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夏に願いを(6)終

約束の朝。目覚まし時計が鳴る前に目が覚めて、カーテンの隙間が縦に白く光っていた。よし、予報通りの快晴だ。カーテンをひいて窓を開けると、眩しい朝日とまだ暑くなる少し前の爽やかな風が押し寄せて、僕の冴えない部屋が明るく一変した。今の気持ちは吹奏楽コンクールで聴いた課題曲『煌めきの朝』がぴったりで、僕は今、『陽キャの朝』の煌めきを浴びて浮足立っているんだなと可笑しくなった。

目的地までは電車で六時間かかるから、実際の滞在時間はほんの数時間ほどになる。会って話せる時間が短いのは少し残念ではあるけれど、僕は会話が苦手だし却って都合がいいかもしれないとも思った。ローカル線で叶居さんとLINEしながら向かう時間も楽しい……と思ったのは最初のうちだけで、東京駅で乗り換える時に思いっきり迷ってしまった。東京駅、なんであんなに広いんだ。おかげで時間と気力を無駄に消費してしまった。しかもスマホも充電切れ。最悪だ。

『京』の頭文字に釣られて京浜東北線を目指してしまって、ホームに着いたはいいが大宮方面とあり、これでは逆戻りだと思って反対向きのホームへ行ったら今度は神奈川方面の駅名が書いてあった。僕が向かっているのは埼玉でも神奈川でもなく、千葉なのに。よくよく確かめ『京』違いと気づいて京葉線のホームへ向かうも、本当にこれで合っているのか不安になるくらい遠くて、下調べ不足の自分を恨みながら案内の看板を信じてひたすら進んだ。そんなわけでぐったりな上にスマホが使えず暇つぶしもできない、とにかく残りの三時間は虚無だった。何か本でも持ってくればよかった。

八時半すぎの電車に乗って、乗り換えること三回。叶居さんの住む駅に着いたのは三時近くだった。検索して見た画像どおりの小さな駅で、迷路のような恐ろしい東京駅を思い出してホッと安堵した。これなら絶対に迷わない。

改札は一つ。トンネルのようなこじんまりした改札の横には待合室があった。映画の『秒速五センチメートル』の駅に似ていて、主人公が電車を乗り継いではるばる好きな子に会いに行くシーンが浮かんだ。なんだか今までの時間と重なって、意外と悪くないかもしれない。

「こっちこっち!」

改札の向こうで叶居さんが両手を高く挙げて振っていた。ぴょんぴょんと小さく飛び跳ねながら手を振るその姿に、僕の心臓も大きく飛び跳ねた。立ったり座ったり、乗車ホームを間違えたりしながらの六時間は長かったけれど、そんな苦労が一気に吹き飛ぶ。来てよかった。会えてよかった。遠かったでしょ、と駆け寄る叶居さんには何事もなかったように笑ってみせた。

「あそうだ、ご飯もう食べた?」
「あ。食べてないや。乗り換えとか集中してたから忘れてた」
「わかる! 考え事したり集中してると食べるの忘れちゃうよね。お母さんにご飯呼ばれても返事して行かないとか」
「あるある。それでよく怒られる」
「だよね!」

そうか、疲れの理由は昼食を抜いていたせいかもしれない。

「でね、じゃーん!」

叶居さんが茶色い紙袋の口を開けると、香ばしくて甘じょっぱい匂いが広がった。

「なんかすごい良い匂いする」
「叶居家特製の炭火焼BBQサンド! パパがもうじきお店出すから毎日試作してるんだ。夏は海辺でも販売するんだって」
「へえ、あ、それで引っ越し」
「うん、そう。あれ、引っ越す理由、言ってなかったっけ」
「初耳だよ」

駅から数分歩いただけで砂浜と海が広がる。道路沿いの歩道と砂浜を区切る防波堤のような長いコンクリート壁に腰掛けて、叶居さんとサンドウィッチを食べる。なんだこの非日常感。時折吹く潮風が気持ちよくて、叶居さんの持ってきてくれたサンドウィッチが美味しいせいだ。

「おいしい」
「でしょ。たくさんあるよ、残ったらお土産ね」
「いいの? ありがとう」

柔らかい歯ざわりの肉とトマトやアボカド、オレンジにナッツと、具だくさんのサンドウィッチを三枚分食べてごちそうさま、と言ったら叶居さんがもっと持ってくればよかったなあと呟いた。

「金出くん、終電は?」
「えっと、六時五分前で最後」
「そっかぁ、遠いもんね。じゃあ暗くならないけどやっちゃおう」

叶居さんは大きなビニール袋から花火の袋を取り出すと、開けて開けて! といたずらっ子のように肩をすくめて笑った。

「うわ、火薬の匂いだ。こういう花火、小学校の頃以来かも」
「僕もだ。すごく久しぶりな気がする」

薄っぺらで細長い小分けの袋を開けると、理科室でもあんまり嗅がないような強い火薬臭がした。ピンク色に染められた木の棒に銀色の火薬がついた手持ち花火が五、六本入っていて、僕はそれを腰掛けたコンクリートに置いた。別の袋には木の棒が青いものや、鉛筆くらいの太さの紙筒でできているものもあった。叶居さんは僕が出した花火を焼き鳥の串のように綺麗に揃えて並べていく。

「先に全部あけちゃったら、湿気らないかな」
「大丈夫だよ、うち毎回こうだったよ」

叶居さんは白いロウソクに火をつけてコンクリートにロウを少し垂らし、そこにロウソクを立てて固定した。小学校以来という割に手際が良くて、僕はなんだかマジックショーの始まりを見ているような気持ちになった。てっぺんで小さな炎がゆっくりと揺れて、これでよし、と叶居さんが満足げな目で僕を見た。

並べた花火をひとつづつ手に取って、先端を炎に近づける。
風にほんのりと火薬が燃える臭いが漂って、シュウ! という点火の音と同時の閃光に目が眩む。

「点いた!」
「すごい! きれいきれい!」

まだ暗くなりきってもいないのに、ものすごく眩しかった。叶居さんは綺麗と言って喜んでいるけれど、僕は目がチカチカして直視できなかった。手の先に小さな太陽があるようだと思った。音を立てながら勢いよく燃える火薬はあっという間に短くなって消えてしまう。僕はその早さに急かされて、慌てて次の花火に火を点けた。

「さて問題! 黄色の炎色反応を起こす金属は?」
「えっいきなり? ナトリウムだよね」
「正解! さすがだね」
「じゃあリチウムは何色?」
「えっとね、ケンティーはリッチなロッソだから赤!」
「正解! ってか何その覚え方」
「友達が推しで覚えるって言ってて私もそれで覚えちゃって」
「誰だか知らないけど、要はイメージカラー?」
「そんな感じ」

僕たちは花火に火を点けるたびに火薬当てクイズをしたり、どっちが長く点いているかだとか、くだらないことを言い合いながら過ごした。ようやく目が慣れてきた頃には、激しく火花を散らす花火はなくなっていて、残るは束になったままの線香花火が置かれているだけになっていた。

「楽しい花火150本入りって袋に書いてあってさ、60本が線香花火って渋いよね」

線香花火をきっちり30本ずつに分けた叶居さんが少し不服そうに笑った。

「綺麗な、だったら間違ってないんだけどなぁ」
「ああ、それはそうかも」

楽しい、が騒いだり盛り上がる雰囲気を指すなら、線香花火はやっぱり少し地味だから、叶居さんが思うことも分かる。だけど僕は静かに線香花火を見つめている時間は嫌いじゃなかった。話すことが得意ではないからかもしれないけれど、火花の形が万華鏡のように変わるのも好きだし、火球を最後まで落とさずにいられるかと集中するのも好きだった。
何より、火花が宇宙の構造や脳の神経細胞の写真と似ているところが好きだ。

「フラクタル」
「ん?」
「木の枝分かれ、雪の結晶、金平糖、それから、線香花火と宇宙」
「宇宙! むむ、なんだか大きな話になりそうだぞ」
「あ、ごめん、変な話しちゃって」

ポトリ、と、火球が落ちてあっという間に黒くなった。

「宇宙、落ちちゃったね」
「ただの火球だよ」
「金出くん、ロマンありそうでないよね」

叶居さんはなぜかツボに入った様子で大笑いしながら僕に言うと、線香花火を残して立ち上がり、ひとしきり笑ったあと姿勢を正した。立ち上がった叶居さんが沈みかけの夕日に照らされ、長い黒髪がオレンジ色に染まって花火みたいに眩しい。

「はあー。大きい声で笑うと気持ちがいいねぇ」
「え? あ、うん」
「うわーっ!!」

いきなり、叶居さんが海に向かって叫んだ。
僕は驚いて叶居さんの横顔を見つめるよりほかなくて、砂を踏みしめるように凛々しく立つ叶居さんは大きく息を吸うと更に言葉を続けた。

「吹奏楽が好きだぁーーーーー!」

海辺には他に誰もいなさそうだけれど、ここに来る前に通ってきた街並には人の姿が結構あった。
向こうまで聞こえているんじゃないか。ご近所迷惑にはなっていないかなと焦る。

「好きだ好きだ好きだーーーーー! わぁーっっ!!」

だけど絶え間なく叫び続ける叶居さんの声が清々しくて、そんなことだんだんどうでもよくなってもくる。声を聞いていると体の中が熱くなってきて、心臓が早打ちし過ぎて爆発しそうだ。

叶居さんが僕の方を向いて、親指を立てて微笑んだ。僕も叫べと目が言っている。僕も少し間を空けて叶居さんの隣に立って、息を吸った。

「僕は……!」

僕は、叶居さんが好きだ。
ここで叫んでしまいたい。
心臓から血液が押し出される度に、僕の体の中は好きだ、好きだ、と脈打っている。
だけどそんなこと言っても困らせてしまうのは目に見えている。
そもそも、部活の話だ。
叶居さんは吹奏楽って言っているんだから、僕だって。

「僕は! バドミントンが好きだ!!!」
「吹奏楽が好きだ!!!」
「もっと上手くなりたい!!!」
「私ももっと上手くなって、また吹奏楽部やりたい!!!」
「もっと体力つけて思った通りにプレイしたい!!!」
「好きだ好きだ好きだーーーーー! わぁーっっ!!」
「僕も好きだ好きだーーーーー! わぁーっっ!!」

絶好のタイミングを逃してしまった気はした。
だけど叫んでいたら、叶居さんにちょっと告ってしまいたくなった気持ちはどこかに飛んで行って、かわりに悔しかったインタイハイを思いだした。もっと強くなって、いや、そうじゃなくて。僕はもっとバドとか部活と真剣に向き合って、叶居さんにがっかりされない男になって、そうしたらいつか、この気持ちを伝えられる日がくるかもしれない。

叶居さんの転校で全てが消えてしまうはずだったのに、僕は今、叶居さんとこうして並んで海に向かって叫んでいる。まだだ、まだ終わっていないんだ。叶居さんに届くまで、終わりはしないんだ。

「ふー。あースッキリした! よね!」
「うん。なんかインタイハイ悔しかったの思い出したけど、頑張ろうって思えた」
「よかった。吹部も県止まりで私も悔しい。って、私は部員じゃないけどね。金出くんはあと一年、絶対に頑張ってね!」
「うん」
「応援してるから!」

応援してるから。応援してるから。頭の中で叶居さんの声がリピートする。心臓がまた超高速で高鳴る。やっぱり、今なのかもしれない……。


「叶居さ――」
「あ! 時間!」
「うわ、ほんとだ」

決意しかけた僕にタイムリミットは無慈悲だった。いいんだ。つまりそれは今じゃないってことだ。僕は言いかけた言葉を飲み込み、二人で後片付けをサッと済ませ、来た道を戻り駅に向かった。

電車の時間まであと数分。改札に入ってしまえばすぐホームだし、大丈夫。僕はそう思っていたけれど、叶居さんは少し急ぎ足で僕の前を行く。僕は名残惜しくその背中を見つめていた。そうしたら叶居さんが急に振り向いて、僕の手を引いた。
息ができなかった。

「急ごう!」

繋いだ手は細くて、さらさらで、あたたかだった。
いつまでも、離したくないなと思った。
いつか届くまで、この夏が永遠でありますように。
帰りの電車に揺られながら、僕は今日という夏に願った。



完結までお読みくださり、ありがとうございました!
インフルで予定より遅い完結になってしまいましたが、ライブ円盤リリースに間に合ってヨカッタ!
感想、拡散、大歓迎です!

(高学歴バンドに小説を晒すという、実はとても恐ろしいコトをしております……怖いけどでもPenthouseのメンバーにも届くといいな)

※この小説はPenthouseの『夏に願いを』を聴きながら書いています。フィクションで、バンドの楽曲の世界観とは必ずしも一致しませんが、もしよかったら楽曲を聴きながらお楽しみいただけると嬉しいです。


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