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なぜ シャボン玉おじさんなのか?

なぜ シャボン玉おじさんなのか?

色々な場所に出かけてシャボン玉を飛ばしているとよく聞かれることがある。「なぜシャボン玉おじさんをやっているのですか?」 とても率直でストレートな質問だけど、僕なりの答えは単刀直入に「やはり人が好き」なのだと思う。(コミュ障ではありますが…)

海岸や公園などでシャボン玉を飛ばしているとなんの面識もない人たちが足を止め、あるいはその場所に腰を下ろし、少しずつ小さな小さなコミュニティが出来上がる。

子供たちは歓声をあげて、大人たちはその光景を見守る。その場所は、たくさんの笑顔のある場所で、やさしい場所だなといつも思う。。。
長年、シャボン玉職人をしているが、いまだにシャボン玉の人を引き付けるその魅力や、美しさに感心するばかりで、まだまだ魔法は解けそうにない。。。

シャボン玉の紡ぐ出会いが、ただただ楽しくて仕方ない。
だから、僕はシャボン玉おじさんをやっている。

    シャボン玉おじさんの若いころ

大学時代の20代前半だったとおもう。周りの友人は、覚えたてのパチンコや、彼女とのデートに明け暮れるなか、僕はある趣味に没頭していた。「愚痴聞き屋さん」である。

某所の市街地の路上に座って、行き交う人々の愚痴を聞く。。。当時、新宿で活動していた「雑談屋 X」という学生グループの影響を受け、ノリで始めた「愚痴聞き屋」に僕はのめり込んでいった。

今、考えるとこのころから、「人が好き」という片鱗はあったのかもしれない。下の写真は当時、実際に使っていた看板。。。

実際、路上に座っていると、色々な出会いがそこにはあった。
学生、サラリーマン、OL、ホームレス、泥酔者、ホスト、風俗関係者、その筋の方たち……怖い思いをすることもあったけど、純粋に一期一会の出逢いは、楽しかったし、一緒に「愚痴聞き屋さん」をやりたいという有志も集まった。


路上には表現欲求を満たしたい若者たちが夜な夜な集い、歌を歌ったり、ポエムを読んだり、ダンスを踊ったり、フリーハグやったり、似顔絵描いてたり…そういう場所が僕はたまらなく好きだった。 あー 仲間がいるんだなって。。。

文字通り、僕の居場所となった「路上」という場所で、僕はしばらく「愚痴聞き屋」をやっていたのだが転機は突然やってくる。

続きはまた。。。

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