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プロ野球選手総背番号制 番号別イメージ変遷史 2008年“開幕時点”版 背番号「2」3/3

こんにちは!スポーツデータアナリストのにーにーです。黒島大鉄さんの著書「プロ野球選手総背番号制」の内容第6弾(背番号2の最後)をご紹介したいと思います。

逆に徐々に主流にのし上がっていったのが韋駄天像。’62~’64年と小池が20~30盗塁して芽を吹くと、’66年代走の山本が32で盗塁王(代走では14個)。’74年中塚は28で盗塁王。’75年も33で2位。そして広岡後のスター内野手・山崎が”イブシ銀”へとイメージ移行する頃合いを突いて、絶妙のタイミングで現れたのが高橋慶彦。’79年55盗塁でタイトル奪取しスターの座に就くと、やや遅れて台頭の松本と、’80年代中盤まで激しく火花を散らす。その最盛年が’83年。松本がセリーグ記録の76盗塁でキングを獲たが、敗れた高橋とて70盗塁。70も走ってタイトルならずはこの年の高橋だけた。ならばと2年後、今度は73でキング奪還。

また高橋は打率3割超の常連でもあり(計5度)、’79年には日本記録の33試合連続安打のヒットメーカー。こちら面で強力なライバルとなったのが同じ一番打者&甘マスクの田尾。一番定着の’81年初3割、2位ながら.001差の.350を打った’82年~3年連続最多安打を記録。’83年には別の意味で人気を博した”ドカベン”香川が8月初旬まで打率トップ(~結局故障で規定打席不足)。その前後で’79年白、’80’82年栗橋、’83年田尾が3位に入り、’84年レオン、’90年バンスロー(に’96年ロペス)は各々首位に.010強差と肉薄。したが、着前年3割超マークの横田、山崎賢(に金城)は「2」で衰勢。加えて半定着だが’88年簑田、から大野、飯田、波留(~’04年以降荒木、’06年東出、’07年渡辺直)と快速一番打者が続々台頭。大野以下、3割記録が各1度で全て.310以下(松本、荒木も同様。東出、渡辺は2割台)だったことも作用して、ヒットメーカーイメージは徐々に平穏化。

かわって徐々に興隆化したのが捕手像。他勢の飯田が’98年~出番減、元木は準レギュラーの域を脱せず、荒木、サブローは伸び悩み。という中で、’97年城島が2リーグ分立後最年少(21才)での捕手3割マーク、から一気に抜きん出た。

それに続いたのも、内・外野に代打、代走までこなす控え捕手、あがりの小笠原。その万能ぶりを証すように”バントをしない二番ファースト”という極めてシュールなリクエストにも難なく対応。その後小笠原は三番に移ったが、’06年リグスが全く同ポジションで本塁打連発。新たに”助っ人”という意外性パーツを加えより印象伸長度UP。また小笠原はフルスイングながら高打率と打棒面でも呉越イメージを同舟させ、’06年、通算打率が(4000打数以上での)従来記録・リー.320を抜き一時トップとなる快挙~’08年開始時点では4位(.319)も、この万能系譜の末裔が、ヒットメーカー番人としてその灯を守り続けている。

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