ダンサー・イン・ザ・ダーク感想

鬱映画の代名詞と言っても過言ではない「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を、私は高校を卒業するまでには見ておきたいと考えていた。
Twitterで一時期話題になっていた“二度と見たくない映画”で1番声が上がっていた映画をわざわざ何で、と言われたら、まあ単なる好奇心と社会勉強みたいな気持ちで。
3月いっぱいは高校に籍あるし、もう卒業式終わったけどギリ間に合ったよね?
ってことで前置きはこれくらいで、春から大学生になる女がダンサー・イン・ザ・ダークを見た感想を語っていきたいと思います。

(ここから感想・ネタバレ入ります。無知で頭悪い女の個人的な感想。読むだけ無駄だろうからよっぽど暇な人かそれでもいいよって人だけどうぞ)

まず、私はビョークを知らない。それは世代的なものだと全面的に思うんだけど、それにしてもなんで今までこんなに素晴らしいアーティストを知らなかったのだろうと自分を恥じた。
ミュージカルシーン(列車が通ってる横でのやつ)を見てびびびっ!ときたのは私だけだろうか。なんて美しい声なんだろう、なのになんでこんなに切ない気持ちになるんだろう。バッドエンドを知ってて見てるから?ミュージカルはセルマの空想だから?それとも演出のせいでしょうか。でもそんなことはどうでもいいのです。だって考えたって映画のこととか私には分かんないし。理由はともかく、私はそこでエモい!っと思ったわけです。
全体的にくらいお話だからこそ、余計このミュージカルシーンが心にグッと刺さった。
ネタバレ見ちゃって結末分かってるからさ、楽しそうなセルマを見るのが辛いのよ。展開が不穏になるにつれてミュージカルシーンのセルマも生きいきとなっていくのがもう悲しくてしょうがない。ああもうやめてくれ。
特に最後の絞首台に向かうシーン。107歩を数えながらセルマが廊下をまるでお花畑かの様に進む姿はなんかもう私の夢かとでも思うような感じだった。死ぬことが分かってる絶対的に詰みな状況なのに、初めて外の世界を知った犬みたいなワクワクしてる感じがね。あ、全然分かんない?ごめんなさいね語彙力ないもんで。
ちょっと話ズレたけど、私がなんでわざわざ感想を書いてるかって、やっぱり最後の処刑のシーンを考察したいからなわけですよ。はい、考察しますね。

ラストシーン、キャシーがセルマに眼鏡を渡すシーンですね。あのシーンの解釈、Wikipediaではこう書いてあります。

死刑の見届けをしていたキャシーは周囲を振り切り、死刑台にいるセルマにジーンのメガネを渡す。セルマはジーンがもうメガネが必要なくなり、手術に成功したことを知る。安心したセルマは落ち着き、笑顔になりながら「最後から二番目の歌」を歌った。
Wikipediaより

(引用方法間違ってたらごめんなさい。)

あれだけ絶望的な展開の映画で、本当にこんなハッピーエンド(?)でいいのかと私は思いました。

息子のジーンがセルマの最期を見届けたいのに出来なかったのは、劇中では年齢制限のためだと言われていたけど、実は手術に失敗して失明したから出来なかったんじゃないか。キャシーが「ジーンは外にいるわ!」とセルマに言っていたけど、中まで来てセルマを見れなかったのか“年齢”のせいじゃなくて“目”のせいなのでは、と。まあこれは意味の無い無駄な深読みですね。わざわざ年齢制限って言ってるから実際そうなんでしょう、知らんけど。
(アメリカの死刑執行時の立会に年齢制限があるかググりましたが私の力量じゃ答え分かりませんでした、無念)

なんで私がこう思ったのかというと、セルマが歌っている途中で執行されて床がガーン!っとなった時、眼鏡が床に叩きつけられるシーンのせいです。
セルマが眼鏡を持っていたから一緒に落ちるのは当然のことだろうけど、それをわざわざ別アングルで眼鏡が床にガコンってなるとこいる?
私的にあの一コマは結構絶望的に映って、「あれ?手術失敗したの?」と思いました。(その後ウィキみたらああ書いてあってびっくり)
落ちる、ってあんまいい意味ではないですよね。憑き物が落ちる、とかは別として、受験に落ちるとか、地震で物が落ちるとか。あ、ちなみに私は第一志望の大学に落ちました。自虐。
その、落ちるっていう悪いイメージに一致するような落ち方だったんです、眼鏡が。
だからやっぱりあれが手術の成功だという解釈がしっくりこないな〜。私はね。

なんか感想とか解釈になってるのか分かりませんが、こんな感じです。眠いし文字打つのが面倒くさくなってきたので終わります。オチもねーしなんつー終わり方。
まあまたゆっくり次はちゃんとした感想書けたらなって思います。
それでは皆さんおやすみなさい、今こっちの世界では深夜2時半なのでね。


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