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吹奏楽コンクールにはびこる問題🎺

私は中高で吹奏楽に取り憑かれていた人間です。
今でも音楽は好きですし、自分に選んでもらったオーボエという楽器を吹けることを誇りに思います。

しかし中高の"吹奏楽コンクール"の経験を通じて沢山の疑問が浮かびました。

そして、内部の大人を知るにつれて、私は吹奏楽コンクールを嫌いになってしまいました。

今回は吹奏楽コンクール(以下、吹コン)の問題点を言語化してしまおうという目論見のもと、また問題作を書きました。
吹奏楽未経験の方でもわかるように丁寧に書いたつもりですので、最後まで読んでくれたら嬉しいです🔰

※ちなみにトップの画像はクラリネットです。オーボエではありません。


佐助太郎の吹奏楽遍歴🎵

佐助太郎の吹奏楽人生、一応載せとくね。
いらんとか言わないで^^

中1〜中3
地元の公立中学校吹奏楽部でオーボエを吹き始める。途中で顧問が変わり大人の荒波に揉まれる😇県大会出場〜支部大会出場の経験あり。

高1〜高3
県内一番の吹奏楽強豪校と呼ばれた私立高校へ片道1.5時間かけて通う。毎日AM6:00前に家を出てPM9:00に帰ってた。私が出た時は支部大会ダメ金でいつもギリギリ全国大会出場叶わず。吹コンのヤバさに気づいたのは高3の支部大会が終わった後だった。

大2〜大3
地域の吹奏楽団に所属。地域に還元する演奏のたのしさをを見出す。

現在
エキストラとして吹奏楽、オーケストラ、オペラなどの様々なステージで呼んでいただいて演奏している。同時にオーボエと音楽を勉強し直し中。

吹コンについて基本説明

知ってる人は読み飛ばしてね〜✈️

全日本吹奏楽コンクールは、全日本吹奏楽連盟と朝日新聞社が毎年主催している、日本最大規模のアマチュア吹奏楽団体コンクール。

中学、高校、大学、職場・一般の4部門に分かれていて、コロナ以前では10000を超える団体がエントリーしていた。この内中学が6727団体、高校が3224団体で、中高生の出場数がほとんどを占めている。
その中でも全国大会に出場できる団体は地区、県、支部大会を勝ち抜けてきた計99団体(中30、高30、大13、職一26)のみ。
全国大会に出場することを"吹奏楽の甲子園"って呼んでたりもする。(正確には甲子園の枠数は47都道府県数以上あるので、もっと厳しい…😱)

審査の内容は、毎年新たに提示される課題曲4つの中から1曲、各団体任意の自由曲を1曲、合計2曲を12分以内で演奏する。
ルールとして有名なのは、課題曲はアレンジを加えて演奏したりしてはいけない。12分を1秒でも超えたら失格、出場できるのは最大55人、歌詞を含む歌を歌っちゃいけないとか、他にも色々細かい規定があるよ。

詳しく知りたい人は
Googleで「吹奏楽コンクール 実施規定」で調べてみてね。(URL貼れなかった…泣)

結論 吹コンの問題点は3つ‼︎

①評価内規を公開しない連盟が多くあること
②評価尺度が"技術"と"表現"の2種類しかないこと
③指揮者・審査員・吹奏楽連盟を担う人の関係性が近すぎること

順を追って説明していきます!

問題点①② 評価について

さて、1つ目に問題として取り上げたいのは市大会〜県大会〜支部大会までの下部大会の評価基準について

え、なんで全国大会じゃないかって?
だって全国大会が最上位の大会だし、実は全国大会での順位付けも公開されるのは「GOLD金賞🥇」「銀賞🥈」「銅賞🥉」だけで、どの団体が一位優勝って、世間からは見えないようにしているのよね。甲子園には優勝あるのに。吹奏楽コンクールはないの。
だから、全国大会は出れるって決まったらほとんどの団体は脳内お祭り状態なんたよね。

つまり重要なのはいかに上位大会に勝ち進んで全国大会に出れるか。
だから今回は、その過程までにはびこる問題点を説明します。

評価方法の紹介 -上下カット法

評価方法は各地区の連盟によって定められており、地域によってかなりバラバラです。ここでは最もメジャーな上下カット法を紹介します。

①各大会、審査員には奇数名の著名な音楽家が呼ばれる。審査員は課題曲・自由曲それぞれに"技術"と"表現"として1〜10点、合計4〜40点持ち点があり、各団体の演奏を聴いて採点する。採点した点数の理由や感想・アドバイス等を直筆でコメントするフリー記述欄がある。

②審査員全員分の点数を集計した後、"上下カット"することがある。
上下カットとは、各審査員の合計点数で、最も高いもの低いものをカットした後、残りの点数を合計した点数で競う方法。
(例)
審査員が7人で合計点が高い順に
39, 38, 38, 36, 35, 33, 31/各40点満点とすると、最高点の39点、最低点の31点はカットされる。
総得点は 38+38+36+35+33=180/200点満点
となる仕組み。
伝わってるかな…😥ちなみに上下カットの方法も地区によって違うことを最近知ったよ。

③最後に上下カットした合計点数が高い団体に上から、GOLD金賞、銀賞、銅賞と振り分ける。そして上位大会へ進める校数はGOLD金賞の中でも最上位層の団体、ということになりる。(上位大会に進めないGOLD金賞のことを一般に「ダメ金」と呼ぶ)

問題点① 評価内規を公開しない連盟多数

さて、1個目の吹コンの闇、それはコンクールの内規を公開していない連盟が非常に多いことです。
これは公平性も何もクソもありませんね。
どうやって審査されるかわからないのにどうやって練習しろというんですか?
審査の結果だけを見てどういった過程を経てこの点数がついたか、分からないことってザラにあるんです。内規が公表されてなかったら、この点数についての説明すら求めることすらできないんですよ?
あまりにも審査の明瞭さ、そして公平さに欠いています。
佐助太郎はどう思うかって?
連盟に激おこじゃよ😡💢

さらに私が思う吹コンのヤバさ②!いきますね。

問題点② 評価尺度が"技術"と"表現"の2種類しかないこと


さっきも説明した通り、審査員の評価って、技術と表現の2項目を、1〜10点で採点して、コメントを書くだけなんですよ。
評価軸がこの2つだけなのは、音楽を点数化する尺度として適切と言えるでしょうか?
しかも課題曲は中学生でも吹けるように音域指定までされてて誰でも吹けるように作ってるのにアレンジしちゃいけないんだよ…どうやって技術に差をつけろと?😉

…ごめん、ちょけすぎた。
真面目に考察するね。

東京大学大学院教育学研究科バリアフリー教育開発研究センター 教授である星加良司教授は、成田悠輔さんとの対談の中で以下のように述べている。

能力を適切に評価する社会の実現するには、まず、評価される"能力"がいかに多元性の確保されたものとして定義されているかが重要である。
次に、"多元な能力を測れる物差し"がきちんと社会に用意されている状態が適切である。物差しが画一的であればあるほど、その物差しに乗れない人が多く出てくる。

▼引用▼
YouTube|【成田悠輔vs伝説の東大教授】必見!
社会人のための真の教養講座【合理性とは何か】
19:50〜能力が適切に評価される社会になるには

この星加教授の話をもとに吹コンを考えると、
音楽という能力を測るための物差しが"技術"、"表現"、の二つしかないないのだ。
つまり、物差しが画一的になってしまっているのが問題なのだ。

(そもそも、音楽における能力ってなんだよって話だけどね。それはまた後で…)

この物差しでは測りきれていないケースを2つ紹介しよう。

吹奏楽コンクールに演奏者1人でエントリーした団体(方?)が話題になった。この団体はもちろん上位大会には進めていない。
…さすがにこれは極端な例を出しました。

要するに少子化の進む中、このように部員数が少なくなっているのに対して、どうしても楽器が充分に揃って完成された吹奏楽のサウンド、音楽を理想とするコンクールでは、どのような創意工夫を凝らしても上位大会に進めない、というケースがどの地区でも散見されるのである。

特に公立の中高校は、楽器の多様性を確保できるほどの自由が効かない。
充分なお金も割り当てられてない。
教育委員会が部活の時間制限をどんどんキツくするから、練習もできない。部員確保もままならない。
吹奏楽を本気で続けるには私立に行くしかないんですよ。

この物差しは、あまりにもフェアじゃない。

さらに他の団体で、このような審査をされた団体もある。

この方の地区では別の評価方式を取っているようだが、評価の根拠とも言えるコメントが"白紙"で返ってきたケースだ。
…もしかしたら、この団体が審査員を煽り、挑発的な演奏をした可能性も否めない。しかしこの団体はルールに則って演奏したのならば、審査を受ける権利がある。つまりこれは、審査員が意図的に物差しでの解釈を放棄したケースなのだ。
(もちろん、吹コンの破綻した審査システムを理解して一つ一つの演奏、団体に真剣に向き合ってくださる審査員も多くいることは忘れないでね)

音楽は多様な可能性を広げていく力を持つはずだ。
しかし、その音楽の能力を測る物差しがあまりに画一的であること、そして多様性を謳う世の中の可能性を拾いあげる発想に乏しいことは、問題であるといえよう。

問題点③ 指揮者・審査員・吹奏楽連盟を担う人の関係性が近すぎる


吹コンのもう一つの問題点、それは指揮者・審査員・吹奏楽連盟を担う人々の関係性が近く、審査に音楽の能力とは別の圧力がかかっている可能性が高いことだ。

さてまたまた登場、佐助太郎大好き星加先生は、先ほどの適切な能力を測る社会を作るためにはどうしたらいいか?という問いにもう一つ意見を述べているんです。

もう一つは、適切に能力が評価される領域を限定することである。ある領域で評価された能力が、本来は無関係なはずの領域にまで横滑りするようなことが世の中では起こっている。
それは半ば意図的にそういうものを起こしているという側面もあるが、場合によっては無自覚的にそうなされていることがある。
ある部分の能力が別の領域にも拡張されていくことになってくると、それは一元的な評価と同じ機能果たしてしまうのだ。その部分で高い評価を得た人はいいけども、されなかった人は本来無関係なところまで低い評価を与えられてしまう。

▼引用▼
YouTube|【成田悠輔vs伝説の東大教授】必見!
社会人のための真の教養講座【合理性とは何か】
21:40〜能力が適切に評価される社会になるには

実は各地区の吹奏楽連盟役員のほとんどは学校や団体を指導している指揮者当人の割合が非常に高い。
そして、吹コンの審査員を指定するのは、大会運営に当たる連盟役員の役割であることがほとんどだ。

…これが何を起こすのか。
例えば大会運営委員が指揮者も兼ねていた場合、指揮者の知り合いや後輩のような間柄といった、運営権力者兼指揮者と比較的親しい審査員が選出されることが多い。

ここで、想像してみよう💭
あなたは、自分に仕事をくれた指揮者の先輩の学校に低い点数をつけることはできますか?
…答えは否であろう。当然、運営権力者兼指揮者の振る団体は有意な評価を得やすい。

そして支部大会レベルで起きる問題もある。
それは、任意の審査員を選出する都道府県の枠数の割り振りが、実績を残した団体を多く輩出した県や、より良い実績を残した団体指揮者(=運営権力者)順に行われやすいということだ。
つまり、過去の実績より優位に立てる県とそうでない県に差が生まれる。そしてその差は埋まることはない。実績を残した団体はまた任意の審査員を選べる人数が多いままなのだから…

支部によっては他県の団体同士で協力し合い、特定のライバル団体の属する県の枠数を減らす作戦があるという意見も耳にした。(これは流石にないと信じたい)

全国大会や上位大会で毎年同じ団体指揮者ばかりを見かける理由は、これが大きな理由だ。

残念ながら吹コンの現状を変えるには、全国の吹奏楽連盟役員兼指揮者を一掃し、吹奏楽に関して有識な第三者で構成された吹奏楽連盟に作り変える必要がある。

ちゃっかり

…ちなみに原理の裏をかいて全国大会出場しちゃったパターンもあるよw
とある職場•一般団体がその年だけ連れてきた指揮者があまりにも日本の音楽界で権威のある人で、運営が呼んだ審査員も全員頭が上がらないレベルの人だったから、その指揮者が振ったその年だけその団体は全国大会にいきましたって話。

真っ黒ですねほんと。笑えない。

私がこの背景を知った理由

…ところで、私がなぜこんなことを知ってるかって?

高3の最後のコンクールが「支部大会ダメ金」で終わった後、指揮者の先生とお話して教えてもらいました。私がコンクールに捧げた夏は、いつも次点でした。ショックで泣きながら、先生の話を聴きました。
高校生ながらに大人の思惑が交錯して子どもが巻き込まれるコンクールの残酷さに打ちしがれました。

さらに、私は大学生の4年間、オーボエの技術を買われて、とある公立中学校に指導に行っていたのです。その時指導者達の間で耳にした残酷な話が忘れられるわけがなかった。
他にも、吹コンや定期演奏会の撮影・記録物販売をする会社でアルバイトをしていたし、色んな吹奏楽部出身の社会人プレイヤーのいる団体でエキストラで出演して話してきた。
だから、色んな団体の、色んな人の、汚い思惑が、私の耳を通っていった。

さいごに 音楽の能力ってなんだ。音楽の「勝つ」「負ける」ってなんだ。〜見失った答えを探し直す旅〜

私はかつて、吹奏楽コンクールに青春をかけた中高生の演奏を聴くのが好きだった。
何故ならば、彼女たちの純粋な熱量や集中力が現れた音楽には、プロの音楽家たちとはまた一味違う良さがあるからだ。
楽器に対する知識も、身体の大きさも、経験も、余裕も足りていない生徒たちが、青春の全てをかけて創り上げた時の芸術。それは儚く、そしてとにかく純度の高い美しさを放っていた。
中学生・高校生にしか出せない孤高の音があり、凄まじい伸び代と可能性を秘めており、あのタイミングでしかのめり込めないかけがえのない仲間と時間と音楽があり、純粋に高みを目指して懸命に表現した彼女たちの青春の涙を、汗を、喜びを、悔しさを、私も同じように経験した。

…元々負けず嫌いで好奇心旺盛だった私は、誕生日にはコンクールで演奏する歌劇作品の原作DVDを買ってもらったし、少ないお小遣いやプレゼントしてもらえる機会を狙って全国の学校の、色んな演奏を生やCD、DVDなどを通じて見て、聴いて、研究した。
「どうしたら〇〇中学校のオーボエの人のように綺麗な音が出るのか」と色んな学校の演奏を生やCDで聴いて勉強したし、初めて合同練習をした時は相手校から沢山勉強になることがあって、その日は夜中3時までレポートにまとめて次の日顧問に提出した。
ウォークマンでいつも聴いていたのはオーボエプレイヤーの演奏か色んな学校の吹奏楽コンクールの曲だったし、中学2年生の時スマホを持たせてもらえない中、親のパソコンを借りて30分くらいあった自由曲の原曲を100回以上聴いた。
両親に10回以上断られても泣きながら楽器を買ってほしいとお願いしたし、どうしても教わりたい指揮者がいて、見たい景色があるからと無理を言って学費の高い私立高校に通わせてもらった。
自分のお小遣いでオーボエに関する本やエチュードの本、教則本を買って、1日も欠かすことなく基礎練した。コンクールのレギュラーメンバーも実力で勝ち取ったし、どんなにクラスや部活の同級生にいじめられても、先輩に泣かされて理不尽な嫌がらせを受けても、大人の荒波に揉まれても、吹奏楽とオーボエだけは手放さなかった。

…その純粋な想いを踏みにじるような吹奏楽コンクールの一面を見て、裏切られたと思った。
生気を吸い取られた。
なんだ、私たちの青春の結果は、所詮大人に仕組まれていたのか。また汚い大人の都合に揉まれたのか。
許せなかった。
私がその孤高の音や景色を欲した6年間は、なんだったのか。最初から可能性はなかったのか。
あの時間と、力と、情熱を、返してほしい。
傷ついた。
美しいと思って追い求めていた獲物をナイフで八つ裂きにされたように、否定されたと感じた。

吹奏楽コンクールで測られる、音楽の能力って、結局なんなんだ。
指揮者とのご縁なのか?
学校名なのか?
パートで楽器のメーカーを全て揃える財力なのか?
それとも素直に従順なふりをする良い子を演じる力なのか?

音楽で勝敗をつけるって、
ドウイウコトナンダ??

…音楽が秘めてた可能性って、そんなものじゃないはずなのにな。磨き続けたダイヤモンドが今私には少し霞んで見える。

今度は音楽が放つ美しさを別の視点で、純粋に追い求められる耳と感性が、いつか私にも身につきますように。

高校で指導してくれた先生に、吹コンは音楽の本質じゃないことを教えてもらっていた。だから今も音楽の本質に向き合いたくて、オーボエを吹き続けている。
その努力がいつか、身を結びますように。

私は吹奏楽コンクールを取り巻く、
汚い大人達を、絶対に許さない。


▼おまけ
これがオーボエだよ。クラリネットじゃないよ。
オーボエ奏者は間違えられたら怒るからね。
見分けつかない人はYAMAHAのサイト見てね。

▲引用元|オーボエってどんな楽器?サウンドハウス

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