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これまでのインターネットと、これからのローカルネット①1994年までの団塊Jrロスジェネの苦労話

「これまではインターネットだったが、これからはローカルネットになる」というのが、私の持論だ。インターネットとは世界をつなげる平和主義者が作ってきた夢の世界だと、決め付けている奴がいるが、元々は米軍が資金を研究に提供し、1961年にパケット通信の論文が発表されたのが始めだろう。

ネットは軍の行動・防御力があり、ミサイルの弾道計算をしたコンピュータもあったので、今の買物難民も減る便利なネット社会は出来たのであろう。身体障害者が多い高齢化社会ではネットは必要だ。だが、それも反日米な奴らが、F5連打攻撃などで米国政府なWebサーバーがダウンしたりなどと、サイバー攻撃を仕掛けている。

またSNSなどの普及で個人同士だけのネット利用が進んできているので、私の造語だが、これからは特定会員制の投資クラブなどが出来ると思うので、更にセキュリティが強化されたローカルネット化が進むだろう。ローカルネットとはLANほどの狭いネットではなく、英語は攻撃されやすく、日本語ならまだ安心という事でもある。

これは一昨年の仮想通貨ブームなどから見ても進む。だが仮想通貨の分散投資傾向は、サーバー方式よりは非経済効率だ。またパヨクの公開しろという圧力で、セキュリティは甘くなる。サーバーや個人のネット配信者の使用しているパソコンのスペックまで教えろという、公開しろファシズムは世の中を不幸をする。


1994年頃までのコンピュータや家電やネットワーク社会と反オタクの体質

私が最初にコンピュータに出会ったのは、1981年頃に小学校の同級生の金持ちなK君がマイコンというマイクロコンピュータを、多分クラスで1人だけ持っていたのと、ガンダムのプラモデルがコンピュータで動くという漫画で興味を持った。この話を若者にすると古臭いと言うが、今のアニメや遠隔操作の発想の原型であり、何も考えずに否定するのは無知臭い。

また携帯ゲーム(携帯電話ではない端末1台につきゲーム1つのゲーム機で1980円などがありイチキュパと呼ばれた)やテレビゲームも出始めてきたので、日本でもバーチャルな世界に興味を持つ人は増えたのであろう。ただし最近でもオタクよばわりだ。最近でもパソコンが使えないと「私はメカが苦手だから」と言う人もいる。

このように大半の人は勉強しないので、投資でも起業でも儲からないのだろう。そして今でも最新のネット事情や投資などに詳しいとオタクで、古いグラフィックデザインなどはお洒落と決め付けている人もいる。それが最近では、インターネットはノスタルジーな文化であり、投資や軍事的な効率ではないと決め付けている人もいる。

私は美術で仕事をしたいと思い、1990年頃はコンピュータグラフィックなどは、古い体質の美大やデザイン・アニメ業界では、さほど導入されていなかったのか、絵の具で平面まで塗る平面構成というデザインを美大・予備校・専門学校などではし影響を受けた。これは最終的に画材代で、コンピュータより金がかかっただろう。

私が最初にコンピュータらしきものに触れたのは、デザイナーをするならコピー機という事で、1987年頃の高校生の時にアルバイトの報酬などで買った小型コピー機だ。当時は約5万円した。

これは近年まで身分証明書のコピーなどでセキュアに使えた。だがネットのみで口座開設などの方が、配達員が勝手に捨てる封書よりも安全だ。身分証明書を成人向けな雑誌やタバコなどを売るコンビニでコピーするのと、ガラス越しに隠しカメラを設置し、暗証番号を盗撮できるATMで現金を出金するのは怖い。

また当時は珍しかったS端子付きのブラウン管のテレビも、15インチで約8万円で購入した。これは今でも数千円の地デジチューナーで地上波やTVゲームは見れる。しかし今でもこのブラウン管のテレビで、数百円のコードだけでパソコン画面が表示できると誤解している人がいるが、数千円の変換機を使わないと表示できないぞw

そして1991年頃にグラフィックデザイン科の講師に、写植代わりにワープロを買えと言われ、20歳ぐらいの頃に買った。だが今考えると、1992年頃の就職活動で絵の具とワープロの文字の紙作品を持ってくるのは「学校は体質が古い」と会社で言われ、「これからはMacDTPの時代」だと言われた。

そのとおりで、たしかCI(企業のアイデンティティなシンボルマークなどを作る)などの広告系を教えていた講師(現在は学長)に、それを言ったのだが、適当に否定された。周りの同級生は卒業の日に「学校生活は無駄だった」と言っていた。

そのとおりでお子さんがいる人は、今なら中卒でネットで起業をお奨めする。今のネットな時代は面白い個人が注目され、専門的だがつまらない数多くある企業なCIやWebサイトなどは注目されない。

Macとはマッキントッシュという、当時だとパソコンとOSが両方ともアップル社が販売しているセットマシンであり、DTPとはデスクトップパブリシティングという出版作業がパソコンで出来るようになったという事だ。ただし今は出版不況という紙書籍はオワコンな時代なので、DTPも音楽編集なDTMほどは重視されていないだろう。

私がMacを最初に触ったのは、そのグラフィックデザイン科の学生の頃に、焦り知人にMacの基本操作を説明する無料セミナーを紹介してもらった。その当時の某大手カメラメーカー販売のMacの基本操作の本は、白黒なコピー紙を集めた感じで、百ページぐらいで約1万円もした。

セミナーも無料以外のものは相当な値段がしたので、受講しなかった。それはMacを購入しようと思いしなかった。今もパソコンを買わずに、パソコン教室に行くという無駄な事をする人が多い。そして就職先もパソコンを使う会社を探した。私は1993年に卒業し、知人の紹介でソフトウエア業の会社に入社し、広告制作会社に出向で行った。

そこではチラシや商品パッケージの作成などで、Macのイラストレーターやフォトショップなどを使い作成していたが、私はパソコンを使ったのは、無料セミナーの一回のみだったので、そこで数日教わった程度で、後は紙仕事だった。しかし月給が10万円で、しかも1ヶ月で5万円の分割払いという酷い状態だったので、すぐに辞めた。

またここではファイルメーカーというデザインとは関係が無いソフトウエアの使い方も教わった。しかしファイルメーカーはその後のホームページのHTMLと共通している事があるので、少しは役に立った。起業すると表計算やプレゼンソフトの知識は無駄だが、HTMLタグとオタクよばわりなアニメなどのイラストをPCで描く知識だけはあると得だ。貧乏な馬鹿ほど浪費し、金持ちの利口ほど節約をするからだ。

この頃はパソコンオタクと呼ばれる以外の大多数の人は、パソコンさえ持っていなかっただろう。1993年頃に入社したソフトウエア業の社長でさえも私がMacを個人で買うと言ったら、「(高値なのに)凄い事を言うな」と言っていたくらいだ。だがその社長は、会社は都内で給料は遅配したのにホテル住まいという、訳の分からない人だった。

そして1994年頃に、ホームページの作成の会社にアルバイトで入社した。当時はバブル崩壊のデフレ不況で、その大手求人雑誌の求人内容は「イラストレーターを募集」とだけで、ホームページやインターネットがどんなものか、よく分からなかった。

しかし入社の数ヶ月前にMacを自分で購入していたので、インターネットは知らなかったが、主に文字だけで交流する通信である、パソコン通信は利用していたので、少しは分かった。

またMacを購入し、Macでイラストやアイコンなどを誰にも習わずに自分で書籍などで無料なソフトウエアや画像を集めて作らなかったら、この求人も合格できなかったであろう。1994年頃は時給千円のイラストレーターのアルバイトでさえ合格できる人は、40人中1人という買い手市場の氷河期だった。今もイラストはケチられるが…

1994年に私が最初に買ったパソコンは、MacOS7.1のパフォーマー575というブラウン管画面とパソコン本体の一体型だった。MacはOS9までは擬似マルチタスクで以降のXなどはLinuxベースだ。

擬似マルチタスクの方が速い場合もあり、外部ドライブからOSやアプリケーションのコピーを起動できて便利だった。だがアプリケーションが暴走すると、命令を聞かない重大な欠点があった。しかしBeOSなどの無料のOSもあり、MacのSCSIの内蔵HDDの書類をWindowsに直接コピーする場合は役に立った。

Mac575は家電販売店で約16万円で購入した。その頃の他のパソコンは約40万円ぐらいはしたが、Mac LC(ローコスト)というマシンに、OSを起動すると子供向けにアプリケーションしか起動できないアットイーズというメニューのアプリケーションや、他にも複数の安値なアプリケーションを付属させたハンドル版というセット商品だった。この当時は複数のアプリケーションは買いづらいのでセットで買った。

当時のMacにはハイパーカードというHTMLを思わせる、個人がゲームなどを作成できるソフトウエアがあり、それなりの数の無料なソフトウエアや素材の写真や音声などがMacの雑誌などの付録になっていた。パソコンの多くの書籍などはMacが多かった。他のOSはMacほどのグラフィックなどのGUIな操作がしづらかったからだ。

当時はパソコン通信もインターネットもあり、ダウンロードが出来たが、通信費(電話代)が高かったので、千円の雑誌でも、まとめ買いの方が安上がりだった。1995年頃にホームページを作成するとなると、この方法の方がネットよりも安上がりだった。基本的に私はホームページ作成もプログラミングも自分で書籍を買い覚えた。

そして1994年に入社した広告制作会社では、イラストレーターの求人なのに、1ヶ月間で知らないHTMLを覚えホームページを作れや、ビデオテープのダビングや電話受付などの、イラストとは関係が無い仕事をさせられたので、私もうまくいかずに、会社の人に辞めろと言われたので辞めた。

その会社に入っていた時に、マック・ワールド・エクスポという名前のMacを紹介する博覧会が幕張でやっていると、知人に奨められたので、私は休日に自費で電車で往復4時間ほどかけて行き、3Dソフトの体験版ソフトが当たった。その会社では現場のリーダーが「デモ版かよ…」という評価をしない発言だった。

当時は体験版といっても、高価な3Dソフトというと貴重な物だったが、今は貴重ではないと思う。当時でもTV局が3Dで無駄に金をかけていると言う中小企業の社長もいたし…今は著作権無料の3D画像はネットで多くある。また今でも大企業はイラストなどの購入を、ケチる傾向は直っていない。更に労働では儲からずに、投資こそ儲かる。

そして当たったデモ版の3Dソフトは私のMacパフォーマー575では「コプロセッサがありません(だったはず)」という警告表示があり使えなかった。これはプロセッサの部品を増設するか、高値で後継なPowerMacを購入しないと動かなかったらしい。

Mac575のスペック自体がHDDが320MBで、メモリーが32MB程度なので、せいぜいイラストレーターとフォトショップとWebブラウザのネットスケープ(ファイヤーフォックスの前身)は使えたが、同時で使うとフリーズを起こし止った記憶がある。そこで仮想メモリのアプリというのも販売していたが、たかがしれていただろう。

イラストレーターとフォトショップはギリギリに、アニメのセル画なレイヤーを使えたバージョンだった。ただしフォトショップだけ使用でも、機能により止まった。上記のヘッダー画像は、Mac版のネットスケープというWebブラウザの画像を、1994年にプリントアウトし、それを2014年製造で去年の3月に約2千円で買った中古スマホで撮影したものだ。ちなみにそのスマホは、今でも故障無く使えている。

この当時のソフトウエアなどは今と違ってボタンなどは絵的ではなく、原型な英語表示も多かった。また当時のWindowsの書類名の表示可能な規格が8.3(書類名と拡張子の文字数)のみだったので、Macでもそうしろと言われ面倒だった。更にWindowsではDTPなどが出来なかった。

しかしFDをWindowsの形式にフォーマットするには、Macの方がしやすかったという状態だった。またホームページなどの書類を表示する、WebサーバーのOSのUnixは、大文字と小文字が書類名とHTML内のソースと違うと認識しなかった。これを専門家である電話会社でも似たような原因で、大規模な通信障害を起こしていた。

私のようにほどんとは紙仕事をさせられたイラストレーター兼デザイナーで、ITやWindowsなどはまったく教わっていない私ら団塊Jr世代は、IT無知なソフトウエアハウスな企業などでは、デザイナーがLinuxでWebサーバーを立てろなどという、目まぐるしい急変で苦労させられた。

そしてさすがにHDDも私は特に大容量な写真を保管するデザイン業で、Mac575のHDDだと、すぐに満杯になったので、USBの前身なSCSIケーブル接続の4GBのHDDを約4万円で、秋葉原の当時の大型PCショップ(今は倒産)で購入した。SCSIとは1台のパソコンに周辺機器が7台程度しか繋げない規格で、WindowsOSのNT 4ぐらいまで続いた。

私が始めてインターネットを使ったのは1994年頃だ。最初に買ったMacパフォーマー575で、ダイヤルアップモデムという固定電話で、プロバイダーのアクセスポイントにTCP/IPの前身なTCP/PPPで接続し、通信費用はプロバイダーの使用料の他に電話代がかかった。23時以降に毎日2時間使用だと1ヶ月で約1万円はした。

この接続さえもTCP/PPPの無料のソフトウエアを探すなどの面倒さがあったが、他人には教えてもらえずに、自分で雑誌で調べた。今のネットで検索するのも知らずか面倒臭いのか、無料で他人に聞きたがる奴というのは図々しく思える。今は1994年頃までと比べると、非常に楽で便利でお得な時代だ。

だが1995年になると、Mac全盛の時代を一変させる事態が起きた。それは…

次回に続く


以上

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