僕に文章のイロハを教えてくれた恐怖の先輩前編

「誰に文章を教わったのか」

そう聞かれて真っ先に思い浮かべるのは前職の広報部で働いていた時に指導いただいた一人の先輩だ。

名前を板垣さんという。

前職には僕よりも少し(2歳〜5歳くらい)年上で、「この人には敵わない。。本当にすごい!」と思わせてくれた先輩が3人いた。(その話は別途別のノートで書く)

板垣さんはそのうちの一人である。文章を教えてもらったというけれど、おそらくそれは多くの人が想像しているような光景ではない。何しろ、一緒に働いた2年間。僕は板垣さんとまともに会話したことがないからだ。

とにかく怒鳴られた記憶しか残っていない。

10回会話をしたら9回くらいは一方的に怒鳴られていたように思う。「ふざけんなよ!」「いいかげんにしろ!」「こんなクソみたいなこともできないのか!」2年間でありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられ続けたように思う(笑)。

板垣さんと最初に会話した時のことは明確に覚えている。

赴任して2日目。別の先輩Aさんに「このメールを板垣くんに転送しといてくれる?」と言われた時のことだ。

当時、まだ素直だった僕は何の疑いもなくAさんの指示に従ってとあるメールを板垣さんに転送したのだが、送った10秒後くらいに僕の電話がなった。受話器をとった瞬間、「おい・・」というドスの効いた声が響く。そこから怒涛の”詰め”が始まった。

・このメールのとおりに行動すれば問題が生じる
・その点について送付者であるお前はどう考えているのか?
・何か代案があるということか。それならばそれについて聞かせてほしい。

僕は先輩から言われたとおり、メールを転送しただけ。
事情もわからずただただ板垣さんの怒鳴り声を聞いていることしかできなかった。しばらくして、板垣さんは電話の相手が”何の事情も知らない””全く戦力になっていない”ド新人であることに気づいたらしい。

「ああ。。そっか。。」とため息まじりに言い、僕にメールの転送を指示したAさんに電話を代わるよう求めてきた。

隣の席に座っていたAさんと電話で話す板垣さんの声が受話器越しに聞こえてくる。板垣さんが10歳くらい年上のAさんを怒鳴りつけていた。

「Aさん!こっちは真剣に仕事してるんですよ!今マジで秒単位で余裕がないんです!そんな時に何も知らんような素人にメール送らせんでくださいよ!!」

そこから、板垣さんによる僕のなじられ人生がスタートする。一日に一回は必ず罵倒された。かかってきた電話の相手先で「板垣」と表示されただけで動機が走った。

そんな状況にも関わらず、僕は板垣さんが好きだった。なぜならば、仕事で絶体絶命のピンチに陥った時、必ず助けてくれたのは板垣さんだったからだ。

普通のピンチの時には、彼は何もしてくれなかった。それどころか「宿題」を追加し、余計な負荷を与えたりもした。ただ、数ヶ月に一回の周期で訪れる顔が青ざめるような”絶体絶命のピンチ”の時には必ずといっていいほど助けてくれた。

「おおw、なんかお前今大変らしいな。”たたき台”作っといてやったからこれを元に”踊ってみろ”」

こんな感じのことを言って助けてくれたように思う。”絶体絶命”の修羅場にいた僕にとって、この助けは比喩ではなく涙が溢れるほどうれしかった。

板垣さんにはどんな修羅場をも切り抜ける”実力”があった。広報部なので、文章がかけなければお話にならない。ただ当たり前だが、人によってその技量には差があった。僕が見たところ、板垣さんの技量はその時代のあの会社の広報部でトップを行っていたように思う。

165cm、体重110キロ、大学時代は体育会系の柔道部(余談ながら、たまたま板垣さんと僕は同じ大学の先輩後輩だった)所属。雰囲気は少し前に柔道無差別級で活躍した棟田康幸選手に似ている。

(こんな感じ。。雰囲気は。。。)

そんな外見から想像もできないほど、彼が書く文章は繊細でロジカルだった。広報部の報道対応チームの仕事はプレス文書とQ&A作成が主なので、基本的に書く文章が”味気ない”。起きている事象をありのまま伝えることがミッションで、読み手の解釈に違いがあってはならないからだ。

没個性的で書き手が誰なのかなんて普通はわからないはずなのだが、彼の書いたプレス文書やQ &Aは読んだ瞬間に「これ作ったの板垣さんでしょ」といった具合で僕にはすぐに分かった。

端的で冗句が少なく、それでいて必要な情報が全て網羅されている。かといって無機質ではなく、文章の並べ方は読み手の感情を配慮している。まさに完璧で隙が見当たらなかった。しかもそれを書くスピードが尋常でなく早い。一体どういう頭の構造をしているのかと常々思っていた。

僕の文章も度々赤を入れてくれたが、赤入れ以前と以後の差は圧倒的で、毎回打ちのめされていた。余談だが、赤入れで打ちのめされるような経験をさせてくれたのはこの板垣さんと箕輪編集室のオーナー、箕輪厚介さんの2人だけである。

いつしか、僕は板垣さんの書いた文章をつぶさにチェックし、真似るようになっていた。

続くw

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