば、僕はMagic: the Gatheringというカードゲームでのティミー、ジョニー、スパイクという区分において、楽しい体験を求める「ティミー」のうち、親しい友人と一緒に遊びたい「ソーシャル・ゲーマー」に該当する、という議論を友達と交わしたことがあったわけですが、それの裏付けにもなります。

僕は競技シーンというものがあまり好きではないんですが、真面目に取り組むのが好きなタイプなので(それこそティミー、ジョニー、スパイクのうち挑戦を求める「スパイク」的資質もあるわけで)、相性のいいプレイヤーを見つけてその人と組むとうまくハマるという現象が起きているという感じ。


難しく考えてみる

より一般的に考えると、例えばチームワークによって生産性が向上する条件として「リーダーによる作業指導」「グループの雰囲気」「人間関係」という結果が示されています。
適当にgoogle scholarをポチっただけですが。
リーダーの存在はIGL(In-Game Leader)という概念がeSportsでよく用いられるように重要で、雰囲気や人間関係といった面倒な概念を制御する必要があることを加味しても十分好意的な影響が得られるわけです。
そもそも対戦ゲームは飛び交う情報量の中から最適な選択肢を選んでそれを直ちに実行するスキルが要求されるという結構ハードな知的労働が伴うので、誰か情報処理を手伝う人物がいた方が楽なのは自明かも。

でも我々はゲームをもっと「カジュアルに」遊びますよね。競技シーンは一般的ではないものだけど、じゃあどうして僕は「複数人で」行動すると冒頭のような戦果を叩き出せるんでしょうか。
もちろん僕は単独行動するとチキってなんもできなくなってショボ死しますよ。ここまで書いてなかったですけど。


単独行動は思考リソースを食う

再びgoogleで「単独行動と集団行動」についてポチポチしてみましょう。

一般的に言って、集団での行動の際には、自らがリーダーとならない限りは行動に必要な意思決定を他者に委ねることが可能であるため、単独行動に比べれば個人として意思決定を行う機会は減少すると思われる。
それゆえ、単独行動を躊躇する人々は、単独行動を好む(あるいは躊躇しない)人々に比べて、様々な問題に対する思考力に乏しい可能性があるのではないかと考えた。
(中略)
その結果、本研究の予想に一致して、単独行動への躊躇が強いほど、社会問題についての思考力が低いことが明らかになった。

PC-149 単独行動への躊躇と社会的問題につ いての思考力の関係

わあ、チクチク言葉。
まあ好意的に解釈しましょう。単独行動というのは「行動に必要な意思決定を他者に委ねることが可能」ではない作業なわけで、脳に負荷をかけると。
単独行動は脳のリソースを食うわけですね。例えばEscape from Tarkovなら「ここへ行く」「この射線を注意する」「敵がいたらこうする」とかを全部ひとりで処理しなきゃいけないけど、適切に連携すればそのリソースを複数人で分担できる。
BFみたいなお祭りゲーが流行る一端もそこにあると思うんですよね。目の前の物事に集中できるというカジュアルさ。
僕の事例に落とし込んで考えれば、その思考リソースの食い方の一部を味方にぶん投げる(それこそ位置取りを決めさせたりとかする)ことで戦闘への集中力を高めている、とでも言えそうですよね。知らんけど。
何より考えることが多すぎると人間は緊張しちゃうものなので。僕がそうなだけかもしれないけど。


集団行動と個人間連携の中間で

さて、集団行動にある程度好意的な見方を提供したところで、今度は集団行動自体に注目してみましょう。

否定的な情意的行動は、明らかに形成的授業評価との間にマイナスの相関 を示した。具体的には、個人的な否定的行動と形成的授業評価の成果次元 (新しい発見)や学び方次元、協力次元との間に有意な負の関係が見られた。

体育授業における集団的・情意的行動観察法の開発

ネガティブな発言をしない!これ、大事なことです。競技シーンでは頻発しますが、「カジュアルな」シーンではあまり発生しませんよね。「あーあ、死んじゃった。まあいっか」みたいなノリで済ませられる。
これはどうやら一般にどんなシーンであれ正しいことであるように見えてくる。

具体的に見ると、肯定的な人間関係は、形成的授業評価の成果次元、学び方次元、協力次元との間に有意な相関が認められ、学習成果に肯定的な影響を与えている。しかしながら、意欲・関心次元との間では有意な相関が見られ なかった。

体育授業における集団的・情意的行動観察法の開発

"同調"と"自主"は、"コミュニケーション能力"から負の影響を受けることが示されている。

大学生のチームワーク能力を向上させるトレーニングの有効性

さらに適当にポチポチして流し読みすると、どうやら「喋りすぎ」もよくないことがわかってきます。
これが最初の方で述べた「相棒がいるといい」の正体ですね。相手との距離感がわかっていて、かつその相手とのコミュニケーションに専念して調整することで、最大の効果と成果を容易に発揮することができる、というロジックっぽい。
集団過ぎる場合には相手の距離感や相手に関する情報の処理で脳が食われるわけですが、相手が一人である場合には余裕をもって立ち回れる(脳の思考をある程度パターン化して外注することができる)という具合でしょう。

僕がそうであったというだけで、誰も彼もにそう言えるわけではないですが、まあ信頼関係が「おいしい」というやつの理屈もちょっとばかり解剖できてそうな感じがする。
なんかチームで作業するとかペア探せとか言われた時に役立ったらいいな、という感じ。


おわりに

というわけで思考の放流でした。noteはこういうのが多いと思います。雑多な思考をまとめるのに案外便利なことがわかったので、今後もしばしば使っていくかも。
特にアークナイツですね。ライン生命に狂い、哲学好きなゆえに書けるネタは山ほど積み上げられているので。

読んでくれた人には感謝を。駄文でした。

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