舞台での表現方法に感動!

 キャラメルボックスという劇団の、「スロウハイツの神様」という演目を見ました。

 今まで小説や映画、漫画は触れてきましたが、演劇はほとんど見てきませんでした。
 高校生の時に同じキャラメルボックスの「時をかける少女」を見て、小学生の時に学校に来た劇団の「べっかんこ鬼」を見たくらい。

 何で今回演劇を見に行こうと思ったかというと、「スロウハイツの神様」の原作が大好きだからです。
 辻村深月は凄い、これは言わなくても分かりますよね。分からない? じゃあ、まあ、一言で言うと直木賞作家です。
 大好きな辻村深月の作品の中でも、特に好きなのがスロウハイツの神様。脚本家や小説家、漫画家たちがスロウハイツというアパートでシェアハウスする話です。
 読んでない方は、一回読んでください。黙って取り敢えず読んでください。それかキャラメルボックスの劇を観てください。31日まで池袋のサンシャイン劇場でやってるので。

 この劇を見て、僕はひどく感激しました。
これまで僕は演劇というのを、どこか甘く見てたのかもしれません。映画の下位互換みたいな印象でした。そのイメージが、完全に覆りました。

 そもそも演劇ってのは、

 映画と同じ土俵に立ってない

 んですね、勘違いしてました。
 表現方法がこんなに違うなんて……お見それしました。

 僕個人が感動した表現を、一つ一つ書いていきたいと思います。今回は脚本の内容については触れませんが、ネタバレとなる箇所があるので、気になる方は実際に観てきてから読んでください。それか、原作を読んでください。講談社文庫から出てます。書店にはほとんど置いてると思います。


語り部としてのお祖母ちゃん

 小説では当たり前にあるのに、舞台では表現しにくい地の文と呼ばれるところ。辻村深月のみならず、ほとんどの作家さんが一番持ち味を出すところ。原作スロウハイツの神様でも、とっても重要な箇所です。

 キャラメルボックスの劇では、赤羽環(今作の主人公、以下環)のお祖母ちゃんが、その役割を担ってました。
 途中まで、そのお祖母ちゃんが何者なのか、何故神の視点からキャラクターの心情を語るのか、全然説明がなされませんでした。が、中盤でそのお祖母ちゃんが、数年前に死んだ環の祖母で、孫が心配になって今でも見守っているのだという設定が、彼女自信によってなされます。

 原作の良さを舞台上で最大限に表そうとする、脚本の意思を感じました。

照明によるシーンのカットと演者による世界観の維持

 スロウハイツの神様では、舞台中央に大きくアパートのロビーのセットが置かれ、その右手前と左手前に何も置かれていない空間があります。
 作品に最も登場する場所が、勿論ロビーのセットです。スロウハイツの住人たちがそこに集まり、会話をして物語が進んでいきます。そのセットの手前は、シーンの移り変わりのタイミングでテーブルや椅子といった小道具が運ばれ、ロビー以外の場所が表されています。

 照明はそのシーンのメインとなるキャラクターに当てられ、その他の場所は暗くしている。小道具の移動や演者のスタンバイが、暗い場所で行われているのは見えますが、スポットと演技によって観客の視線をコントロールします。
 しかし、そうは言っても観客が舞台のどこに注目するかは自由です。映画のように、観客全員が同じものを見てくれるわけではありません。現に僕は別の場所を見ていました。

 スポットの当たっていない場所に居る演者をふと見てみると、何とそこでもちゃんと演技をしているではありませんか! そうです。観客が舞台のどこに視線を送っても、世界観が壊れないように、暗い場所でもキャラクターが、世界が動いているんです。
 シーンの移り変わりで、キャラクターがはける時も、セリフは無くてもしっかりと演じながら居なくなります。キャラクターが生きている世界を、凄く丁寧にディテール細かく作っているのが凄かった。

 強烈に印象に残っているシーンがあります。
 舞台右手前の空間にスロウハイツの三階という場所が作られ、そこにスポットが当たっているシーンです。中央のロビーには光が当たっていませんが、別のキャラクターが二人残っています。そして、三階でキャラクターが倒れます。バタン、という音が、会場に響き渡る。すると、ロビーに居る二人が、反射的に上を見上げるのです。
 そう、舞台を平面でとらえれば、倒れたのは右手前で、音を聞いたのは中央の奥です。しかし、その作品の中では手前は建物の三階、中央は一階。キャラクター達には、しっかりと縦方向に立体感があるのです。

 これはどこに目線をやっても良い演劇ならではの表現方法だと思いました。

舞台でしか出来ない人物誤認トリック

 ここはゴリッゴリにネタバレになるので、ご注意ください。

 まず前提条件として、この舞台に役者は十一人しか出てきません。しかし、キャラクターの数は端役を含めるとそれを遥かに超えます。
 一番最初のシーンで、キャラクターの一人である千代田公輝が、囲み取材を受けます。主要なキャラクターを演じる役者も含め、記者となって彼を囲んでいるのです。
 演劇をずっと前から親しんできた人には常識だと思いますが、このシーンの役割は、「この舞台は一人の役者が複数のキャラクターを演じることがあります」という注意なのです。もちろん、シーン自体もストーリーに深くかかわってくるものですが。

 さて、問題の場面を語ります。
 主人公のが、過去の回想の中で、高級なケーキをサンタのコスプレをしたコンビニの店員に、落としちゃったからあげるよと言われ貰うシーンがあります。そのケーキは環にとって、凄く思い入れのあるケーキで、大好きな小説家、千代田公輝の作品内に登場するものなのです。
 さて、この千代田公輝、スロウハイツの住人です。若者から絶大な人気を誇る、スロウハイツの神様。彼の過去回想が、ラストに出てきます。これがクライマックス、オチです。

 実はそのケーキを渡した店員は、千代田公輝その人だったのです。

 本来なら驚くに値しない事です。何故なら、サンタのコスプレをした店員を、最初から同じ人がやっているのだから。しかし、観客の誰も、その店員が千代田公輝だと思っていた人は居ないのです(原作や、前に見たことある人以外)。
 これは凄い事です。ほぼ答えのようなヒントが与えられていたにも関わらず、演劇を見にきている観客の、いわゆる暗黙の了解によって、この誤認トリックが成立しているのです。

 これが僕は一番感動しました。よくぞ舞台でそれを表現してくれた!
 小説では文章なので、ビジュアルや声は分からない訳ですから、違う人だと文章で説明されれば読者はそれを疑わいません。辻村深月含め、一部の作家はそれを逆手に取り、読者を騙すのです。
 でも、この仕掛けは映画じゃ出来ません。役者が同じなら丸わかりですし、話しているキャラクターに注目されるような一つの画面を作り上げるのなら、なおさらです。

 舞台だからこそ許された一人多役。許されることを逆手に取ったトリック。改めて演劇は凄い!


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