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コンテンツってのはコミュニケーションだったりする話

コンテンツ、というとまあ普通に作品とか記事なわけですが。
それを作る時、もしくは見る時、ちゃんとコミュニケーション、ということを考えてますか?
という話。

なんじゃいそれ、そんなん好きなように作るし楽しむわー!というのはごもっともなんですけども。

案外そういうものでもなくて、作品ってのは基本的に手紙と同じ性質のものだってことです。

もちろん、自己表現として「コレ形にしておきたい」とか「発散したい」ってのもあります。
ただそれは自己表現が主体であって、見てもらうのは二次的三次的な要素ですので、今回は省きます。
(そのうち、そのへんについても書きますけども)

まあ端的に言いますと、他人に見てほしい場合って、誰かの思いを託された手紙を読むのと同じなんですよ。
コンテンツって言う名前のついてるものはだいたいそうだったりします。

物質的な価値で言えば、手紙と変わらないものでしかないんです。
ぶっちゃけ中身に興味なければゴミの日に捨てられちゃうものです。
(だからコレクション捨てるだの捨てないだのって話にもなったりするんですが)

でも、その手紙も、学校などの企画で、未来の自分にあてたタイムカプセルからでてきた手紙だとしたらどうでしょう?
少なくとも、興味はある場合が多いんじゃないかなと。

どう考えても日常生活上使うものではないですが、その手紙の中身に込められた思いは気になっちゃうからです。
コレがコンテンツです。

要は、物質に依存しない付加価値をユーザーが感じる物事です。

なので実際に物理的な価値があるのかと言えば、無いです。
っていうかあんまり関係ないです。
あるのは、自分がそれを知ることでえられる精神的価値です。

つまりひとことでいえば
俺の人生にとってコレはだいじだと思った
ってことに尽きます。

■コンテンツは誰かに向けたコミュニケーション

コンテンツは、誰宛てなのかというのがものすごく重要でして。

コミュニケーションである以上、誰かに宛てた関係性が存在するものになります。
不特定多数に向けて自分が好きなことを勝手に話すのではなく、誰かに向けて「他人がどう思うだろう」という反応を考えながら対応するものになります。

コレがあるものがエッセイや作品であり、ないものが日記です。

個人的な感想を他人が理解できる形に変換するのがコンテンツ。
個人的な感想を個人が言うだけってのが日記。

もちろん後者でも、話し方や個人そのものがコンテンツと化してる人がいて、そう言う場合には成り立つんですけども、どこの誰が書いてるかもわからないモノにそんな物はあまり期待できません。

コレはすごくコンテンツと日記を分けるものになるので、覚えておくと便利だと思います。

ってことで書く側と読む側に分けて説明しておこうかなと。


◎書く側が知ってると便利なこと
書く側として困っている場合には、まず変換を学ぶといいです。

書いても書いても見てもらえない、自分ではこんなに素敵なこと書いてるつもりなのに!

って場合、そもそも自分にはわかるけど他人にはわからんのです。
端的に言ってマニアトークであり、、自分用の日記を自分に向けて書いてることが多いです。

基本的に専門用語と前提知識が必要な物事のオンパレード。
すでにあなた自身を知ってる人、つまり自分しか楽しめない二次創作状態です。

まず、そのジャンルから専門用語を可能な限り抜いて、やさしく説明してください。
相手はそもそもそのジャンルをどれだけ知ってるかわからんので、まったく知らない一見さんのつもりで書く必要があります。
これマジでよくやるので。

詳しい人がいるかも知れませんが、そういう人はSSRレアの上に説明しなくてもわかりますんでスルー。
申し訳ないのですが同業種で詳しすぎる人のためのコンテンツは専門的なところでやってくださいってなります。

そういう人の感性はすでに一般人ではない
専門家なので、申し訳ないなーと思いつつも、そういう人に向けたことにこだわりすぎないようにしましょう。

また、自分だけが面白い状態でなく、他人の感性でも伝わるようにしてみてください。

そもそも見る側はあなたじゃありません。
前提知識なんかこれっぽっちもない赤の他人です。
つまりあなたの感性とか好みではなく、他人がわかる紹介ができるかどうかがすべてです。

そのため、めんどうかもしれませんが
・自分が把握していて紹介したいと思っている物事がある
・それを他人向けに翻訳する
って段階をちゃんと分けておかないと、俺が好きな物をお前も好きになれっていう上司と同じ発言になりやすいです。

好きなものの押しつけほど辛いことはないので、他人はどこをわかってくれそうなのかってのはいろいろリサーチすると便利じゃないかなと思います。


◎見る側として知ってると便利なこと
コンテンツにたくさん触れることは、他人の物事の考え方や思考に触れるにはもってこいです。
そうです、コンテンツである以上、誰か他人が作ったものなので、発信元となる相手がいるんです。

そういう誰かの発信を受け取るコミュニケーションなので、自分がとっくにわかってる物事を確認するだけだとあんまり広がりがないんですな。
(悪いわけじゃないんですが、それだけだともったいないかもって意味で)

なので、自分が思うからそれがすべて、で終わらせず、せっかくなので他人の考え方を知ることで選択肢を増やそうってのがおすすめかなーと。

とはいえ、面白くもないものを見るのもなんなので。
まず、読む側としてはfor meなのかnot for meなのか、そういう性質のものだと解釈するといいです。

自分宛てじゃないもの、つまり好きでもないものに関してどうこういう必要もあまりないし、そんなところでストレスなんか持たずにさっさとスルーすればいい話になります。
それは最初からあなたに読んでもらうための話じゃないので、見るだけストレスしかたまりません。

コイツなんでこんなこと言ってるのと思ったときは気にする必要はないので、さっさとスルーして構わないと思います。

ただし、どんなに嫌いでも一理ある点については認められる人間になっておくと、読む側としては非常に便利です。
話す本人がどんなに嫌いでも、言ってる内容がめちゃくちゃでも、意外なことに、論理そのものは相応に正しく便利な場合が結構あります。

たとえば俺は生トマトは嫌いですが、トマト料理の存在は大事だし、それを知ることは出来るわけでして。
そもそもサラダにトマトが定番だってのを否定する必要もないわけです。
もちろん、トマト料理を扱う人は俺に悪意あるわけでもありません。

そういった区別ができるのは自分の人生を豊かにしやすいので、そこを感情で混同しないようにすると便利だと思います。
ぶっちゃけ世間の流行が好きでなくても一ミリも賛同できなくてもいいので、論理そのものは別だとして区別できるようにすると結構楽になりやすいです。

ここで、嫌いだから嫌いでいいじゃんってのは結構まずくて、つまり物事の成否を好みで決めていいってことになります。
そりゃもちろん好き嫌いはあっていいいし、それで取捨選択もしていいんですが、論理が正しいかどうかは、好みや感情とは別です。

トマト嫌いだから滅ぼせとかトマト料理を否定するって話は、また違うだろうということなのですな。
嫌いだから付き合わないことは構わないんですが、だからって嫌いだから仲間はずれや排除、いじめをして良いわけでもない感じです。

でもコレ、案外、なんの悪気もなくやっちまうので。

混同すると自分でもややこしいことになるので、特にどうとも思わなくても、日常的にそういう分析思考の癖をつけておくと便利かなと思います。
なにより、自分に対して我慢する必要が減ります。

少なくとも自分では出来ないことや違うことを知る、ってのがコンテンツの面白さなので、自分を肯定するために違うものの見方を知ろうってのが結構大事なんじゃないかなーと思います。

好きでなくてもいいし理解はしなくてもいいけど、知っておくのは大事なんではないかなーと。
そうした、なんの役に立つのかもよくわからん知識を大量に増やすとなんか楽しいって欲求を好奇心というわけで。

で、コンテンツってのは好奇心によって成り立っております。

だってコンテンツを楽しんだりすることで現実に腹は膨れないし、むしろお金かけてコンテンツを楽しむことがあるほどでして。
でもなぜそれが必要かと言われれば、自分をコンテンツが肯定してくれるからです。

なぜ肯定されるかといえば、自分と違う意見や言葉だからであって。それを楽しく見せてくれるからであって。
それを知ることで世界が広がるし、選択肢が広がります。なにより、知ることで安心します。

つまり、ある意味では知識ってのは自己肯定なのですな。
自己肯定にストーリーが付いたらそりゃ楽しかろうってやつです。

往々にして自分を肯定するのは自分と同じ意見じゃないといけないと思ってしまいがちですが、案外そういうもんでもないので、色んな面から物事を知って選択肢を増やすとオススメ。

豊かさってのは選択肢の広さなので。
心に飯屋が一軒しか無いときにはさびしいので、せめて和洋中から増やしていくようなコンテンツの楽しみ方をすると便利かなーと。

せっかくのコミュニケーションなので、慣れだけでなくいろいろ事前に知って予行演習したりすると結構いい感じだと思います。
先入観だけで結果まで決めてしまいがちなものなので。

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