「人材に投資することの重要性をわかっていない」と叫ぶ愚かさ

人材に投資されないのは、その投資を金銭的に回収できる人達がいないから。人材に投資してくれないと嘆く分野の人達は、金を稼ぐことだけに長けている人達に敬意を払わない傾向がある。自分を卑下してる人達に投資をしようとする人は少ない。
アメリカにおいては、苦労が報われて大成するアメリカン・ドリームのヒーローもいるが、結果的に労せずして収益を得る人もヒーローだ。自分が尊敬しているヒーローから高く評価してもらえることを報償ととらえ、さらにそのヒーローを尊敬するという正帰還を構成する。その評価の程度は給与額として可視化される。報奨は高評価であって高給ではない。
投資する者から投資される者への単方向の関係性でしか考えない分野(昭和の人はこれをクレクレタコラと言う。)では、その投資は正帰還を生まない。両者が互いに敬意を払い高く評価し合うという双方向の関係性においてのみ、投資の正帰還が作られうる。

日本はこれまで、先行するアメリカを追走し、その後それを追い越すことができた分野が多かった。それは、アメリカが事業の収益化の方策を考え出し、その収益化方策の原形の下で事業効率を高めることが得意だったと言える。国際競争力は、事業効率を高めることだった。つまり、事業に従事する者達の貢献が重要だった。ジェフリー・ムーアの言を借りるなら、ゴリラが作った原形の下で事業をしているうちに、チンパンジーの群れの中から、ゴリラの収益を凌駕する賢いチンパンジーが出てくる機会があった。

しかし、今はその収益化原形を考え出したか否かが競争に求められている。その原形を作った最初の者に利益は独占される。ただし、そこに競争が必要なため、実際には同じようなことを同時期に考え出した次の者との2者で独占する。かれらを竜と呼ぶなら、それ以外の3番手以後の追従者は、地面を這う蛇にしかなれない。つまり、事業を立案する者の貢献が最重要になった。

前者の状況であれば、単方向の関係性でもある程度は回る。しかし、後者の状況では、双方向の関係性が必要であり、むしろ、投資する者に対して払う敬意の方が重要になる。それは感謝ではなく、敬意であり、すなわち評価である。

「人材に投資することの重要性をわかっていない」という言葉には、投資する者への敬意のかけらもない。

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