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配る女

おれがディレクターをしている地方の広告代理店では、仕事柄アルバイトの人間が常に出入りしているのだが、壊滅的にティッシュ配りができない女がいる。Nというその女にティッシュ配りをやらせると決まってほとんどのティッシュを余らせて帰ってくる。全く配らない訳ではないが、あまりに大量に持って帰ってくるので別の場所で配ってこさせると、ほんの少しだけ配ってまた大量に持って帰ってくる。流石にちゃんと仕事しろと問い詰めるものの、若いくせに頑固な奴で、仕事はしている、との一点張りだ。仕方なく配った分に応じたわずかな時給を渡して追い払うように帰ってもらうのだが、別の仕事で募集をかけるとNは性懲りもなくやってくる。

この日はウォーターサーバーのプロモーションで、商業施設にやって来た家族連れに風船とチラシを配って、風船に釣られた子供の親にサーバーを買わせようという腹だ。今回はおれも現場に貼り付いているので、多少の不安はあったがNに風船を配らせることにした。しかしこれも失敗で、おれが居ようがいるまいがほとんど風船を配ろうとしない。大体の親も風船を貰ったら面倒なセールストークが付いてくるから避けて通るのだが、わざわざ風船を貰いにきている子供にも頑としてやらないのはどうしたことだろう。親も何で風船をくれないのかと気色ばんでおり、そろそろクライアントの担当者が視察に来そうなタイミングでもあったので、おれは慌てて謝罪して、Nにはその辺をうろうろしながら適当に配ってもらうことにした。いつものようにNは風船を余らせて帰ってきた。

その日のウォーターサーバーの申込みは、施設の来場者の数からして正直10件も行けばいい方だろうと思っていたが、結果30件ほどの申込みがあった。おれは水ごときにどうして30人も高い金を払うのか腑に落ちなかったがクライアントは喜んでいた。翌日、Nは休みだったので、その日の風船は全て捌けさせた。おれは自分の仕事ぶりに満足したが、ウォーターサーバーの申込みは5件だった。クライアントは失望していた。

また次の日にはNがやってきたので、先日と同じようにその辺をうろうろさせておいた。その日の正午に申込み状況を見ると、午前中だけで申込みは20件を越えていた。不審に思って受付の女の子に話を聞くと、声をかけなくても風船を持った家族連れが直接申込みに来るのだという。おれはまさかと思って申込みに来た家族連れの風船を観察しているとそれらは全てNが配った風船だった。Nはウォーターサーバーを欲しがりそうな人間をピンポイントで見分けた上で、最低限の風船を配っていたのだ。ウォーターサーバーは予定の2倍も売れ、クライアントの担当者は社長賞を貰い、おれは寿司に連れて行ってもらった。

程なくしておれは独立し、自分の広告代理店を立ち上げた。社長がおれで社員はNだけの小さな会社だ。手始めにおれは不動産デベロッパーから新築マンションのチラシ配布を受注した。クライアントには500,000枚配布する見積を出して、実際にはマンションの戸数の30枚だけを印刷した。Nには広めの商圏を指定して、2週間で配るように指示を出したところ、1週間で30枚全部を配布して帰ってきた。マンションはすぐさま完売し、クライアントの担当者は社長賞を貰い、おれは料亭に連れて行ってもらった。

仕事は順調で資金に余裕が出てきた頃、おれはマンションのオークション方式の販売方法をクライアントに提案した。企画料と成果報酬として、設定価格より高く売れた場合には追加利益の30%をもらうことにした。チラシはマンション戸数の3倍を印刷し、Nには商圏のほか東京への出張も命じ、1ヶ月かけて配布してもらった。1ヶ月後、Nは数枚のチラシを持って帰ってきた。おれの読みは当たり、マンションは全戸とも設定価格より1,000万円も高く売れ、ちょっとしたマンションバブルを引き起こし、クライアントの担当者は2階級特進し、おれは視察という名の海外旅行に同行させてもらった。

おれの会社は小さいながらも業界では有名になってきて、ついに国からも仕事を受注することになった。Nがいる限りどんな仕事でも必ず儲かることを確信していたので、この頃になるとまともに契約書も読まず、在庫の買取補償までつけるようになっていた。ただ配るだけで業務委託料を貰える簡単な仕事だったので、おれはこの仕事を3ヶ月の期限を切ってNに任せることにした。

3ヶ月後、Nに状況を尋ねると1枚も配っていなかった。おれの会社は債務不履行で倒産し、1億枚の布マスクの在庫を抱えることになった。

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