こっちゃん

コーチ&ファシリテーター。U理論をベースに人や社会の『意識の変容』を探求中。個人や組織…

こっちゃん

コーチ&ファシリテーター。U理論をベースに人や社会の『意識の変容』を探求中。個人や組織のオーガニック&ヘルシーな成長・発達を支援中。|ICF認定PCC/CTI認定CPCC|NoBorders.llc|ARUKUKI|THECOACHAcademy 開発/講師|名古屋在住

最近の記事

私について_8

前回からの続き。自分軸を取り戻す編 自分らしく生きる アメリカから戻った私は、それまでの仕事に違和感を感じるようになった。生活のために出来ることを出来る範囲でやっていたが、本当にやりたいことかと問われると「NO」だった。 かといって、何がやりたいのかもわからず悶々とする日々が続いた。生活は出来るけれど、喜びがない。お客さんには喜んでもらえるけれど、私は心底は喜んでいない。このループから抜け出す必要性は感じていたものの、抜け出し方がわからなかった。 そんな時、ニューヨー

    • 私について_7

      前回からの続き。起業・子育て・渡米編 起業と子育て 離婚し、実家を離れた私はしばらくは貯金を切り崩し生きていくつもりでいた。 しかし、人生とは面白いもので、ひょんなことからマイホームを建てることになった。 ローンなしで契約。数千万円という現金を全てそこに突っ込んだ。結果、全財産が一瞬にして消えた。 産後・離婚後のホルモンバランスの乱れが影響したのだろうか。 今、振り返ってみても、当時の私の意思決定は極めて大胆だと思う。私は、所持金0だが何故か家だけ持っているという

      • 私について_6

        前回からの続き。就職・結婚・別居・出産編 就職と結婚 就職は、周囲の友人たちの声を参考にしつつ、ARTとも関係がある外資系金融機関がいいかなぁという理由で決めた。 正直、実家のトラブルのストレスが大きくて、今後の人生においてどのような仕事がしたいのかわからなくなっていたのだが、運よく拾ってもらえた。 ​ 気がつけば、私は24歳になっていた。 すると、母から「早く結婚しなさい」という連絡が来るようになった。 連絡の頻度はエスカレートしていき、しまいには母は当時付き合っ

        • 私について_5

          前回からの続き。挫折編。 失意の帰国 幸いにもドイツでの挫折と日本の大学の受験のタイミングが合い、流れのままに早稲田大学に入学した。 そこで私は自分のアイデンティティを探求すべく、なるべく多くの人と関わる機会を持つことを心掛けた。 そんな中、友人に誘われて、当時東京藝術大学の教授であり現代美術作家であった川俣正さんのゼミに関わらせてもらうことになった。 国内外における彼の展覧会の手伝いをする中で、うっすらと「ARTって、生き様なんだなぁ」と感じるようになっていった。

        私について_8

          私について_4

          前回からの続き。海外編。 スペインへ 美術研究所では来る日も来る日も絵を描きまくった。残念ながら大学受験では最終試験で不合格になってしまったのだが、それを機に海外に行くことを決めた。 幸いなことに、我が家は世間体を過度に気にする文化を持っていたため、浪人生を家に置いておくより留学させた方が、家族や親戚の精神衛生上、都合がよかったこともあり前向きに応援してもらえた。 行先はスペイン、バルセロナ。 カタルーニャ文化という独自の文化を持つ、地中海沿いの街だ。 眩しい太陽

          私について_4

          私について_3

          前回からの続き。高校以降の話。 ARTとの出会い カウンセリングや自己内省の期間を経て、私は少しずつ回復していった。そして、高校からは不思議と学校に通えるようになった。 登校できる体力と気力があることに喜びを感じる反面、またすぐに体調が悪くなってしまうかもしれないという不安もあった。 不登校の間、家族や親戚から問題児として扱われていたこともあり、私の自己肯定感は地に落ちていた。そのため、高校に通い始めたころは「私、このクラスにいてもいいのかな?」とどこか気まずい気持ち

          私について_3

          私について_2

          前回からの続き。小中学生時代。 植物人間になる 小学校の高学年になる頃には、他者の期待に盲目的に応える自分の生き方に嫌気がさし、鬱っぽくなりかけていた。 私はもともと自由奔放な部分を持っているのだが、当時はこの奔放さは「女の子らしくない」「生意気」とされ、私は自分らしく振舞うことを諦め従順な子どもになっていた。 このまま、いい学校に入って、いい会社に入って、いい人と結婚して・・・という人生を想像すると、人生はとてもつまらないもののように思えた。 夏休みの家族旅行もク

          私について_2

          私について

          この記事の背景 ずいぶん久しぶりのnoteである。 新しい記事を書きたかったのだけれど、過去に書いて自分のwebsiteに載せていたものをnoteで少しずつ記事としてアップしていこうと思い立った。 というわけで、これからしばらく連載のような形で毎日記事をあげる。 テーマはタイトルの通り、私について。 私は本当のところは、平凡に普通に穏やかに人生を歩みたかったのだが、けっこう波瀾万丈な、彩り豊かなプロセスを歩んでしまった。 ゆえに、私という人間を他者に理解してもらお

          私について

          私たちは妊娠している

          ある日、夫がこのBlog面白いよ!と、あるBlogを勧めてくれた。 それは、学びの仲間であるアースカンパニーのTomoさんと奥さまが綴られているこちらのBlog。 その中のVol.4の記事の中にある、この言葉を興奮気味に語ってくれた。 【"私の妻は妊娠している"ではなく"我々は夫婦として妊娠している"と言うべし!】 この言葉を聞いて、まず思ったのは… 「当たり前だよーー!」だった。 しかし、冷静になってみると、これは全くもって当たり前ではない感覚なのだとも思った。

          私たちは妊娠している

          ダジャレの奥深さ

          私の夫は、よくダジャレを言う。 しかし、私はダジャレに対してどう対応すれば良いのか分からず、ダジャレを言われる度に「こういう時は、どのように返答するのが良いのか?」と尋ねてきた。   「どんな反応をするのも自由だよ」と言われてきたため、私のダジャレへの対応力は高まることはなく、むしろ、自然な形でダジャレをスルーするという対応方法が定着した。 もはや、ダジャレを言われても、なかった事のように流すことを無意識に出来るレベルにまでなってしまった。   今日、夫と散歩中にダジャレ

          ダジャレの奥深さ

          痴呆症になった父

          私の父は、すでに他界している。 私が27歳の時、突然、何の前触れもなく、自宅で突然死した。 死因はおそらく不正脈ではないかということだったがハッキリした原因は不明である。 当時、私は東京に住んでおり、父が倒れたと聞いた時には信じられなかったのだが、名古屋の実家に帰り、息をしていない父と対面した時に、じんわりと死を実感した。 私の父は、亡くなった時、痴呆症ではなかった。糖尿病による合併症を発症していたものの、意識や認知の面で気になる部分はなかった。 このnoteのタイト

          痴呆症になった父

          人を産み、育てるということ

          41歳、妊娠6ヶ月。 ステップファミリー。 前の夫との娘は11歳。 今の夫とは、昨年の春に結婚。(事実婚) 日々新しい家族のカタチを探究中。 人生は何が起こるかわからない。 だから、面白い。 41歳になり、自分を含め、人というものを落ち着いてみることが出来るようになってきた。 今、改めて「産み、育てる」ことを真剣に考えて、それを家族で体験していけることに嬉しさを感じている。 私にとって、家族はすごく大きなテーマ。 ここに至るまでの、自分の個人的な体験を振り返ってみたい

          人を産み、育てるということ

          あぁとなじかん

          とても久しぶりにnote書いてみる。 本日、久しぶりに美術館へいった。純粋に嬉しかった。 心が潤った。 この気持ちを忘れないように残しておこうと思う。 今回訪れたのは、豊田市美術館。 久しぶりにリヒターの作品を鑑賞した。 リヒターはドイツ人の作家で、その実力と実績は世界中で認められている。今もご存命であり今年で90歳になる。 私がまだ10代だった頃、実は、リヒターは私の周りで流行っていた。 私は1982年生まれ。今、40歳。 私の高校生時代、巷では安室奈美恵さ

          あぁとなじかん

          家族の願いと呪い

          今日は家族について書いてみようと思う。 私は長らく【家族】というテーマに向き合ってきた。というか、向き合わざるを得なかった。 暗黒の中学時代 私はほとんど中学に行っていない。中学1年の時、原因不明の体調不良により不登校になった。頭が割れるように痛くて、身体が鉛のように重く、通学どころではなくなってしまったのだ。 当時、学校に行けずベッドで横になっている時「人生終わった」と心底思った。 良い学校を出て、良い仕事をして、良い人と結婚するのが【良いこと】と思い込んでいたので

          家族の願いと呪い

          夫婦のランク

          前回に引き続き、夫婦の話を書いてみようと思う。 いきなり、話がズレるようで恐縮だが、まずはこの切り口から始めたい。 昨日、エサレンボディワーク(エサレンマッサージ)に行った。エサレンを受けている最中は、泥のように眠った。 ボディワーク後、セラピストの方からこんな言葉をいただいた。 「これまでにない質感で、硬く縮んだ身体になっていましたよ〜!何か背負い過ぎたり、抱え込みすぎていたような印象がありました。人生、いろいろありますねぇ」 身体が硬く縮んでしまうようなストレス

          夫婦のランク

          夫婦のシャドウ

          私たち夫婦は仲が良い。 何をもって仲が良いと感じるのかは、人それぞれだと思うのだけれど、私個人としては、お互いが、存在そのものを尊重し合っている感じが、そう感じさせてくれているような気がする。 私たちはお互いに、素敵なところを沢山知っているし、理解しあえる存在でありたいと常々願っている。 しかし、そんな私たちではあるが、全くそう感じられなくなることもある。 関係性がこじれにこじれることもある。 「私はあなたの〇〇なところ、不快に感じているんだ」と、自己開示したり、リク

          夫婦のシャドウ