灰羽連盟のコピー

令和に残したい名作アニメ ”灰羽連盟” 〜人生でドツボにハマった時の抜け出し方〜

どーも。柳田です。

平成最後の日に少し硬めの文章をがっつり書こうと思ったのですが、予定変更。謎にアニメの紹介です。

令和に残したいアニメと聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?

ドラゴンボール、スラムダンク、ハンターハンター。。。多くの名作が生まれたのが平成という時代。人それぞれに思い出話があるはず。まあ、有名作品は勝手に残るので別にほっといていいでしょ。。。今回、僕が紹介するのは『灰羽連盟』という作品です。

・・・知っている人がいたら神認定。なかなかのオタクだと思う笑。

村上春樹の小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の影響を色濃く受けたこの作品は、2002年、フジテレビの深夜枠、全13話で放送されました。当時もそこまで話題になったわけではない作品ですが、そのクオリティの高さ、メッセージ性、独特の世界観に当時学生だった僕の心は釘付けになりました。(本当に令和に残すべき名作だと思う)

ちょうど僕が人生に悩みまくっていた頃なので、そんな僕の心境と主人公の葛藤がマッチしたのかもしれない。

灰羽連盟の美しい世界観

物語は、一人の少女が空から落下しているところから始まる。おそらくは夢の中。どこに落ちていくのかもわからない。少女はひたすら落ちていく。一羽のカラスが少女を懸命に引っ張りあげようとしますが、落下はとまらない。少女はそんなカラスを力なく見て言う。

「無理だよ。でも…ありがとう…」

今思えば、このカラスの存在が作品の重要なキーワードだったんですね〜(遠い目)

彼女は繭の中で目を覚まします。過去の記憶はありません。繭から出たそこには背中に飛べない灰色の羽を持つ、「灰羽」と呼ばれる少年少女がいました。

「繭の中でどんな夢を見た?」ーそう聞かれた少女は「空を落ちる夢だった」と注げます。その夢の内容から、少女は「ラッカ」と名づけられました。

ラッカは同じ灰羽の仲間たちと四方を高い壁に覆われたグリの村のオールドホームと呼ばれる場所で穏やかに暮らしていくことになります。いつの日にか壁の外へ巣立つ日が訪れる時が来るまで。

作中はっきりと語られていないのですが、どうもこの「灰羽」は、不幸にも幼くして亡くなった少年少女たちで、グリの町は死後の世界ということらしいです。そして繭の中で見た夢は死んだ時の情景とのこと。(例えば「ラッカ」はおそらく飛び降り自殺したから「ラッカ」、「レキ」は轢死のレキ。「クラモリ」は暗い森で亡くなったから等等。。)

このあたりはキリスト教からインスピレーションを受けているため、考察してくとメチャメチャ面白い。(灰羽=自殺した子供、グリの村=煉獄等)

※煉獄:天国には行けなかったが地獄にも墜ちなかった人の行く中間的なところであり、苦罰によって罪を清められた後、天国に入るとされる。

「罪を知るものに罪はない。では汝に問う。汝は罪人なりや?」

物語は主人公の「ラッカ」とそのメンターの「レキ」、ふたりの灰羽を中心に展開します。

てか、このレキこそが第二の主人公であり、『灰羽連盟』はレキの魂が救済されるまでの物語なんですねー。

ラッカとレキは「罪憑き」と呼ばれる灰羽で、他の灰羽とは違う業(カルマ)のようなものを背負っていました。いわゆる闇落ちです笑。(詳しくは本編見てくれw)

物語中盤、とある事件がきっかけでラッカは自分は必要のない人間だと考え込むようになります。

「だめなんです、私できそこないの灰羽だから」「私の居場所なんて、どこにもない。」「私なんて、いなくなっちゃえばいいんだ」

黒く染まっていく羽を自ら切り落とす自傷行為。殻に閉じこもり、自分を否定する、いなくなりたいと思う。それがここでいう「罪」だとされています。『罪憑き』は『巣立ちの日』を迎える事は決してなく、やがて誰からも忘れ去られてしまう存在になるとのことです。

どうすればいいのかわからなくなっているラッカに対して、とある話師が一つの謎掛けをします。

話師:罪を知るものに罪はない。これは「罪の輪」という謎かけだ。考えてみなさい。『罪を知るものに罪はない。では汝に問う。汝は罪人なりや?』
ラッカ:わたしは繭の夢がもし本当なら、やはり罪人だと思います。
話師:ではお前は罪を知るものか?
ラッカ:だとしたらわたしの罪は消えるのですか?
話師:ならば、もう一度問う。罪を知るものに罪はない。汝は罪人なりや?
ラッカ:罪がないと思ったら今度は罪人になってしまう。
話師:おそらく、それが罪に憑かれるということなのであろう。
ラッカ:罪のありかを求めて同じ輪のなかを回り続け、いつか出口を見失なう。どう答えればいいんですか?
話師:考えなさい。答えは自分で見つけなければならない。

うん。。よくわかんないと思う笑。でもこれなかなかいい話。

ここでいう「罪」は「自己否定・自傷行為・劣等感」というニュアンスです。置き換えて考えるとちょっとわかりやすくなる。

要するに、『自分は罪人です』と答えた場合、『罪を知る者』になるからその人は罪人じゃなくなる。しかし、『自分は罪人ではない』と考えた瞬間、『自分の罪を認めない罪人』になってしまう…。

『罪の輪』とはいわゆる矛盾の循環のなかに自分を押し込めてしまい身動きが取れなくなってしまう状態のことです。『自分が罪をどう認識しているか』だけでは、自分の内に抱え込んだ罪は変わらない…。この矛盾を解かない限り、「罪の輪」という循環からいつまでも抜け出せず、闇は深くなります。

他者が介在することによって、無限ループから脱する

結論からいうと、ラッカもレキもこの『罪の輪』から脱する方法を見つけ出し、レキが「巣立ちの日」を迎えることで物語の幕が閉じます。

自分の罪を自分で許すことはできない。だから誰かに許してもらうことで自分を許すことができる。自分を否定する者を肯定できるのもまた他の誰かだけである。誰かに肯定されて、自分を肯定できるようになる。

レキは悲しみと絶望の中鉄の轍に身を任せた。何も感じない石ころになってしまいたい、というほどの強い自己否定は灰羽として祝福されても残り、繭の夢を曖昧にし、レキは『罪憑き』となってしまった。そして心の底からの助けの声をラッカに答えてもらえたことで自身の存在を肯定し、『巣立ちの日」を迎える。

という話。このあたりはキリスト教のマタイ複音書の影響を受けているので興味ある人は調べてみるよろしw

求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。byマタイ複音書

僕の20代はほぼほぼ悩みの日々。出口のない迷宮に彷徨んで毎日吐いた。で、結局ひとりで考えていてもそこに救いはなかったのだよね。。。結局のところ。。

人生長く生きていると、自分で自分を追い込みすぎて、もはやどうしていいのかわからなくなったり、出口のない袋小路に追い込まれてしまうことがあると思うんですよね。そうなった場合、解決策は自分にあるのではなく、周囲や他者の介在にあるという話でした。

で、良質な周囲や他者からの介在を招くのも、結局は自分ということになるのだけれど、それはまた別の機会に。。

とりあえず、興味あったら『灰羽連盟』見てくださいw。決して損はしない作品です。結構ネットに転がってたりする。とりあえず一話貼っとくわw。




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