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社会がうまく回らないのはうまく回そうとしている人が一部だから

地方創生のプロジェクトを見ていると大体住民の反対で失敗する。根本には経済発展が良いことだと本気では思ってない人々がいる問題がある。いや、問題というより目的が違うのだからすれ違いかな。この錯誤は社会問題や組織の問題解決の見えない変数として大きく首をもたげていると思う。

Googleがトロントの片隅にスマートシティを作ろうとして失敗した。センサーが埋め込まれていて最新技術が都市規模で使える夢の街だ。これもトロント住民の反対でおじゃんになった。

Googleとトロント住民の間には大きな思想の違いがある。問題はその思想の違いが言葉にできないほど一般常識とかけ離れていることだ。

例えば地方創生を考える人の中には以下のような前提がある

・(土地の良さを失わずに)経済発展するのは良いことだ

・将来の不安が消えて人が長く生きれるのは良いことだ

・土地が豊かになって人が若い人が増えることは良いことだ

・生きることは死ぬより良いことだ

おそらく地方創生をするべく地方に行ってアンケートでも取れば上のような常識的な言葉が返ってくるだろう。しかし本当にそう思っているだろうか。私たちは本当に自分が欲しいものを理解しているだろうか。行動が伴っているだろうか。

こんな考えはありえないだろうか

・経済発展より潔く廃村を目指すべき。そっちの方が楽だから。

・将来の不安があると生きている感覚があって楽しい。早く死にたい。

・お金は落として欲しいが若い人に来て欲しいとは思わない。なぜなら自分より強いから。

・がんばらないと生きられないなら死んだ方がマシ

こうした考えを持っている人の目的は経済発展や輝かしい未来ではなく、なるべくエネルギーを消費せずにダラダラ生きて美味しいものを食べて早めに死ぬことだ。

地方創生以外にもジェンダーや就労問題の各所にこうした建前と本音のすれ違いがあると思う。誰も言わない本音があって、議論の最中は話があってるのに話を合わせているだけだから行動が伴わない。つまるところ、目的が違うのだから協調できない。

ネットカフェ難民。テレビではこれを問題としているが本人たちが本気で問題だと思ってれば脱出するはずだ。そもそもの目的がお金を稼いで経済的に安定する、というステレオタイプの目的とはまったくかけ離れている。そのことにテレビ番組も大学で議論をする人々もあまり気づいていない。そんな人たちに救いの手を差し伸べるのはむしろお節介だ。

こうした目的の多様性は私自身Twitterがなかったら気づかなかったと思う。個人の目的には、なにげなく想像していたよりずっと多様性がある。TwitterやGoogleがツールとして優れているのはこうした目的を包摂できる、つまりユーザーがどんな思想を持っていても使えるからだ。

私たちが数百年前からぼんやりと想像していた他人の集合体が、インターネットが発展したことにより徐々にそのすがたを現し始めたというのが現代だと思う。社会問題の議論はまだステレオタイプな社会像を前提としているが徐々にインターネットによって発見された真の社会像に置き換わっていくとおもう。そのときはじめて今まで失敗してきた社会的施策の根本原因がわかる。

協調しようとし合っていた人々は、実は生きる目的が違うのだった。

🐈❤️