その日はいつかくる

先日、数年間一緒に仕事していたデザイナーの方の訃報を受けた。病弱で働いてた時も入院を繰り返していた。数年連絡をとってなかった。

正直あまりショックがない。お疲れ様、と言いたい。

人はいつか死ぬ

ってことをわかってない人が結構いる。いや、知識としてはわかってるんだけど感覚としてわかってない人。

誰かが亡くなってショックを受けるのもよくわからない。正直みんなわかってないと思う。人が死んで悲しいのはその人を自分の人生の糧にできないからだとしか考えられない。一緒にいて楽しい、仕事して有能、生きているだけで絆を感じる、そういうある種のエンタメとして人間が非常に優秀だからショックというわけで命に共鳴しているわけではない。

もし命が大切だと心から思っているなら毎年自殺していく数万人の人間を放っておけないと思う。その事実を知っただけで気が狂ってしまう。しかし実際にはそんな人は愚か、毎年の自殺者数を知っている人さえほとんどいない。自殺のニュースを聞いて「ああ、悲しい出来事だな」と一瞬思って自分の生活に戻るのは、命が大切だと思ってない証拠だ。

格差が広がり、生きていくことが難しい層が定常的に存在する現代では命に対する発想の転換が求められていると思う。「命は大切」という前提を崩してはいけないと言うタブーに切り込む必要がある。遅すぎるくらいだと思う。誰かが自殺しても悲しまない、自殺を止めない、どの時点で人生を終わらせるかの決断に他人が一喜一憂して感情的に介入することのない世界が求められている。

自殺しても命の長さはせいぜい数十年の誤差だ。もちろん人が死ぬことは大きな問題だけどその日はいつかくる。意識が途絶えて、その人の記憶や考えていることや肉体の温もりが永遠に消え去ってしまい、棺に入れて肉体を焼却するしかない日。いまは遠い日のように考えていても、たった数十年の間にその日はいつかくる。

普通に生活していて明日死ぬかもしれないと思うことはない。その次の日も、その次の日も。近い未来に自分の死を想定することはない。それは他人も同じで、いつの間にかその他人も生きていてくれるだろうと思っている。そのうちに自分も他人も生きている今日みたいな日が永遠に続くと錯覚してしまう。でもその日はいつかくる。しかも数十年の間に。

🐈❤️