いい人仮面があなたを苦しめる
よく言うじゃないですか。
「あの人は悪い人じゃないんだよね。それは間違いない」
だとか
「いい人はいい人なんだけどね…」
とか、
「ホント、いい人」
「ここって、いい人しかいないよね」
「いい人」って何だろう?
「いい人」って便利な言葉だよねぇ…って思ったんです。
悪口を言ったり、批判をしたりしても、最後に「でも根はいい人だよね」と付け加えておけば、言った側が「悪口を言った人」であるという悪者にならなくてすむように保険をかける言葉だなって気がしています。
だとすればどうでしょう。
「いい人」って言われたらうれしいですか?
それでも人は、「いい人」であろうと努力してる気がするんです。
まさに嫌われないために…
いい人って、「みんなに優しい」とか「頼みごとを断らない」とか、そんなイメージじゃないですか?
これも僕は完全なる「イメージ論」というか、一般的な最大公約数的なイメージだと思うんです。
ですが、それ縛られて「いい人」であろうとしすぎてる人が多い気がしています。
いや、僕自身もそうです。
例えば、誰か友人に誘われた。
ホントは疲れていたし、めんどくさいし、行きたくなかったしけれど、断ると失礼かもしれないし、相手が気を悪くするかもしれないので、無理して誘いに乗ったとします。しかし、それね、無理してとった行動であると、いつしか「してやっている」という感覚になってくるんですよ。
すると、それがどんどん苦しくなってきて、「こんなにやってあげているのに」「なんで私のことを理解してくれないの?」って感情が襲ってきて、その相手のことが嫌いになってしまったりします。
つまり「いい人」であろうとするあまり、結果的にどんどん自分を苦しめることになっているんです。
これって、誰が得してますか?
誰もプラスになっていないんです。
たまにボランティア活動や介護活動に参加しながら、不平不満、文句言ってる人がいます。
私はこの人たちのために自分を犠牲にしてやってあげているのよ!
なのにどうしてこうなの?
医療従事者はどうでしょう?
私は患者さんのために必死に働いてるのよ!
だのになんでクレーム言われないといけないの?
なんで給料が安いの?
私たちは、みんなに認められたいんだよね。
自分の居場所がほしいんだよね。
だから無理して「いい人」になろう演じる。
でも実は「いい人」って大した意味で使われてないんだよ。
悪口言うときの隠れ蓑でしかない方便なんだよ。
だれもホントに人のことを「いい人」なんて曖昧な言葉で評価していない。
だったら、「いい人でいなければ」という思いに支配されて、自分が苦しくなるのは不健康じゃないですか?
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