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仕事始め。からの楽しい考察。

今日はひとり会社で私の仕事始めでした。
神棚にご挨拶。

構内を見て回って、会社締めました。

天気良い!

気温5℃。風が強くて寒く感じます。
3月下旬の気温。芽吹きはまだよ。

気の向くままに、ルートを選んで帰ることにしました。

春みたいだな。
どこかで福寿草咲いたって。
焼石岳から伸びる獅子ヶ鼻岳。
さすがに真っ白だ。
わがまま言うと、
真っ白い雪原も撮りたいんだよな。

県道37号線を北上して、円万寺にやって来ました。八坂神社、観音堂を参拝。

チベットの宝物とともに疎開していた多田等観さんが昭和22年から26年までこちら庵に入居。独居自炊しながら地元の方や、同じ年に疎開してきた高村光太郎さんと交流を深められた場所。

激動のチベット入国。帰国。疎開。
今に活きる、成し得た偉業。
今年はドジャーズでの活躍が期待されますね。

等観さんと光太郎さんは深い交流があったとされています。光太郎さんは東京で知り合った宮沢賢治さんが縁となり花巻へ疎開。

となれば、西域に興味があった賢治さんと西域マイスター?な等観さんの交流もあったのかな、と推測しています。

光太郎さんは心の安寧を求めてキリスト教への入信で迷いました。疎開先の厠に彫った『光』の文字は、聖書の『hole in the roof』(ルカによる福音書 第5章19)を想起させます。

直訳すると『屋根に穴が空いている』訳ですが、そこからなら主イエス・キリストはこちらに来ることが出来る。転じて、屋根からの一筋の光はキリストの降臨である=吉兆である、と捉えます。

高村山荘の厠の『光』の彫刻は、裏側(見えない所、影、転じて人の弱い所)に光を当てる、目を背けない、そんな彼の考えと仕掛けがあるように思うんです。

光太郎さんは、チベットの最高位の僧の等観さんとの交流で、どんなことを得たのかな。

ああ。脱線。

以前のnote、等観さんの日記です。

庵の入口には『一燈庵』の書。等観さんの自筆とされています。

墨が褪せないように、誰かなぞってるのかな。
『コツコツやれば大きな力になる』
一燈照隅の考え方でしょうか。

鳥居に相対します、

鳥居の向こうに花巻市の田園風景。
私の背中には、千手観音石像が鎮座されています。

鳥居をくぐれば、

この静寂と心の安息に、
今そうではない方々のことを想います。
等観さん、何を感じたのかな。

円万寺観音堂のご本尊は、千手千眼十一面観音様。ダライ・ラマ13世から等観さんが譲り受けたものです。

その前は坂上田村麻呂が勧請した馬頭観音様でしたが、いろいろあって、無くしてしまったと。

それは大変だと言うことで、等観さんが大事にしていた千手千眼十一面観音様を寄贈した経緯があります。

北東北の伝説や神仏は、多くが『坂上田村麻呂由来』のもの。研究によれば、田村麻呂伝説に便乗しているような案件もあるようですが、彼は都の文化を北東北に伝えてくれました。

歴史は勝者の側から語られます。敗者とされた先住民(…我々東北人は負けたと思ってませんし、そもそも領土を侵略する概念を持たなかった民族とも言われています。)は、文字を持たない文化だったと考えられていて、遺跡や出土品の解明にはあと150年掛かると、以前訪れた奥州市埋蔵文化財調査センターの学芸員さんは、嬉しそうに語っていました。

『もしかしたら、今にも歴史が変わるかも知れないんですよ』

最近(50年程前)でも、アザマロの多賀城焼き討ちは、『あり得ない』と口を揃えた学者さんたちをゴメンナサイさせてしまう出来事がありました。

ああ。語りだすと止まらなくなるのでこの辺で。

夕焼けは今日も綺麗でした😀

猫の木。

星空も綺麗でした😀 

オリオン座。

さあ寝よう。

寝スマホで更新。

花巻市博物館の元館長さんの著書。すごいタイミングで出版されるみたいです。わー

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