その者、都会を征く。

男は、PARCOへ向かっていた。理由はPARCOには、この世に存在する森羅万象の概念、物質、言葉、感覚、その全てが“ある”からだ。
PARCOとは宇宙なのである。
「PARCOを知ることそれ即ち、全を理解することに等しい。」釈迦の一言である。
ここだけの話、寺の住職は月に一度、皆が寝静まった夜にドン・キホーテで安酒と海外のつまみ、ドン・キホーテオリジナルの韓国のりを爆買いして“宴”を開いている。もし、君が僕の言葉を信じられないのであれば、14日の夜、寺へ向かうとよい。そこに“真実”(こたえ)はあるはずだから───

話を戻そう。とにかくPARCOにはなんでもあるのだ。タワレコとかスイパラとかあと…えっと…えーと…その…あの…あ!リコリス・リコイルとサンリオのフェアショップとか!


先にも記したように何でもあんねんで、あそこには。ホンマすごいねんで。
とにかく男はPARCOへ向かって居たのだ。
服を買うためではなく、CDを買うわけではなく、スターバックスコーヒーで面白い名前の面白いサイズの飲み物を飲むわけでもなく、頂を見るために。ただそれだけのために、真っ直ぐ、ただ真っ直ぐとPARCOへ向かっていた。
雨の日も風の日もあった。時には寒さで身体が動かない日もあった。だがそれでも男はPARCOを目指した。錦木千束に逢うために。愛を伝えるでもなく、言葉を交わすためでもなく、ただ“逢う”というたった1つの目的のために。

そして、今辿り着いたのだ。男の目の前には、TVアニメ「リコリス・リコイル」に登場するキャラクター“錦木千束”の等身大パネルが飾られていた。
それは美しくも、どこか儚く、また、他の通行人のカバンがぶつかり時折ユラユラと揺れている様子がソレが“作り物”であること、ソレが“決して叶わぬ愛”であることを物語っていた。君はそんな境遇におかれたらどうだろう。
泣き出してしまうんじゃないか?
逃げたいと思ってしまうんじゃないか?
だが、男は違った。
「こんなものか」とただ一人呟いただけだった。
これまでの徒労を嘆くでもなく、破れた愛の悲しみに打ちひしがれるでもなく「ふ〜ん」とつぶやき、ポケットからiPhoneSE2を取り出し、パネルを撮影し「なう」と添えてインターネットの海に放流するだけであった。
画像ツイートが完了する頃にはもう男の頭の中は臭いラーメン屋で食べる臭くも美味いラーメンのことでいっぱいであった。
オタクにとって“愛”なんてものはそういうものなのだ。
“恋”なんてものは想像上のものでしかない。そう思うことで何とかやり過ごしてきた義務教育時代のオタクのコンプレックスが、いまこういう形になって顕になっている。どうするんですか。少子化解決しませんよ。オタクを制す者、政治を制す。ただそれだけを理解していてください。多くは望みません、ただそれだけなんです。
男はラーメン屋に入り、席に着くと同時に店主に向かって絶叫する。
「激クサラーメンwニンニク野菜マシマシ、チャーシュー抜き、海苔、味玉2(ツー)、背脂多めで」
普段声を発することがないから閉じきった喉で一生懸命に叫んだ。それを嗤う者もいた。だが、男はそれも受け入れていた。それが“地球 (ココ)”で生きる流儀だから。
今日も“地球”(ホシ)は廻っている。
オタクを乗せて、ギャルを乗せて。
でも僕らは…
                僕らは…    僕らは…

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