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「なんでこんなことも出来ないの?」ってのは、やる側にとっては案外難しい

これ、世の中で結構あると思うんですが。

なんでこんな事もできないの、とか、コレくらいできるでしょ、ってのは結構出来ないのが普通だったりします。

あ、画像は飯テロです。
イラストでも良かったんですが、夜中に見て楽しそうな方を選びました(

それでですね。
世の中って見回してみると、意外と「こんなこともコレくらいもできない」のですな。

自分ができると当たり前だし、他人が出来ないともどかしい。
それでいながら、自分でうまくいかないのも歯がゆいし、他人にそれ言われるのも色々とアレなわけで。

人間、自分に甘く他人に厳しく、なかなかうまくいかんものです。
もしくは、不必要なまでに自分に厳しく、持ってるものの大きさに気が付かないまま、他人を羨ましげに見上げるだけです。

それをじっくりゆっくり時間をかけて鍛えながら一つずつ調べていくのが基礎だったりします。
ですが、またこの基礎が難しい。

「あの人はいろんな才能があるなーいいなー」と思える場合、だいたいそういう基礎の練り方を知ってるだけなんですな。

基礎には、基礎って言うだけあって、‏ある種の基本的共通性があります。
それもそのはず、いろいろな物事の中から「とりあえずこれだけやっとけ!」って感じで余計なものを長年かけて削ぎ落とされて出来たものが基礎です。

なので、基礎すごいし基礎は大変。
世の中の究極のコツが基礎です。キングオブコツ。

なんかすごい人に「コツはありますか?」っていうとだいたい基礎の断片を教えてくれるぐらいにはコツ。

ただこれ、昨今の世の中では案外誰も教えてくれないとか学ぶ機会がまったく無いことあってですね。
他人の手順を同じようになぞる、他人に合わせる、もしくはただひたすら作業をたくさんする以外の学習法を知らない人もたくさんいます。
しかも、余計なものを削ぎ落としてあるんで、基礎そのものって結構地味でつまんないという。

本来は、トライアルすることでエラーを確認して修正して検証する繰り返しなんですが、まあ、資料を見ずにエラーを放置して、自己フィードバックもないまま壁打ち気味に作業を続け、気をつけるぞと思いながら同じエラーを繰り返すものです。
失敗するときあるあるです。

なので、そんな原因で出来なくて悩んでるときは、物事の概念そのものを変える必要があるんだけど、コレがまたなかなか難しい……おのれ。

で、そういうときに「感じたままやればいい」だの「コレくらいできるでしょ簡単でしょ」「なんでできないの」っていわれたりとかありまして、自分は社会にいちゃいけない不適格者なんじゃないかってどんどん落ち込みやすいスパイラル。

これ結構不幸なすれ違いでそうなることが多いので、そういうとき、手順をイチから丁寧に見直すの結構大事だったりします。

もともと、なんとなくやってうまくいかない時には、学習方法そのものの復習が甘くなってるのがほとんどなのですな。

困ったら地図のあるとこまで戻る。どこかに置き忘れたものを探すときには、面倒でも全部イチから丁寧に見直す。
それだけのことなんですが、コレが脳内の物事になるといきなりできなくなりまする。

これ、結構素直で真面目な人ほどこの辺でハマってややこしくなりやすいこと多いです。
まず、真面目で一生懸命な視点だけではうまくいかないことがあるって知ることと、覚え方には手順があることを知ると結構便利なんじゃないかなーと思います。

マジで年齢行くほど誰も教えてくれないんで。
ついでにいうと聞きにくさなんかも出てきます。

基本的にはまず、出来ないことを恥ずかしいとか悪いとかあまり思わないこと。
そして、教える側もまずはあまりそこを指摘しないことです。

出来ないことは出来ないに決まってるし、知らないことを知ることは出来ないのでそれは悪いことじゃないっす。
運悪くそこに出会えなかったのは割と本人の責任じゃないことが多いので。
運が悪いだけのことをことさらに指摘する必要もされる必要もないし、運が良かっただけのことで他人に偉そうに言える身分でもないのですな。

わかんないときってマジで身動き取れないんで。

ホント真っ暗闇で光もない密室に閉じ込められた感じの気持ちになるので、そういうのを自分で自分自身に対しても揶揄しないであげてください。
知らないことは知ればいいだけでことは恥ずかしいことじゃないんで。

昔は、誰かからそういうことを聞く機会も今よりあったんですが、昨今はそういう話をしようとするとだいたいネガティブに取られる場合も多かったり、そもそも概念にないことを受け入れにくいなどの理由もあって情報断絶しつつあります。

実際、話す側にスキルが無いと本当にどうでもいい小言だったりただマウントして経験談を語るだけになることも多いんで、パワハラみたいになったりもします。

一部のいい人は、それでもちゃんと丁寧に言ってあげたいときなんかもあって、申し訳ないけど聞いてもらいたいってときもあります。
それでも、話を聞く側がなんか恐縮がったり劣等感的な感情を刺激されてるようで辛いとかなっちゃうんで、なかなかむずかしいのですけども。

結構そういうの通ってきてる側からすると、わかるけど言うしかないよなとか見守るしかないんで、そういう機会があったら、恥ずかしいと思わずに結構話し込んでもいいかもしれませぬ。

案外受け止めてくれる人は世の中に相応におりますよ。

本来、飲みニケーションて上司の接待じゃなくて、仕事上ではなかなか話せないけど人生に役立つことをお互い話すとか、いたたまれない感情を上司に受け止めてもらうとかそういう場だったはずなんですけどな。
でなきゃ、酒の席で部下は上司かまう必要ないですからな。

まあ話が少し脱線しましたが、困ったら基礎、考え方の基礎を学ぼうって覚えとくといいです。便利。

なお、結構めんどくさいのが「同じことをわかるまで言う、繰り返す」必要があることでして、言う方も言われる方も面倒ですが絶対必須。

上手く行かない側にしてみれば、もともとそういう考え方で人生過ごしてきておりまする。
習慣でやってしまうので、長年、生き方の概念になかったものを理解するのって「人生を見つめ直す旅」になります。

この程度のこと、とお互い思わないようにしましょう、それができなくて苦労してるので。だいたい何度も繰り返すし何十回何百回になる場合もあるんで。

だってほら、冷静に考えてみると、我々って「歩き方」もよく知らないんですな。

例えば、足を怪我して長期療養の後のリハビリの時には、もはや歩き方もよくわからないわけです。
体の効率のいい起こし方や動かし方すら知らずに生きてるんですな。

こんだけ毎日歩いてるのにもかかわらず、競歩の選手や、キャットウォーク、登山で楽な歩き方やニンジャの歩き方など、いろいろな歩き方の種類も知らないまま、一人前の顔して歩いてるわけです。

なので、案外普通は尊いし当たり前でないので、普通は案外難しいです。
飛び道具より必殺技より普通大事。格闘ゲームでも必殺技連打でなく、まずは基本技の立ち回りからです。

そして普通を維持するって結構大変で、ちょっと流通乱れるだけでコンビニからモノなくなるぐらいにはみんなの力で成り立ってます。

困ったら基礎。
だいじ。

基礎をいかにして面白く飽きずにできるか、というのが向き不向きのひとつだと思うくらいには。
ゲームとかそういう成功体験チュートリアルの仕組みよく出来てますよなー。

あ、おまけ。
コレ超大事なんですけども

なんかうまくいかないときに「絶対に直さなきゃ、変えなきゃ、守らなきゃ」ってのは忘れてください。アウト。

はっきりいいますが、どんなに気をつけててもだいたいやります。
気をつけててもやるので困ってるわけで。
むしろやらかしていいので、やったときにフォローする方法を学んでください。
失敗前提で失敗大事。死に覚えゲーって前提でひとつ。

あ、次回この辺を言及しようかしら。

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