櫻木真乃がセンターなのは、運営が本当に推したいアイドルは彼女だから
!!ネガティブな感想となるためご注意ください。!!
ハッキリ言って、作者の脳内当てゲームをさせられているようだと感じてしまいました。
映像作品というものは、物事を分かりやすく伝えるために作るものであるはずです。
それなのに本家のゲームより分かりにくくしてどうするのかと。
シャニアニはあまりにも分かりにくいです。
アイマスアイドルとしては小宮果穂が自分にとって初めての推しになったこともあり、20年越しにシャニマスもプレイしてみました。
別にシャニアニのように分かりにくいということはありませんでした。
ユーザーに攻略してもらうためにちゃんと前提となる知識を与えてくる、普通のソーシャルゲームという印象です。
ゲームの場合は人気を獲得しているならネットを通じて集合知が使えると思います。
しかしアニメだと基本的に攻略するのは視聴者1人になってしまうはずです。
だから分かりやすくする必要があるのに、それを放棄してるという印象を抱いてしまいました。
シャニマスのプロデューサー、通称シャニPはゲーム内で櫻木真乃の対して「みんな特別だし、みんな普通の女の子だ。」と言葉を掛けている場面をネットで見たことがあります。
言い換えれば、アイドルに対して特別だという感情を抱く人も居れば普通だと思う人も居るということです。
音無琴美や八雲なみのように283プロがソロアイドルだけをプロデュースをしない理由は、メタ的にもリスク分散のためです。
わざわざアイドルに向いているとは思えない櫻木真乃を、アニメでは中心に据えた理由は運営は本当は彼女を推したいのだと思います。
わからなくもないです。
『推しが武道館へ行ったら死ぬ』という漫画があります。
しかしアイドルをやった方が思えるのは主人公のジャージを着ている女性の方で、彼女が推しているアイドルの魅力はさっぱり分からないのです。
シャニマスのゲーム内でアイドル達は、ほとんどユニットごとの活動してします。
ユニットの垣根を超えた活動にわざわざ越境が付けられるのは、そうしないと放課後クライマックスガールズのように分かりやすい魅力のユニットに簡単に染まってしまうでしょう。
シャニマスに触れる以前は『結城友奈は勇者である 花結衣のきらめき』(通称ゆゆゆい)のソーシャルゲームを追っていました。
彼女達は気軽に交流をしまくるもんだから本編のアニメはシリアスなのに、ゆゆゆいでは全員放クラのような芸人になってしまいました。
なのでシャニアニでは櫻木真乃の魅力を伝えるために、シャニマス屈指の個性の持ち主であるシャニPに滅私奉公させてまであえて分かりにくくしたのではないかと考えます。
シャニPはゲーム内で小宮果歩に「どんな果穂でも良いんじゃないのか?」と発言してします。
アニメ映えを目指すなら放クラを中心に据えるのが大正義のはずです。
しかし繰り返しますが運営は櫻木真乃を推したかったから、シャニアニは一見するとつまらないアニメになったというわけです。
きっとこのアニメはシャニPのように「どんなあなたでも良い。」という境地に至っていないと楽しめないのです。
つまりシャニアニはアイドルマスターでなければ楽しめないアニメであり、運営は視聴者に挑戦状を叩きつけているに等しいです。
そりゃ『ツバサグラビティ』で「神様も驚くくらい」と歌われますよ。
『らーめん才遊記』でラーメンハゲが酷評にめげずに淡口らあめんを作り続けたら、ファンが現れるようなものなんですから。
言ってしまえば作者の脳内当てゲームで正解者が現れるようなものです。
追記
アニメでも集合知は成立しているとの指摘がありましたので補足します。
×アニメは集合知が使えない
⚪︎アニメは集合知が使い物にならない
シャニマスはなんだかんだ言って美少女育成ゲームで、ギャルゲーだと言うことです。
ゲームの場合、櫻木真乃を一切無視しても問題ありません。
しかしシャニアニは言ってしまえば櫻木真乃ルートなわけで、初見でもある程度はアイドルの彼女のことを好きになるのが普通です。
だってアイドルですよ?
私がプレゼントだと言わんばかりの衣装を着て、アイドルソングを歌って踊ればたちまち人気者になる。
それがアイドルマスターというゲームであるはずです。
しかし現実問題、シャニアニを通じて櫻木真乃が人気者になれたかと言えばNoです。
だから集合知が使い物にならないです。
シャニアニのパンフレットに寄稿してる著名人までつまらないとnoteに書いているのは異常です。
そうなるとつまらないと言う意見をシャットアウトして作品を鑑賞すべきなのですが、自分の評価もやはりつまらないのです。
自他共に人気者として持ち上げていない彼女をアイドルとして認めることが出来ないのです。
小宮果穂と放課後クライマックスガールズこそ真の主人公でセンターでは無いのか、と思う有様です。
どう考えてもシャニアニと視聴者の間でゲームで言う、パーフェクトコミュが成立していないのです。
だからWINGで優勝するために必要な思い出が作れていません。
きっとアイドルとプロデューサーとは、誰かと良い思い出が作れる人のことです。
歌やダンス、さらにさまざまな芸は手段に過ぎません。
ちなみにヒーローとは誰かを笑顔に出来る人のことだと思いますが、結局それも良い思い出だと言うことです。
つまり我々はプロデューサーになれていないので、集合知が使い物にならないということになるわけです。
ゲームの攻略において使い物になる知識は、プロデューサーになれてる人からもたらされるものだけです。
きっと私はプロデューサーになりたかったのだと思います。
アイマスにおいて女の子を好きになる。つまり攻略するというのは、プロデューサーになるということだからです。
緋田美琴は七草にちかに対してこう言っています。「アイドルになれない人と私は組めない。」と。
プロデューサーも全く同じです。
アイマスにおいてプロデューサーになれない人はアイドル達とは組めないのですから。
そう考えるとシャニアニは不器用な話ですね。
アイドルになれない女の子と、プロデューサーになれない視聴者の構図になってしまってるんですから。
この上なくアイマスをしていると思います。
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