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【ダイヤのA】御幸一也 ソシオニクス性格&相性診断

【御幸一也 簡易プロフィール】

※キャラクター同士の相性は
【ダイヤのA】ソシオニクスキャラクター相性表&各関係性解説

※沢村栄純の性格と相性の詳細診断は前記事
【ダイヤのA】沢村栄純 ソシオニクス性格&相性診断

※降谷暁の性格と相性の診断詳細は次記事
【ダイヤのA】降谷暁 ソシオニクス性格&相性診断

【ソシオニクスとは】

『ソシオニクス』とは、心理学・社会人格学の中でも『性格タイプと相性』を診ることが出来る類型論の一種。性格タイプは全部で16種類(サブタイプも含めると32種類、DCNHサブタイプやアクセント等々を含めれば千通りほども)存在し、それぞれのタイプの得手不得手や、タイプ同士の相性等を動的・客観的に診断することが出来る。

※なお16タイプ(MBTI)とは、ソシオニクスと同様に、ユング心理学から派生した類型論の一種。診断方法は異なるが、一部ではソシオニクスとの対応タイプがあるとされ、混同もされやすいため併記する。末尾が小文字になるソシオニクスの4字表記とは違い、MBTIは4字とも大文字で表記される。特に内向型は『4字目のアルファベットが入れ替わる』ので注意。なお、MBTIではタイプ同士の相性を見られない(巷に溢れる『MBTIの相性』はデマ)

【ソシオニクスにまつわる誤解と注意点】

ソシオニクスの相性は単純に『良い悪い』というものではなく『ビジネスにおいては好相性だがプライべートには向かない』『少数での私的な関わりならいいが、集団を相手にするような公的な関わりだと困難がある』…等の複合的なものである。

『リアルで、家族・恋愛・友情・仕事・ライバル・師弟…等々のどういった関係性(を選びたい)』か、また『生まれ育った環境、常識、思想、世代、興味の対象…等』の『相性外要素』も含めれば組み合わせは『人の関わり合いの数』だけ、つまりは無数に存在し、一つとして同じ関係性はないため動的に見なければ判断出来ない。

最近は(配慮の関係もあり)『相性』という呼称ではなく『関係性』という呼称が用いられることも多いが、それだけでもやはり本質を見失う危険がある。残酷なようだが事実として『関係性の難易度』は確かに存在するためである。よって当方は敢えて『相性』の呼称も一緒に用いている。

また、たまに誤解されるが、衝突関係や超自我関係の相性だからと『相手を絶対に嫌いになる!』『関係が絶対に破綻する!』『憎しみ合い別れる!』と断定するものではない。

難度の高い関係性であることは事実で、致命的な仲違いから絶縁しやすい側面があることも否めないが『絶対』ではない。人として尊敬したり親しくなったりも当然ある。共に過ごした時間や、乗り越えたものが多ければ、必定そこには情も絆も生まれる。

『相性』の前に『縁』があるのが人間関係である。相性の良い相手とばかり関われるわけではないからこそ人は悩み、解決法を探す。

『相性上の関係性からリアルでの適切な関係・距離感を探る』あるいは『関係を保つための難易度を割り出し、相応の覚悟を持って対処法を学ぶ』…ソシオニクスはそのためにあるツールである。

【御幸一也の性格タイプ『Te-ILI』の概要】

御幸の性格タイプ『ILI』のキャッチフレーズは『未来を見据える人』。

事実と集めた情報から、未来を的確に予想し、問題解決に役立てる。効率化が得意で、いかに利益を出すか、物事に着手するのに最適なタイミングなども心得ている。このタイプには仕事面で非常に能力の高い人が多い。

一方で他者との情緒的な関わりや派手な感情表現、空気を読んだり人に合わせることなどが得意ではない。歯に衣着せぬ物言いをしがちなために対人面で問題を抱える場合も多く、当人も『群れる』ことが好きではないため、本質的に『孤独』である。

また先読みが得意な分、予測不能な事態への対処は得意ではない。特に五感を用いた咄嗟の対応は苦手。

なおILIの特徴として今まで見た中で最も的を射ていると感じた端的な表現は『不遇の高性能ボッチ』である。

(ただしすべての『ILI』が、よくソシオニクスの性格テンプレートで言われる『いかにも根暗』な性質に必ずしも当てはまるわけでないことは付け加えておきたい。むしろそうでない人のほうが多い。経験から言えばILIの人々は、NT型の中ではかなり呑気で、自由に飄々と振舞う人が多い印象だ)

対である(沢村のタイプ)SEEが『今この時』である『スタート地点』からの視点を持つ一方、ILIは『ゴール地点』から逆算して今を見る。
SEEは短期的な問題解決に秀で、ILIは長期的目線で全体を俯瞰する。真逆の視点だが、双方ともに『時間的価値観』を重視するタイプだ。
よってSEEとILIは『求めているが持ち得ないもの』を互いに補い合える最良のバディ(双対関係)である。

ILIらしい御幸のシーンと言えば掃いて捨てる程あるが、以下には代表的な性質を簡単に列挙する。

立場も空気も無関係にズケズケと本音を言うが『感情』に関わる言葉掛けは極端に苦手。視野が長期的で事象の予測は得意でも、足元が疎かで現状認識(特に対人・感情面)が危うい。投手に対するコントロール欲が強い。親密な相手からの拒絶に弱い。「はっはっは」と意識的に音を発するあからさまな作り笑い。周りがスマホでも気にしないガラケー派。挑戦者として王者を倒すことに惹かれるベンチャー系メンタル。友達が少ないボッチ…等々。

しいて一つ具体例を上げるなら『秋大会中食堂での前園との確執』が描かれた場面。

「みんな仲良くお手々つないで この先もずっと同じ道を歩いていくなんてあり得ないんだぜ」

一切オブラートに包まない独立志向バリバリの正論を集団の中でぶち上げるシーンがある以上は(前述した特徴や、直前の渡辺との不器用なやり取りも含め)Te-ILI以外にはありえないと断言してもいい。

またILIは『Fe(外向倫理・感情)』が脆弱機能(苦手軽視…コンプレックスの機能)に入るため集団の前での感情表現を大の苦手とし、私的感情や個人的な好みを示す『Fi(内向倫理・感情)』が動員機能(苦手重視…夢中になりやすい機能)に入るため『専門分野特化型』な性質が色濃く出やすい。

そのためか『完了主義』の方が『効率的』だと頭では理解出来ても『完璧主義』の仮面を剥ぎ取れない部分がある。好きな分野を極めようとする上に、人前で弱点を晒すことに対する抵抗感が強いのである。

御幸の場合は(最近は人前でも素振りをするようになったが、三年夏前までは特に)努力を他者に見られることを嫌い、完璧主義者的な振舞いをしがちだったところに、上記のILIらしい性質が顕著に出ている。

人前では『自信家』の面を表に出しつつ、裏では緻密に計算し、抱え込み過ぎるほど慎重に計画を練っている…ILIの人物はそういった二面性を持ち合わせている場合が多い。

なお『Te-ILI』である御幸と双対関係にあたる青道高校のキャラクターは『Fi-SEE』である『沢村栄純』である。

※双対関係とは、すべての機能と要素がパズルのピースのように隙間なく嵌る完璧な相補関係であり、ソシオニクスにおいては『最適』(有体に言えば好相性)であるとされる組み合わせのこと。
また御幸と沢村の場合は、サブタイプと呼ばれる概念までもがフィットした正真正銘の『最高相性』である。

※サブタイプとは、各々の性格の最も重要な二要素の内の、どちらがより性質として濃く出ているかを見るもの。サブタイプの違いによって、性格の出方や他者へ与える印象、各タイプとの相性までもが微妙に変わってくる。サブタイプが不一致の双対関係は、サブタイプが一致した双対関係と比べると、互いに微妙なズレを感じ、関係性にやや不満を抱きやすいとされる。

【ソシオニクス4字診断の流れ】

(ユング式二分法診断…『モデルA』重視なので簡潔に)

ILIの4字表記は『INTp』

・一文字目は、本人の性質が『外向型(E)』か『内向型(I)』かを見る。

※外向型は簡単に言えば『心理エネルギーは外へ向かい、他者との交流で充填するタイプ』
※内向型は簡単に言えば『心理エネルギーは内へ向かい、一人でいるときに充填するタイプ』
※一人でいるとは言っても、関心事が常に『外』に向く場合は外向型の場合がある。
※外向型だから社交的で明るく、内向型だから消極的で内気というものではない。

【I(内向)型の根拠】

御幸の基準はいつも『自分が面白いと感じるか否か』。
『こんなに面白い捕手というポジションを誰にも譲りたくない』。『投手って人種はエゴの塊で面白い』。他人に関心を持つ理由も『自分が面白いと思ったから』。
主語には必ず『自分』が付き、内側へ意識が向いている(だからこそ当人も『キャプテンに向いていない』と自覚している)。

また単純に『他者との交流でエネルギーを充填するタイプ』には見えない。
暇さえあれば一人でスコアブックを眺めている。他者との交流自体が『受動的』で、必要最低限以上に自分からコンタクトを取りに行くことは稀。よって内向型であると判断。

・二文字目は、本人の情報収集の傾向が『感覚型(S)』か『直観型(N)』かを見る。

※感覚型は『今目の前で現実に起こっていること、五感を使い実際的』な知覚の仕方をする。
※直観型は『物事の全体像や可能性や裏側、今よりも先を考え抽象的』な知覚の仕方をする。

【N(直観)型の根拠】

N型根拠は『打者の思考を読んだリード』や『読み打ちが得意』な点。表に出ている事象や、今目の前で起こっていることよりも、その裏側で起きていることや思惑を読むのが得意な点。
逆に投手としての轟のように『予測不能な投球』との相性は最悪という『今の感覚』の弱さからもS型はありえない。以上からN型と判断。

・三文字目は、本人の判断・決定基準が『感情・倫理型(F)』か『思考・論理型(T)』かを見る。

※感情・倫理型は『自他の感情・気持ち、人への影響、正しさよりも優しさ』を選ぶ判断をする。
※思考・論理型は『合理性・公平・客観性、人の気持ちや優しさより正しさ』を選ぶ判断をする。

感情・倫理型だから頭が悪くて感情的な善人だとか、思考・論理型だから優しさがなくて冷徹な悪人だと言うことではない。冷静な振舞いをする感情型もいれば、感情的な言動をする思考型もいるので勘違いしないように注意。あくまで『判断・決定基準』が何かを見る。

【T(思考・論理)型の根拠】

(例外もあるが基本は)客観性・公平性に優れ、利益と効率を重んじ、時に冷酷な程の現実主義。決断時に周囲の感情や空気に流されることはまずない。Te(外向思考・論理=ビジネスロジック)が非常に強く効いたT型であると判断。

・四文字目は、外界へ接する際の心身の状態が『合理型(j)』か『非合理型(p)』かを見る。

※合理型は『強情で一度決めたことは変えたがらず、心身ともに強硬、絶対主義的』な振舞い。
※非合理型は『寛容で臨機応変に対応するのが得意、心身ともに柔軟、民主主義的』な振舞い。

【p(非合理)型の根拠】

予め細かく計画し念頭には置くが固執せず、常に改善の余地を残す。現場の状況から細かく軌道修正して立て直す柔軟さを持ち合わせる。また他者からの進言も、納得すれば変更に応じる寛容なスタンスで、リーダータイプは『民主主義スタイル』であることから非合理型と判断。

なお、リーダータイプについては主将代理時のj型倉持との比較が分かりやすい。「全殺しィ!」と一瞬で自らのカラーにチーム全体を染め上げた倉持は、明らかに『絶対主義スタイル』のリーダーである。

サブタイプは【T(思考・論理)型の根拠】でも触れたように、Ni(直観)よりTe(論理)優勢だろう。

【ユング式二分法診断 結論】

4字診断【INTp】/3字診断【(Te-)ILI

【モデルAによる診断】

以下は『ILIのモデルA』を参照した上で読み進めると理解しやすい(しないと理解が難しい)と思います。リンク先はソシオニクス初心者の方にもおすすめのサイト『いざよいブログ』様。『モデルA』は『ILI解説ページ』にあります。

【自我ブロックとは】

モデルA最上段の二マスをまとめて『自我ブロック』と呼ぶ。
左のマスは『第一(主導)機能』、右のマスは『第二(創造)機能』と呼ばれる。これらには『価値観として重視され、得意でもあり、力も強い』二要素が入る。

【第一機能『主導する機能』】

(得意不得意:得意 重視軽視:重視 力の強弱:最強)

『主導機能』はその人が一番得意で最重要視している価値観。最強の武器であり、アイデンティティ。使命とも呼べるほどの人生の要。「私はどうしたいか」「私は何になりたいか」を探求する。

この中に入る要素は、常に使っていると言っても過言ではなく自信に満ち溢れている。自分にとっての『完全』で『常識』だからこそ、他人にもその部分の能力を強要しがちで頑固(他人の言うことを聞かない)という側面もある。

【御幸の『主導機能』】

★Ni(内向直観)★
時間に関する直観、時を超えた発展、過去現在未来の流れの把握。物事がどう進行し発展していくのかを観る。因果、予期、予防、予想、結果、比喩、記憶、暗示、催眠、幻影、象徴性、歴史性、反復、反映、予感、長期的視点からタイミングを計る、典型的な主題と例、歴史や過去に原因を探すこと、現象の通時的な予測、リズム、後でやるか今やるか、発達した想像力、独特の精神世界

Niは『時間的展望』とも呼ばれる。
『一つの事象から多角的に発展の可能性を予想』するNeとは違い、Niは『過去と現在に起きた(起こす)出来事が、最終的に辿り着く遠い未来の結果を予測』する。
『細い川の流れが次々に合流していき、やがては一つの太い河になって海へ流れ込んでいく』ような、時間の経過と共に一本の束へと『収束』していく様子がNiのイメージ。

Niを『自我ブロック』に持つ人は、因果を把握するための膨大な記憶と、生来の鋭い洞察力が合わさった結果なのか『第六感(霊感とは違う)』が強いとされる。実際に、彼ら(特に『主導Ni』のILIとIEI)の『虫の知らせ』や『予言』はよく当たるので、軽んじない方がいい。

【御幸『主導機能Ni』詳細解説】

常に『長期的未来から逆算(Ni)』する思考回路を持つILIは、過去から現在までに散りばめられた『原因』を拾い未来の『結果』を予測する事で物事を捉える。よって『今この時(Se)』の『短期的な問題』にだけ集中することは『不可能』である。未来志向で木より森を見る『広く俯瞰的な視点』に秀でる分、足元が疎かになりやすいという弱点を持つ。

御幸は主将の立場もあり『甲子園(Seー近い目標)』のことしか考えていないと公には発言していたが、実は『プロ(Niー遠い目標)』を強く意識していたというのは非常にILIらしい思考であると言える。

また、御幸の独白で度々、ポエムのような比喩表現が用いられるところも、左脳的なイメージ力が発達しているNi主導の思考として実にありがちである(なお、Neを創造機能に持つ奥村は、右脳的なイメージ力が発達しているため、御幸沢村相手によく奇抜な絵画的イメージを思い浮かべている)。

野球のプレースタイルとしても、御幸の『Niの予測』は『捕手』として『打者』として如何なく発揮されるが、彼のスタイルは『主導Ni』だけでは成り立たない。『創造Te』との合わせ技であるため、詳細は次項へ持ち越す。
(元より『主導機能』と『第二機能・創造機能』は、相互的に作用することで力を発揮する)

【第二機能『創造する機能』】

(得意不得意:得意 重視軽視:重視 力の強弱:強)

『創造機能』は『主導機能』を補佐する機能。ほとんどの場合で主導機能とセットで使われる。主導機能があくまで「私はどうしたい、何になりたい」を探る『自分自身』を構成する核であるのに対し、創造機能はそんな自分自身が『外側の世界』とどう関わるか「他者とどう接するか」を探る。

主導機能も創造機能も『得意で重視している価値観』であることに変わりはないが、力の強さが異なる。自分の中の『最強で完全な核』であるために『頑固で誰の言うことも聞かない』主導機能とは異なり、創造機能は『不完全で柔軟』な機能だ。社会(他者)と自分(主導機能)との間の架け橋とするため『頑固一徹』ではやっていけない。常に改善の余地を残している。社会で様々な経験を積むたびに、柔軟に変化し成長していく機能。

【御幸の『創造機能』】

★Te(外向思考・外向論理)★
効率、方法、生産性、正確性、行動原理、事実的知識とその情報、メカニズム、働き、リーダーシップ、利益、功利主義、便宜、有益なアクションの見積り、仕事、損得、金銭、実践までの筋道、動く根拠、自然と動き出すこと、動きたくてたまらないこと、最も論理的な行動の流れへと活動を方向づけること

Teはまず、どこで何がどのようにして起こるのか、人の言動や機械の動き…そういった『事実』に着目する。そこから更に、どう動かせば『効率的』か、どう働けば『利益』を上げられるか、そもそもその『情報』は正確なのか…といった客観的判断を下す能力でもあるとされる。Teはその性質から『ビジネスロジック』や『実践的ロジック』とも呼ばれる。

Teを自我に持つ人は『事実的データ・知識』を脳内に蓄積させ『利益』を上げるために利用し、効率化を図る。ソースは必ずしも自身の体験である必要はなく、本や他者からの伝聞など外部から引っ張ってくることも多い。

『自分の中に体系化した理論や知識の一貫性』を何よりも重んじるTi自我タイプとは違い、Te自我タイプにとって真に重要なのは情報や知識そのものではなく、それらを使って『現実に何を実践し実現させていくか』である。

【御幸『創造機能Te』詳細解説】

御幸の性格のコアである『主導Ni』は、流れゆく事象を観て因果を把握し、行動を起こすのに最適なタイミングを計ろうとするが、Ni単体では根拠なき妄想になりかねない危うさがある。そんな御幸の『主導Ni』に指針を与えるのが、この『創造Te』。

御幸なら例えば、スコアブックや試合映像、渡辺の偵察等で得た『実際のデータ(Te)』を根拠に相手校の特徴や弱点、クセを詳細に把握。実際に自校と対戦する際に相手がどう出るかを『予測(Ni)』して対策を練る(勿論『試合中にもリアルタイムで情報収集を続けている』)…といったスタイルが一番得意でやりやすい。

事実、選手としての御幸の持ち味・武器は(ユング式二分法診断でも言及したが)『捕手』としてなら『(事実やデータを元に)相手の思考を読んだ上での大胆なリード』『打者』としては『読み打ち』といった非常に『Ni-Te』らしいプレースタイル。反対に『五感で現在の状況を把握する(Se)』のは苦手なため咄嗟の思い付きに近い場合は判断を誤る(失敗する)ことが多い。

沢村が思いがけずイップスを克服した直後の七森戦では、アウトコースの釣り球として唐突にインコースを要求し結果死球。王谷戦では習得直後のチェンジアップをかなり早い段階で要求し、例の「むんだらばぁあ」&赤面である。結果として好調だった沢村のテンポを崩してしまった。

いずれも作戦に練り込む時間が少なかったためか『直観(Ni)ではない直感(Se)』による思い付きに近い形の指示になっていた。御幸と同じくTe-ILIである落合の感想通り、挑戦的と言うよりもせっかちな印象を受ける。

投手の強張りを解くためにいきなり思い切った事をさせようとするのは元々の御幸のやり方ではあるが、大抵は自己完結させ自分のタイミングでサインを出しているためにこういった失敗も多くなる(『失敗』すること前提で開き直っている節もある)。これがもし『失敗』出来ない場面なら、上記のような『その場その時の状況を見て決めるSe的作戦や判断』はなるべく沢村(を代表とするSe強者)に委ねるべきである。

因みに、夏の市大三高戦での御幸は、あらかじめ沢村と意思疎通を図ることで上記のような失敗を回避している。御幸が先に沢村へ初回の作戦を伝え(委ね)ていたことで、御幸の中では『自我ブロックNi-Te(結果を出すための実践の筋道)』に変換された(司令役に徹せる)上、沢村の『自我ブロックSe-Fi(行動に対する信頼を託された)』を後押しした(実動役としてのやる気に火を付けた)形になって一石二鳥だった。事実珍しく成功している。

また『Seでの失敗』の類似例として挙げられるのが(これも二分法診断時に触れた)『投手轟』との(性格タイプとしてはともかく、選手としての)相性の悪さ。秋の薬師戦では『データ(Te)』が一切なく、どこにどう飛んでくるか分からない轟の投球には『Ni由来の予測』が成り立たなかった。(繰り返しになるが)『五感を駆使して今現在の状況を把握し打開する(Se)』ことが不得手な野球プレーヤーとしての御幸にとって『完全感覚派タイプ』である『投手としての轟』はまさに『天敵』だったと言える。

【ILIの自我ブロック(主導Ni+創造Te)まとめ】

『主導Ni』と『創造Te』。この二つの要素は御幸の最大の強み。人生において積極的に押し出していくべき力で、アイデンティティ。この二つの要素は、第二機能が第一機能を補佐する形で使われ、相互的に作用する。

例)
『未来を予測するために(Ni)、事実的データを参照する(Te)』
『結果を出すために(Ni)、実践までの筋道を描く(Te)』
『タイミングを計るために(Ni)、正確なメカニズムを把握する(Te)』
『辿り着きたいゴールを目指すために(Ni)、必要な利益を出す(Te)』

といったことが、御幸にとっては重要な価値観であり、思考や行動の軸であり、武器で得意技。御幸の『狙い撃ち(読み打ち)』『データから予測するリード』を主とするスタイルはいかにも。

なお、ILIの要素の力自体は『主導機能Ni』の方が強いが、御幸の性格の特徴として強く出ているのは『創造機能Te』の方だろう。Teをサブタイプに持つILIは、Niをサブタイプに持つILIよりも冷静で、精神的にも安定している。

【超自我ブロックとは】

『モデルA』の上から二段目の二マスをまとめて『超自我ブロック』と呼ぶ。左のマスは『第四(脆弱)機能』、右のマスは『第三(規範)機能』と呼ばれる。これらには『価値観として軽視され、苦手で且つ、力も弱い』二要素が入る。

【第三機能『規範の機能』】

(得意不得意:苦手 重視軽視:軽視 力の強弱:弱)

自我ブロックに入る主導機能と創造機能が自分の『得意・重視』を表し、積極的に押し出していこうとするのに対し、第三の機能であるこの『規範機能』には自信がない。反面「すべき」「せねば」とその人の『義務感』を煽る。

本質的には『苦手』で価値観としても『軽視』している機能だが『社会から爪弾きにならないために、なんとしても自力で扱えるようにならなければ』と本人が強く自覚する弱点。

『社会の一員として認められるため』に、表向き『出来るような顔をしてしまう』機能であるためか、慣れない環境下や、緊張する場面、初対面などの良く知らない人物の前で発揮される『仮面・ペルソナ』の役割を担う機能でもある。

【御幸の『規範機能』】

★Si(内向感覚)★
体調や気分、心の平穏、平和、平凡、無難、恒常、連続性、時系列、満足、安定、美学、機微、生活の質、喜び、くつろぎ、リラックス、流れ、生活の質、便利さ、快適さ、体調の異変に気付く、心身が求める物質的ケア、味、色、匂い、触り心地、従うこと、合わせること、今ここにいることを楽しむ

Siは経験的な感覚とも呼ばれる。『今この時』の時間的感覚であるSeに対して、Siは『今この場所』を捉える。…つまり、居場所の安定、心身の快適さ、居心地の良さ、気持ちいい手触り、危険のない平穏な日々が続いていくこと等を、自我ブロック(特に主導機能)にSiを持つ人は大事にしている。

【御幸『規範機能Si』詳細解説】

Siを超自我ブロックに持つILIは、上記価値観を『軽視』している。基本的にじっとしていると不安が濃くなる性質のILI(御幸の場合は脇腹の負傷で休養していたころの焦りによく表れている)は、自分の内側に気を配る(Si)より、もっと否応なしに外へと押し出してくれる強い刺激(Se)や、外部からのはっきりとした要求(Se)を望んでいる。それ故にリラックスの重要性(Si)を説かれたり、娯楽活動(Si)へ強引に巻き込まれたりするのは嫌いで、体調や気分を気遣われる(Si)のも苦手である。

だが『人並みに出来るような顔』はしてしまうため、自分の活動に支障が出ない最低限の『心身の健康(Si)』は保とうとするし、緊張する場面では表向き『Si強者』の特徴である『まともな、無難な、しっかりした』人であるように振舞おうとする。

そういった御幸の『Siのペルソナ』は、監督や先輩等の『気安くない』目上の人の前や『主将としての振舞い』に表れている。特に秋までの御幸は恐らく『主将として相応しいきちんとした(きちんとして見える)キャプテン』になろうと頑張っていたのだろう。特に御幸の場合は前主将が『主導機能にSiを持つ』結城哲也(SLI)であったこともあって、余計に『Siらしさ』を強く意識していたかもしれない。

Siを『規範機能』に持つ御幸にとって『心身の快不快や体調の異変(Si)』等は、なるべく干渉されたくない、口出しせずに放っておいて欲しい事柄であるため、脇腹の負傷が発覚して以降のチームの空気は致し方ないとは言えど(次項の『脆弱Fe』と相まって)、さぞ針の筵のようだったに違いない。

だからこそ怪我には最後まで気付かなかった沢村の存在(本人は複雑だろうが)や、御幸のコンディションは『捕球できるか否か』以外に無関心だった降谷の(本来なら酷い)言動も、御幸の心情としては『楽』だし『助かった』はずだ。

逆に副主将である倉持と前園は、御幸のSiにとっては負担になった。
元々自信がなくプレッシャーに弱い『超自我ブロック』の機能は、言葉での介入よりも実際的でさりげないフォローを求める。
(周りにばらした前園は論外として)決勝前の倉持もノータッチを決めたのなら『気付いている』と伝えるだけの言葉は、御幸のSiにプレッシャーを与えるだけの悪手だったように思う。

相性で見ると納得で、SEE沢村のSiは『第七(無視)機能』、LSI降谷は『第八(証明)機能』に入る。二人共に得意だが『軽視する』機能に入っているため、ILI御幸の『怪我(Si)』も『(御幸にとって)適度にスルー』出来ている。

(とは言え、降谷は成孔戦後に持ち前の主導Tiによる鋭い洞察から『病院へ行かなくていいのか』と御幸へ直接に問いかけていたことで警戒され、その後はやや壁を築かれている)

負傷後の御幸が何かと沢村のそばにいたがったのも『怪我に気付かない鈍感な沢村』のSiへの無頓着さや、普段通りの気兼ねない言動が心地良かったからだろう。

(だが実は秋薬師戦時の沢村も、原因が『怪我』であることは分かっていなかったものの、御幸の『不調』自体には割合早い内から気付いていて『あえて普段通りに接していた』ことが後に判明する。これは沢村もSiを『得意軽視(無視)機能』として持っている証左である)

対して、倉持と前園の性格タイプは共にESE。意外かもしれないが、実は重視する価値観が全く同じ者同士だ。

(当然だがタイプ外要素…個々の環境や生育過程等で要素の出方や癖も大きく変わるので、同一タイプだからと表向きの性格が似通うわけではない。同じなのはあくまで価値観…言動の裏に隠された大元の価値基準である。ましてや、たったの16種類しかない性格のテンプレートやイメージから自他の性格タイプを割り出すのはほぼ不可能だ。誤認の元なので推奨されない。

また、同タイプ同士に見られる差異については、ソシオニクスや心理学での概念である『DCNHサブタイプ=倉持ESEクリエイティブ、前園ESEドミナント』や『アクセント=倉持Seアクセント、前園Neアクセント』等でも説明出来得るが、複雑になりすぎるのでここでは深く触れない)

倉持・前園のタイプESEは『第二(創造)機能』にSiを持っている。『自我ブロック』は得意なだけではなく『最重要視』している要素である分、他者にも厳しくなりがちで、粗が見えると口出しして矯正したくなる。結果としてその要素を『超自我(コンプレックス)』に持つ相手を(悪気はなくとも)攻撃してしまうことになる。
だから御幸の怪我も『無視出来ない』。スルーするどころか『監視』してしまう。

『価値観が真逆』な上に『得手不得手も正反対』のため『自分の常識や言語が通用しない』。たとえそれが親切心からくる言動だとしても、受ける側からは『攻撃』『悪意』『叱責』と受け止められてしまいやすいのである。

互いの『自我』が互いの『超自我』を攻撃する関係性である『衝突関係・超自我関係・監督関係(選手側)』が精神的に休まらない『厳しい相性』とされるのはこのためだ。

なお、ILIの御幸と、ESE倉持・同じくESE前園の相性は、全関係性の中でも最も注意を要するとされる『衝突関係』である。

(初期前園はLSEと判定していたが、その場合でもSiは『創造機能』に入り、相性は『心理的に上下がある非対称な間柄』とされる『監督関係…御幸上位・前園下位』になる)

特に前園とは、渡辺とのすれ違いが原因で『衝突』したことを考えると、さもありなんという相性。主将と副主将の関係性としてはあまりにも厳しすぎるが…。

(『御幸と、御幸世代主要メンバーとの相性』については、【秋大会中の御幸と前園による確執問題】の項にて詳細に触れる)

【御幸と倉持の真逆な価値観】

そんなILI御幸とESE倉持の真逆な価値観の対比が非常に面白いエピソードが二つあるので紹介する。

まず、結城(哲)世代夏敗退直後で、まだ大半の部員がショックを引きずっていたころの、御幸と倉持の食堂でのやり取り。

御幸は『休息はそこそこ(規範Si)に、速攻で大会中の映像を観返して(創造Te)、すでに秋からのこと(主導Ni)を考えていた』…と、まさに『自我Ni-Te(+規範Si)』らしい行動を取っている。

それを見て「今日くらいはいいじゃねぇか」と咎める倉持が、またあからさまに『自我Fe-Si(+規範Te)』の思考をしている。『生産的な行動(規範Te)よりも、自他の心身の調子や(創造Si)周囲の雰囲気(主導Fe)に配慮する』。

そして「力が足りなかったんだよ(事実Te)…今のままじゃ俺たちの代で甲子園なんて夢のまた夢だぜ(将来の予測Ni)」という御幸の『自我Ni-Te』剥き出しの発言は、倉持の弱点である『超自我Ni-Te』そして外で聞いていたSEI川上の弱点である『超自我Te-Ni』へも、痛烈に突き刺さった。

もう一つ、沢村イップス発覚後の教室での問答でも、ILIとESEの真逆な価値観がぶつかり合っている。

倉持が沢村についてを「ムードメーカー」と評価したところや「先輩として放っとけない」というのは、空気を読むのに長け、上下関係を重視し、更に自他の心身のケアを重んじる、世話焼きで兄貴気質なESEの『Fe-Si』的な視点。

更にここには危機管理能力であるイドブロックのFi-Se(個々の関係性を適切に保つために行動する)も含まれる。倉持は「いつまでも落ち込まれると鬱陶しい」と、ここに限らず似たような発言を頻繁にするが『周囲の空気や雰囲気への配慮を第一に考える』ESEらしい台詞だ。

ここでの御幸は内心では沢村を心配し、動揺も混乱もしているのだが、口では「大会が近づいた今優先すべきは個よりチーム」と、これまたいかにも『Ni-Te的』な発言をする。御幸の言う『チーム』とは『Fe=仲間』ではなく『Te=戦力』の意。だが結局最後は諸々の『矛盾した私的感情(動員Fi/後項)』が顔を出し『言ってること滅茶苦茶』になるのもILIらしい。

その他、御幸と倉持はact.Ⅱ第2話で軽く意気投合をしていただけで「甲子園の奇跡」と小野から思われる程度には、根本的に気が合わない(価値観が合わない)ことが窺い知れる。
また読者が観測できる範囲でも(険悪なムードにならないだけで)、この二人の意見が常に対立していることは明白である。

【第四機能『脆弱な機能』とは】

(得意不得意:苦手 重視軽視:軽視 力の強弱:最弱)

第四の機能である『脆弱機能』は全機能・要素の中でも『最も弱く、最も軽視され、最も苦手』とされる機能。

「とにかく苦手だし自分としてはどうでもいいとしか思えないのに他人から攻撃されて辛い…克服するとか上手くなりたいとかじゃなくて、ぶっちゃけもう直視したくないし逃げたい…」
そういった強烈な苦手意識と劣等感を抱いている。

自身の『一番の弱点』と認識しているので、無理に使うとストレスになる(社会におけるこの機能・要素の必要性自体は理解しているので、どうしても使わなければならないときには気力を振り絞って頑張る。しかしSAN値をガンガン削りながら精一杯に頑張っても人並み以下の結果しか出せない)。

また、実際に使い過ぎると精神を病んでしまうため、自分の代わりに引き受けてくれる人(この機能を得意とする、特に双対関係の相手)を随時募集している。

何度も言うが『病む』ので、この機能だけは『苦手だけど出来るようになろう』などと無理に努力してはいけない。得意な他者へ丸投げ出来るならしてしまうことをお勧めする。くれぐれも無理をせず、心身の健康を優先させてほしい。

【御幸の『脆弱機能』】

★Fe(外向感情・外向倫理)★
集団の一体感、仲間意識、理想主義、協力、待遇、同情、社交性、感情表現、行動倫理、振舞いの質、激しい情動、人々の間での感情の高まり、大勢での交流、豊かな表現力、情動的雰囲気、感情豊かなふるまい、ロマン主義、レトリック、パトス、スローガン、ムード、情熱と欲望が交差する空間、沢山の人々に伝播していく熱狂、場の雰囲気とその変化を捉え調整する、目に見える行動の倫理的な評価

感情が内側へ向かい、集団からは独立した個々の人間関係を大事にするFiとは違い、Feの感情は外側へ向かって拡散され、集団や群衆の間で伝播される。その性質からFeは『情動の倫理』とも呼ばれる。

Feを『自我ブロック(特に主導機能)』に持つ人は『場の空気を読み、さらに自らが好ましいと感じる雰囲気へ誘導する』といったことが得意。

例えばESE(自我Fe-Si)の倉持は主将代理時に、持ち前の『豊かな感情表現』で『チームカラーを瞬く間にヤンキーチーム』に塗り替えた。『Fe自我(特に主導)』タイプはこういった『感情面の集団に対する影響力』が凄まじいのだ。

【御幸『脆弱機能Fe』詳細解説】

上記の『ヤンキーカラー』に変貌したチームの様子を陰からこっそりと覗き見ながら疎外感を噛み締めていた御幸は、Feを最大の弱点である『脆弱機能』に持っている。

ILIにとっての『感情表現』は『苦手軽視』の枠すら飛び越えて、もはや『恥』だ。『弱さ』や『自意識過剰』、または『欠点をさらけ出している』ように感じてしまう。原作での御幸も現時点では、どんなに過酷な現実を前にしても、人前で『涙』を見せない。恒常的に『強い感情』へ蓋をしているために、他者からは『心がない』と誤解されやすい。

原作でも御幸が(ギャグ描写だが)川上からそのように評価されたり(大部分は普段の行いのせいだが)沢村を素直に褒めたのにも関わらず不審がられたりと踏んだり蹴ったりだ(因みに、沢村診断での『規範機能Ne』で触れた『相手の発言をたまに疑っても的外れ』の例はこのこと)。

なお集団での熱狂や興奮の只中へ巻き込まれるのも大嫌い(いわゆる『ノリが悪い』タイプ)なため、倉持による臨時チームの燃え上がる雰囲気を目の当たりにした内心は複雑だっただろうが、ぽつんと独り横から見ているくらいで丁度よかったかもしれない(面倒臭い)。

例えば突発的にサプライズを仕掛けられ『場を盛り上げる(周りの人を喜ばせる)ための面白いリアクションやコメント』を期待・強要されるのは地雷級のNG行為である。もしそのようなことがあったら、Feを証明機能に持つ沢村に一任すれば、場を白けさせることもなく上手いこと躱してもらえる(衆目を沢村自身へ移した上で御幸の顔も潰さずに笑いを取ってくれる)だろう。

何にしても、プロになった後でスポーツバラエティの番組等に出る際には苦労しそうな性質だ(予め『本日の主役』にされることが予想出来る『誕生日』などの行事は甘んじて受けるだろうが、内心は親しい人と二人か少数でひっそりと祝われたい…そもそもイベント事自体に関心を持ちにくいタイプでもある)。

集団の前に出てスピーチすることも、練習中の掛け声も得意ではないはずなので、出来るなら代わってもらいたいだろう。『王者の掛け声』の頻度が低いのも仕方がない。ついでに言えば写真写りの残念さもFe脆弱の作用と言える。

なお、沢村のFeが御幸のFeを直接的に助ける場面は幾つかあるが、中でも分かりやすいだろう例は、東京選抜前に対戦選手たちへ配るハイチューを御幸の手に託した沢村Feのアイデアだ。脆弱Feは集団の空気を自発的に盛り上げるのが大の苦手なので、この『配るだけで相手集団を喜ばせられるアイテム』には相当に助けられたはずである。

(Fe脆弱タイプにも当然だが『感情』はあるので、一切の感情表現をしないということではない。日常的にはそういったアクションが薄くなりがちなだけで、ILIやSLIにも爆発的な精神の高揚を全身で表す場面は存在する。

これは他のどのタイプにも言えることだが、『脆弱機能』とはあくまで『不得手で且つ、軽視する価値観(コンプレックス)』を示しているだけで、個人の『人間的』な部分が欠落するという意味ではないのである)

【ILIの超自我ブロック(脆弱Fe+規範Si)まとめ】

『脆弱Fe』と『規範Si』。この二つの要素は御幸の最大の弱み。人生においてなるべく関わるべきではない、コンプレックスを示している。この二つの要素は脆く繊細で非常に傷つきやすい。使い過ぎるとエネルギーを消耗し、最悪は心を病んでしまうので、出来ればこの要素を肩代わりしてくれる相手を見つけられるといい。

例)
『体調や気分を整えるために(Si)、感情表現する(Fe)』
『満足するために(Si)、仲間達と交流する(Fe)』
『快適な暮らしのために(Si)、人々と協力する(Fe)』
『リラックスするために(Si)、みんな仲良く和やかな空間を作る(Fe)』
『美学を追求するために(Si)、社交性を磨く(Fe)』

といったことは、御幸にとっては『どうでもいいし、正直何言ってるのか理解も出来ない』価値観であり、強制されると非常にストレスになる。また意識がこういった『超自我ブロック』に強く向くと、途端に心身のバランスが崩れて調子を落とす。その場合は『自我ブロック』に集中して持ち直すと良い。

御幸と双対関係である沢村は、Feの要素を『イドブロック』内の『証明機能』に持っている。
沢村にとっての『Fe』は得意だが軽視している要素のため、御幸の『Fe』の未熟さを気にせず、拙さに目くじらを立てることもなしに、フォローしたり、肩代わりしてあげられる。

双対関係の相手は、自分の『脆く傷つきやすい脆弱機能を直接的に庇ってくれる』ありがたい存在(勿論、沢村の『脆弱機能』は御幸が守ってあげる立場になる。相互に助け合う関係)だ。

【秋大会中の御幸と前園による確執問題】

御幸の『超自我ブロック(Fe-Si)』に大ダメージが入ったエピソードと言えば、何と言っても『秋大会中の前園との確執問題』である。

『Fe-Si』を『超自我ブロック』に持つ御幸は『場の空気を読む(Fe)』ことも『集団の情動をコントロールする(Fe)』ことも『素直に感情表現する(Fe)』ことも『他者の心身の状態を見る(Si)』ことも『心地良さを保つ(Si)』ことも『周囲の様子を気遣う(Si)』ことも大の苦手である。

そのために御幸は『チームの士気を上げる明るい人気者タイプのリーダ像』にも『目端が利いてよく気の付く人情派なリーダー像』にも合致しない。
残念ながら『他者から慕われやすい(表向きに分かりやすい優しさや親しみなどの)』要素が欠けているため『仲間の気持ちが分からない』と糾弾される羽目になったのだろう。

特に御幸世代(同学年)の主要メンバーには、御幸と価値観の近いタイプがいない。むしろ倉持と前園を中心に、御幸の最も苦手とする『Fe-Si』の価値観を最重要視している異質で真逆なタイプが勢揃いしている。

御幸の『平凡な選手の気持ちを理解出来ない天才性』も相まって、余計にその価値観を複数の人間から否定される展開になってしまったのだと推測される。相性含めて詳細に見ていく。

相性前提。ILI御幸とESE倉持・前園・小野は衝突関係。御幸とSEI渡辺は超自我関係。どちらの相性も難度が高い。前項で説明したように、いずれも互いの弱点『超自我ブロック』を互いの武器『自我ブロック』で抉り合ってしまう関係だからだ。

渡辺との擦れ違いから時系列順に要素込みで解説する。渡辺はSEI。サブタイプは恐らく異なるが、御幸と不仲だった丹波と同タイプであり、御幸とは根本的に価値観が異なる。渡辺の自我は『Si-Fe』で『周囲の空気を読みつつ自他の気分や心地よさに配慮する』。

渡辺は部の空気(Fe)と今の自分に齟齬を感じ、自らの存在理由(Si)を求めて主将である御幸に『相談』しようとした。『自我Si-Fe』の渡辺は御幸の感情気分、場の雰囲気に配慮しながら探り探り会話を試みる。

だが、FeとSiを共に苦手とする御幸は『言い淀んでいる』と取り違え『主導Ni』で渡辺の言動を先読みし『辞めたい』のだと早合点。議論における他者への配慮を軽視する『創造Te(脆弱Fe)』特有の歯に衣着せぬ物言いで、自らの正直な意見「辞めたいと思う人間を止めることは出来ない」を一方的に伝え会話を打ち切ってしまう。

後にそれを知ったESE前園は激怒(前園らのESEと渡辺のSEIは『双子のような』と形容される『鏡像関係』の相性で『価値観が非常に近い』ため容易に互いの感情を理解し合える)。前園は『控えの苦悩(Si)』を『チームの仲間(Fe)』として共有したい想いが強い(自我Fe-Si)。でなければチームとして成り立たないと信じている。

対して御幸も『自我Ni-Te』で持論を展開。「みんな仲良くお手々つないで この先もずっと同じ道を歩いていくなんてあり得ないんだぜ」『FeーSi軽視』且つ『主導Ni-Te』で前園の『超自我ブロック』を抉って前園が更に激昂。

この時の前園の『不安とか迷い(Si)を抱えながら戦っている仲間を引っ張っていく(Fe)のがキャプテン』という発言は、典型的な『Fe-Si』的発想である。

また『不安なのは(Si)自分だけじゃない(Fe)』という小野の発言もとても『Fe-Si』的。なお小野も倉持前園と同じESEである。『空気を読み(Fe)人に合わせる(Si)』ことが得意な日本人にはそもそも『Fe-Si』のESEか『Si-Fe』のSEIの人口が、世界的に見ても突出して多い…つまり、ILI御幸にとっての『性質面での天敵』も多い。

御幸の言動に激昂する前園に、小野をはじめとする同級生たちの多くが同調し、御幸の反論は次第に小さくなっていく。そこへ、ずっと成り行きを静観していたESE倉持がとどめの一言。
「本当に辞めようとしてるやつがこれだけのノート取ってこれるか?」

『S分野とF分野を苦手とする』御幸には『仲間(相手)が何を想って(Fi)その行動を取ったのか(Se)』『どんな感情を伝えて(Fe)満足を得ようとしているのか(Si)』を想像する力が欠けている。

その根本的な穴を『S分野とF分野を得意とする』倉持から指摘(攻撃)され、ふっと意識した渡辺のノートをびっしりと埋めた文字列という『事実(創造Te)』に意識が行ってやっと、御幸にも『渡辺の感情や真意』が理解出来たのだろう。…そのために次のコマでぐうの音も出ない程の衝撃を受けている。

(ここでの倉持は中立的と見せかけて、実は前園側に付いた発言をしている。無論、御幸を『攻撃する意図』があったわけではない。だが『超自我ブロック』は例によって非常に脆く繊細なため、直接的な指摘だけでも大きなダメージになってしまうのだ。結果として『倉持までもが御幸と対立する姿勢を示してしまった』ために、この場では御幸が孤立し痛手を負うことになった。

このときの倉持の『副主将としての』ベストな動きは、御幸と前園の間に入り、努めて中立的に場を治め、後に一人で渡辺から真意を聞き出し『ただ事実として』必要な相手へ伝えることだっただろう。

…とは言っても、倉持もESEだ。『重視する価値観すぎて他者の粗も見逃せない自我ブロック』に『Fe-Si』を持っているため、御幸の超自我『Fe-Si』に『干渉しない』ことは難しかっただろうが…)

前園からの指摘「ずっと(レギュラーで)試合に勝つことだけ考えて来た」というのは、確かに『結果(Ni)と利益(Te)』を重んじるILI御幸(Ni-Te)の価値観で間違いない。ILI自体が『大将』よりも圧倒的に『参謀』に向くタイプであることにも間違いはない。

ただ本来ならば、御幸のような『知将』タイプ、前主将結城のような『力で引っ張る職人タイプ』の主将がいても別にいいはずだし、実際に世界の歴史を紐解いても、そういったリーダーは幾らでも存在した。

だが御幸の場合は不幸にも、周囲の大半が『衝突関係のESE(倉持・前園・小野)』または『超自我関係のSEI(渡辺・川上)』で『Fe-Si』の価値観をイコール『キャプテンらしさ・理想的なリーダー像』だと思い込んでいるために『御幸の価値観(Ni-Te)』が全否定される事態になった(そして価値観が違うからこそ、その後の御幸も「主将だからと(周囲の空気=Feに配慮して)自分の意見を押し殺さなければならないのか」と、前園の言葉に納得出来ず不満を抱いたままでいる)。

このように元からコンプレックスを感じている『Fe-Si』の力の無さを、それを自我に持つ複数名から指摘され、御幸の『超自我Fe-Si』は非常に傷ついた。その証拠に、ここから秋の薬師戦までの御幸はずっと『主将に向いていない(チームメートの多くから求められる主将像に合致しない・なれない)自分』に迷い『主将業の重圧』に独りで耐えつつ進んで行くことになる。

なお、前主将の結城に相談しても、御幸の根本的な悩みは解消されなかった。それも当然で、SLIの結城はILI御幸と同様に『Fe』を『脆弱機能』に『Fi』を『動員機能(苦手重視機能)』に持っているため、例によって『感情面や対人面の問題処理』(F)が苦手である。だからこそ結城自身も「周りに助けられた」と明言したのだろう(ただし結城の場合は『居心地の良い空間を作る』ことに適した『Si』の方が最高に得意な『主導機能』にあるため、ILIの御幸ほどには『チーム作り』に苦労しなかったはずだ)。

御幸を主将に推薦した結城の言葉は御幸を励ましはしただろう。だが解決法を提示してくれるものではなかった。また結城の「プレーで引っ張る」という言葉も(これについては結果論だが)負傷した御幸にはかえってプレッシャーになってしまっただろう。

脆弱機能には肩代わりしてくれる相手が必須。だというのにそういった同級生には不幸にして恵まれなかった…。そんな御幸を精神的に救ったのが『双対関係』の相方である主人公沢村だ。この詳細は『動員Fi』の項目にて。

【『超イドブロック』とは】

『モデルA』の上から三段目の二マスをまとめて『超イドブロック』と呼ぶ。左のマスは『第六(動員)機能』、右のマスは『第五(暗示)機能』と呼ばれる。これらには『価値観としては重視されるが、苦手で且つ、力も弱い』二要素が入る。

【第五機能『暗示する機能』】

(得意不得意:苦手 重視軽視:重視 力の強弱:最弱)

『示唆』『盲点』とも呼ばれる。力の強弱で言えば、前項の『脆弱機能』と同様に最弱。もはや『欠けている』レベルで苦手な機能だが、潜在的には『出来るようになりたい』と渇望している機能で、人生の意義、テーマとも言うべき重要ポイント。この穴を埋められるか否かで、人生の豊かさ(満足度)が大幅に変わってくる。もし埋められたなら最上の喜びを得ることが出来る。

ところが残酷なことに、この『暗示機能』は、他者から学ぼうとしたり、本人が必死に努力したところで『自力で自由に使えるようには絶対になれない』。弱いというよりも『最初から持ち合わせていない』『欠けている』機能である。よってそれを『大得意』とし『自在に扱える相手』がパートナーとして必要になってくる。その相手に補ってもらうことで、やっと知覚出来るようになる。

【御幸の『暗示機能』】

★Se(外向感覚)★
実地でタイミングを計る、事を起こす、対抗、抵抗、攻撃力、反射神経、やる気、興奮、自信、自我(エゴ)、野性的本能、直感、物体の目の前にある静的な性質への感覚、目の前の現実への感覚、外見、質感、形、静的な物質、影響、直接的で物理的な効果、距離、広がり、範囲、外側へと向かう運動エネルギーの把握、五感をフルに使って今この瞬間から状況を捉える、ため込んだ攻撃性の解放

『Se(外向感覚)』はこういった『今目の前で、実際的に起こる(自発的に起こす)事象や、現実へ直接的に作用する力』を示している。

Seを『自我ブロック』に持つ人は『今ある現実に直接的に関与していく能力が高い』ため、身体の使い方が上手く、スポーツや手指を使った作業も得意な場合が多い。フットワークが軽く、自分だけではなく他者の動かし方(圧の掛け方)も心得ている。

そのために、悪く出ると『暴力的』『粗暴』な要素として、他者の安全を直接的に脅かすことにもなりかねないところには注意が必要。

【御幸『暗示機能Se』詳細解説】

Seが『欠けている』御幸は上記のようなこと(Seの要素)が苦手。事実『野球』以外のスポーツが不得手であることは、部員同士で『サッカー』をしていたときのお粗末なキックに現れている。第二機能『創造Te』の項目でも触れたが、ILIは『五感で現在の状況を把握し積極的に動かしていく』ことが、困難(殆ど不可能)な性格タイプである。

勿論(遺伝や生まれ持った身体機能等のタイプ外要素もダイレクトに絡んでくるため)『Seが苦手=運動音痴』ということでは必ずしもない。だがやはり『身体や手指を動かす』『現在進行形で感覚的に判断する』分野がSeを得意とする『Se自我・イド』タイプよりも本質的に苦手で、他分野の方が才能を発揮しやすいことは事実なので、そもそも『スポーツ』に関心を抱きにくいという側面はある。

御幸の場合は、ポジション選びを間違えなかった(『自我Ni-Te』と非常に親和性の高い『捕手』を選んだ)こと、生まれ持った『肉体』がスポーツマン向きだったこと、幼いころから継続して『野球』の能力を集中的に鍛えていることが『野球プレーヤー』として幸いしているのだろう(ILIは専門分野特化型で、一つの得意分野を極めようとする傾向が強い)。

因みに、御幸とは真逆の視点の持ち主である『Se主導』の沢村は、七森戦での先のデッドボールに怯んでインコースを要求出来ない御幸に対して、首を振ることで『現状を打破しようとする意志(Se)』を伝えた。『アウトコースに絞る敵の狙いを場の状況から察知(Se)』したからこそ『今行かなくていついくんすか(Se)』と、御幸の背中を後押しした。

『創造Te』の『王谷戦』の項でも触れたが、御幸側からの『Se(感覚)的アプローチ』は失敗に終わる事が多い一方で、これら沢村からの『Se的アプローチ』はほぼ百パーセントの確率で成功している。

これらは沢村の『主導Se』が御幸の『暗示Se』を補完する(埋める)双対関係の相補現象として非常に趣深いシーンである。バッテリーという関係性もあるが、御幸沢村には他にも(試合外でさえ)互いに刺激を与え合い(あるいは助け合い)互いの弱点を互いの美点で補完し合う場面が突出して多い。

『暗示Se』の御幸は上記のように『主導Se』の沢村や『創造Se』の降谷らから『外部からの刺激』や『自分自身が外側へ強く押し出され動かされる力』をもらえるのを内心非常に有難がり喜んでいる。

御幸が頻繁に『エゴの強い投手』を面白がるのも『投手のエゴ=強いSe』によって強引にでも動かされるのが嬉しいからだろう。だから『球を捕れ』と後輩投手らに纏わりつかれることも、本心では喜んでいるはずだ。

『Se超イド(特に暗示)タイプ』は、こういった実行力と行動力を併せ持つ『Se自我(特に主導)タイプ』の強く眩しい魅力に激しく惹かれる。

その他、ILIは意外と優柔不断で、未来を見通せる割に決断を下すのが苦手。視野が長期的すぎて、短期的な計画を立てたり実行に移すのには躊躇するという弱点があるので、やはり現実的で行動力のある人に尊敬と憧れを抱く。

ただ御幸の場合は、恐らく母とは早い内に死別して父子家庭で育ち、忙しい父の代わりに『家事』を引き受けてきたらしいこと、それが高じて『料理』を趣味特技として挙げられるまでになったこと、幼いころから現在まで『野球』をしていたことと『暗示機能』なので自力での穴埋めは出来ない(Niの能力で無自覚にカバーしてしまう)ものの『Seの分野』に触れる(慣れる)機会自体は幼少時からかなり多かったことが窺える(余談だが、Ni主導で料理の段取りは得意でも、Se暗示で食材を素早く細かく切る・フライパンを振る等の作業はやや苦手かもしれない)。

そういう意味では『Se強化型ILI』と言って差し支えなさそうだ。更に主な目的のためにF(感情)を切り捨ててきた気のある御幸はS(感覚)よりF(感情)の分野(『第四脆弱Fe』や次項の『第六動員Fi』)にとことん弱い(慣れていない)のではないかと推測出来る。

【第六機能『動員する機能』】

(得意不得意:苦手 重視軽視:重視 力の強弱:弱)

『動員機能』は『暗示機能』と同じく苦手でバランスを取れないが、強く憧れている要素。ただし、自力では一切扱えないし学習すらできない『暗示機能』とは違い、この『動員機能』は経験を積んだり他者から学ぶことで、ある程度は自分でも扱えるようになる。

人生には必要だし手助けも嬉しいが、優先度は『暗示機能』の方が上なので、人によって夢中になるか無関心を貫こうとするかで極端に別れる傾向がある(なお、いくら避けようとしていても、一度でもスイッチが入ると無関心ではいられなくなる場合が多い)。

『規範機能』と『脆弱機能』の入る『超自我ブロック』と『暗示機能』と『動員機能』の入る『超イドブロック』。

どちらも同じように苦手で力も弱い要素だが、唯一にして最大の違いは『価値観の軽重』。軽視している『超自我ブロック』には『嫌悪感』が付きまとうが『超イドブロック』には一切『嫌悪がない』ところが特徴。

人は『顕在意識』にある『超自我ブロック』の機能については『劣等感を自覚する』ため、少しの干渉でも嫌う。至らなさを指摘されるなど以ての外。だが『潜在意識』にある『超イドブロック』に関しては『無意識の領域』なので一切の負の感情がない。親鳥から餌を与えられる雛鳥のように、素直に純粋にただ情報を求めているので、その要素を得意とする人からの積極的な介入をむしろ有難がる。

ただし『暗示機能』は『何一つ自分では判断出来ず疑わない』ため、危険人物からの偽情報さえ鵜呑みにしてしまう危うさがある。一方『動員機能』は選り好みをするため情報が偏りやすい。何にしても『超イドブロック』の情報収集は、いかに『信頼できる相手』を見つけられるかがカギである。

【御幸の『動員機能』】

★Fi(内向感情・内向倫理)★
個人的な人間関係、個と個の交わり、自分自身の好き嫌い、個性、主観、趣味、道徳、価値、善悪の評価、愛着、関係構築、敵味方の判断、内的な調和、共感、同情、思いやり、支援、非難、判決(guilty or not guilty)、個人的な感情の協和もしくは不協和(仲が良いか悪いか、相手を好きか嫌いかなど)、自分と相手(人でも物でも)の関心の有無や、個人間の物理的、心理的距離をそれぞれに測る

他者との関係とは言っても『みんな(Fe)』を指すのではなく『私とあなた(Fi)』…あくまでも『個人と個人の関わり』を『主観的』に把握するため『関係性の倫理』とも呼ばれる。自分自身の『私的な感情』や『人と人・人と物・物と物との一対一の関係性を把握する力』を示している。

【御幸『動員機能Fi』詳細解説】

御幸は明らかに『動員Fi』の大半を『ぞんざいに扱って』きたタイプだろう。シニアチームではそもそもレベルが違い、上級生投手から嫌われていた。丹波とも信頼関係を上手く構築出来なかった。川上からも全体的にやや不信感を持たれており『自分とは違う存在』であると突き放された。

こうして長年にわたって『性格的にも技術的にも相性のいい投手』と巡り合えなかった経緯があり『Feの弱さ』も加わって『自分が楽しむこと(Fi)』や『父親との関係(Fi)』以外では、ほぼ『動員Fi』を使わず成長させてこなかったことが窺える。

作中でもその弊害は随所に表れており、御幸の『(割と致命的な)やらかし描写』は、ほぼこの『F分野』に集中している。秋大会中の渡辺や前園達との件は前述の通り。物議を醸した春の市大戦前後から、降谷の背中に痛みが出るまでの期間などは『御幸Fの迷走』が非常に目立つ。

(この辺りの二人の心理・心情の動きについては【降谷暁 ソシオニクス性格&相性診断】内で長く詳細に触れるため割愛するが、上記期間以外でも無印のころから恒常的に『降谷関連の御幸の思考や言動』は『恩恵関係』という二人の厄介な相性故か、不安定で危ういことが多い)

病院から戻った降谷に声を掛けるESE(自我Fe-Si)前園を見た御幸が『こういう所なんだろうな、俺に欠けてるのって』と認識したのも、正にこの『F(感情)』面についてだ。

だが(『脆弱機能Fe』はともかく)御幸の『動員機能Fi』に関しては『学習が足りずに育っていない(偏っている)』だけで『欠けて』はいない(『動員機能』の性質は前述の通り)。

御幸の『動員Fi』への『無意識の憧憬』は「投手と捕手が一体となって作り上げる作品」といった発言等にも強く反映されているし、内心では色々と感じて第三者の前でその感情を漏らすこともある。だが当人に直接伝えること(動員Fiについてを学習し育てる機会)からは残念ながら逃げている描写が多い(前述通り超イドブロックは無意識の領域である)。

【ILIのFiに関する複雑さと不安定さ】

メインの解説に行く前に、ILIというタイプにおける、感情面での複雑さ不安定さについてを一度論じておきたい(分かりやすさ重視のため、例として恋愛面にも触れるが、御幸個人の話ではなくあくまでILIの傾向であることを前置いておきたい)。

御幸の性格タイプであるILIは、一般的には『淡泊クール』酷いと『冷酷非情』のように言われるが、この『動員Fi』を持っているために案外と『人の情』には弱い面がある。

より正しくは『自分が認めた相手にだけべらぼうに弱い』のが特徴だ。前述の通りに『動員機能』は一度でもスイッチが入ると『無関心』から一転して『夢中』になりやすい傾向がある。

ここに『Fi』つまり『自分の個人的な感情・ただ一人との強固な絆』が入ると『特定の人物』に入れ込みやすくなるのだ(勿論、その『対象』には人以外も含まれる。御幸の『野球』に対する『一途な情熱』も、この『動員Fi』からくるものだろう)。

なお同じ『Fi動員タイプ』でも、Siを主導機能に持つ『SLI(結城哲や白州)』は『日常』の感覚が強く『自他の心地よさ』も優先出来るため、例えば『失恋』等の『感情面に痛手を負う経験』も『日常に起こり得る一部』として受け止め、ゆっくりとでも消化し傷を癒すことが出来る。

ところが御幸の性格タイプであるILIは、上記の『現実的な感覚』が酷く弱い。そのせいで同様に弱い『F(感情)』分野に歯止めがかからず『一途』になりすぎた結果『深みに嵌って致命傷を負いかねない』危うさがある。対象が人でもそれ以外でも『親密な関係』を失う経験が人生に与える悪影響(ダメージ)が大きくなりすぎるのだ。成長過程のどこかでそれを自覚するILIは、安易に傷つかないよう猜疑心を強め『感情面』でのガードを固め、対人関係の間口を狭めていく。

そんな『F分野』において常に危ういバランスの上に立っているILIが、もし『動員Fi』に傾倒しすぎて、精神が極端に不健全な状態になった場合はどうなるかと言うと『愛する人のためなら世界などどうなってもいい』的サムシングの敵キャラが爆誕してしまう(所謂『愛が重い』タイプである。御幸を例にすれば『野球へ向けている情熱』がそっくりそのまま『一人の対象者』にも注がれると考えれば分かりやすいだろうか)。

自分の人生とは無関係な赤の他人にならどう思われようがどうでもいいし、心も簡単には許さない。だが一度懐に入れたが最後、その相手へ滅茶苦茶に入れ込んで、深い部分で誠心誠意尽くしてしまうのがILIの面白いところだ。

だが基本的には『感情のやり取り』に消極的で『感情表現』も『相手の感情を読み取る』ことも不得手な性質であることに変わりはない。恋愛で言うと『大仰な愛の告白』『情熱的な口説き文句』『ド派手なサプライズプロポーズ』などを、ILI側から提供することはほぼ不可能である。もし相手からそれを望まれると、正直に言って『ウンザリ』してしまう(一時期流行ったフラッシュモブ・プロポーズなどは最悪で、もし自分が仕掛ける側ではなく巻き込まれる側だとしても『地獄』だと感じるタイプ)。

ILIは潜在的に『信頼感と理解に基づく安定した人間関係』を築き、その相手と自分とで『秘めている深い感情と経験をわかち合いたい』と願っている。

よって(親しい)相手からの積極的でやや強引なくらいの好意的なアプローチは嬉しいし『想われている』『求められている』自信にも繋がるので有難がっている。
(激しい感情の相互的なやり取りではなく、あくまで『好意を伝えたり受け取ったりする手助けや合図』を欲している。言葉だけではなく行動でも示してくれるとなお良し)

だが、その一方で『自分からのアクション』は↓
・そっと隣に寄り添って控えめな労わりを口にしたり、ちょっとしたコミュニケーションやスキンシップを図る程度がいい。
・『自分の感情』は↑だけで察してほしいし満足してほしい。
・出来れば黙っていても理解されたいし、相手には変わらぬ積極的な態度で接してもらいたい。
…等と、本気で思っている。

感情面での他者への要求が、控えめなようでいて物凄くワガママなのである。そのせいで相手への『リターン』も非常に小さなものになってしまう。

そんな『黙っていても自分を理解し寄り添ってくれる相手』を心底から求めているILIだが、これが『関係を詰めた後』つまり、相手がILI側の性質や要求を正しく理解し、それを受け入れてくれた場合ならば問題ない。ILIの『気持ち(Fi)』が伝わらないことも、誤解されることもないだろう。

だが『関係を詰め切る前』であるなら、たとえ潜在的にどれほど『相性が良好な相手』であっても、当然『双方の歩み寄り』と『互いを理解するための言葉』は必須である。

長くなったが以上を踏まえて、御幸と沢村の不自然な距離感について触れていく。

【御幸と沢村のアンバランスな関係性(距離感)】

原作での独白などを見れば、御幸にもしっかりと『(直接的に関わってきた相手への)情』があることは(読者視点では)理解出来るものの、他者…特に沢村に対しては、間に必要な『言葉』を怠けて一足飛びに『黙ってても分かって』と甘ったれている節があるように思えてならない(理由は後述)。

読者の間でも『御幸と、倉持・降谷・奥村は、それぞれに単独での会話シーンが多く存在するのに、沢村とだけはそういったシーンがほぼ存在しないのは何故なのか』という疑問の声が度々上がる。

それ以外も御幸と沢村には(『出会い』以降試合以外では)沢村とクリスとの間にあったような『特別エピソード』がない。御幸にとっての沢村は他投手と同等かそれ以下の扱いをされた(真意は不明だがそのように見える)時期さえあった。

二人でないときを含めても、真面目に語らうシーンなどは皆無だ。御幸が沢村をからかって遊んで怒らせるか、互いにふざけ合い軽口を叩くか、一緒に悪だくみをしているような場面ばかりである(勿論これはこれで面白いのだが)。あるいは、沢村からの言葉を茶化したり躱したりする御幸しか見られない。

沢村は『御幸とならどこまでも高みへ行ける』と信じているのに、御幸はと言うと少し前まで『沢村が背番号1を背負う想像』すら出来ていなかった。つまりは『沢村と自分が共に高みへ昇る想像』が出来ていなかったということだ。『個人の心情』としては沢村と対照的である。

更には夏の市大三高戦直後の夜に、降谷へ本音を打ち明ける御幸を『蚊帳の外』から見上げて「俺にじゃねーんだな」と落胆する沢村の悲壮なシーンさえ描かれた。

(『超イドブロック…特に暗示機能』に『Fi』を持つ人は『敵味方を正しく区別・選別することが出来ない』という危うさを持つ。『自分にとって本当に必要な人』を見極めることが困難なので、例えば『耳に痛いことも言ってくれる味方』を遠ざけ『笑顔で全てを肯定してくれる敵』を側に置いた結果、騙されて痛い目に遭う…といった事態に陥りがちだ。むしろ『自分自身の感情すらよく理解出来ていない』ようなところもある。

因みに動員Fiである御幸が自ら密に交流しようとする相手は、当然『人間性』には皆問題ないものの『相性』で見ればイマイチな相手ばかりである。先に挙げた『倉持・降谷・奥村』も『衝突・恩恵(先生)・恩恵(生徒)』といずれも難しめの相性で、特に『二人きりでのプライベート交流』には向いていない。

勿論、御幸の周囲…前述した『御幸世代』や『投手・捕手陣』に、たまたま御幸と厳しい関係性のキャラクターが固まっている事情もあるので『彼らとまったく交流するな』と無茶を言うつもりはないが、これ以上にない『最高相性の沢村とだけピンポイントで交流したがらない』のは単純に疑問である。

これも御幸が『Fi動員』である故に、沢村を『自分にとっても必要な人物であると認識出来ていない』か、『沢村に対する自分自身の感情を正しく理解出来ていない』といった見方も出来るが…。

個人的には、沢村に対する御幸の『庇護欲が強すぎる(自分が教育者→『助け育て守る側である』という意識が強すぎる)』がゆえの言動なのではないかと穿って考えてしまう部分もある。詳細は次項)

『主人公』とその『相棒役』として生み出されたキャラクターであるはずなのにも関わらず、正直に言って二人の心身の距離は、少なくとも読者が観測できる範囲では、遠く離れてすれ違っているように見える。

だがその一方で、二人の『繋がり』自体は『盤石なもの』として(そういう前提で)描かれているように思える点も多々あるのである。

その最たるものが『試合中のシンクロ描写』だ。当たり前のように『目と目で語り合い、互いの感情・感覚さえ共有するような強い共鳴(シンクロ)』をする現象。

試合中の御幸と沢村は、他の誰にも真似することの出来ない『二人特有の強固な繋がり』を見せ付けてくる。それも秋の薬師戦以降の御幸と沢村の間では、ほぼ毎試合で起こっている。

因みにこの現象はなんと『ソシオニクス』でも説明可能だ。
『互いを深く理解し合っていて非常に親密な双対関係の二人』の間でのみ見られる『身体の境界さえあいまいになるほどに一体化する感覚』…『統合・融合・阿吽』の現象(双対のシンクロ現象)である。

特に『シンクロしている間の、沢村に対する御幸の理解度』は抜群で、その時々の沢村の感情を完全に把握(リンク)し、鼓舞したり後押しするようなモノローグを連発する。

以前に奥村に対して「沢村とは野球で語り合え」と諭した御幸の発言も、恐らくはこれら沢村との『シンクロ現象』に起因しているのだろう。

だが非常識なその一体感は当然ながら、誰もが経験出来るものでも、誰とでも起こせるような性質のものでもない(たとえ双対関係の間柄だとしてもだ)。『ダイヤのA』原作内においても、御幸と沢村のように心情まで深くシンクロするコンビを他には見ない。

沢村と奥村のバッテリーを見ても、この二人はむしろ言葉を交わしていてさえ満足に意思疎通が図れていないほどだった(現在は奥村が沢村の性格や思考回路を徐々に把握し、扱い方も分かってきたようだが)。

勿論、沢村と奥村が特別におかしいわけではない。本来ならそれくらいでも『普通』の範疇なのだ。この二人に限らず、多くの『人対人の関係』では『御幸沢村バッテリーのようにはシンクロ出来ない』からこそ『言葉』や『実際的なコミュニケーション』を用いて互いを探り知り合おうとする。

逆に言えば御幸は、沢村とは『試合内での強すぎるシンクロ(野球で語り合う経験)』を共有しているが故に、沢村に対する『試合外での言葉』を怠る…『必要であると認識出来ていない』可能性が考えられる。

また仮にそうだとすれば御幸は、試合内での『シンクロ』だけで『沢村の(プライベートまでを含めた)すべてを理解した気になっている』ことにもなる。ひょっとすると『沢村からも自分を理解されていると誤解している』可能性までもが浮上してしまう。

だが二人が試合時に『共有』しているのは、あくまで『野球における思考や感情』でしかない。互いの『私的(プライベート)な感情や思考』を正しく把握・理解出来ているわけではない。御幸はそこを履き違えている。だから沢村には『試合外』で直接言葉を掛けず、積極的に『交流』しない…。

沢村(および読者)視点では『理不尽』にも『薄情』にも見える御幸の言動だが、御幸自身は上記流れからくるごく自然な感覚で『沢村とは野球で語り合え(ば言葉を交わすよりもずっと多くのことを分かち合える)』のだと本気で信じている…と仮定すると、少々見え方が変わってくる。

先の読者の疑問「御幸が沢村とだけ二人きりで語り合おうとしない理由」「御幸が直接沢村に言葉を掛けようとしない理由」「沢村のいないところで降谷にだけ『プロ』についての質問をしたり本音を語った理由」のすべてに、説明が付けられ(仮説を立てられ)てしまうのだ。どういったことか、これからその『仮説』についてを検証していきたい。

【御幸の沢村への対応理由『仮説』】

まず、現段階(act.Ⅱ256話時点)での根拠としては、降谷へ『プロ』の話題を振った御幸の様子が挙げられる。

会話の相手は降谷でも、御幸の言葉や独白から垣間見える思考には『沢村』の名前や存在が、あたかも今同じ空間に同席しているかのように当たり前に登場している。
しまいに御幸は『降谷の答え(今は目の前の甲子園のことだけでプロについてはまだ考えていない)』を聞いただけで一人愉快そうに「お前ら」と、沢村と降谷を一括りにした反応をする。

これはつまり『沢村にはわざわざ言葉を介して聞かずとも、どう答えるかが手に取るように分かっている』という御幸の心理と自信の表れであると推測出来る。事実として沢村は『プロ』のことなど「考えたこともねぇ」わけで、御幸の沢村に対する理解が正しいことも示されている。

だが繰り返すが、御幸が沢村を理解しているのはあくまでも『野球関連の心情と心理』だけだ。御幸自身は、沢村にとっての『自分』がどれほど大きな存在であるかを知らない。沢村が御幸からの『言葉』を欲しがっていることも、御幸にとってどういう存在になりたがっているのかも理解していない。御幸が『(自分にではなく)降谷へ本音を語る』ところを『蚊帳の外』から目撃してしまった沢村の心が、どれほどに傷ついたかを知らない。御幸が沢村を理解しているほどには、沢村が御幸を理解出来ているわけではないことも。

御幸と沢村のリアルでの関係は『公私(試合中と試合外)の理解度』と『沢村に対する御幸の理解度および、御幸に対する沢村の理解度』に差がありすぎて、あまりにも不安定だ。

だが御幸と沢村だけが発揮する『試合中のシンクロ』は、先に触れた御幸の性格タイプであるILI(動員Fi)が求める『言葉がなくても相手と通じ合える経験』の最たるものである。

もしも御幸にとっての沢村が『黙っていても自分を理解してくれる(理解出来る)相手』という認識で固定されているとすれば、この経験の分だけ御幸が自分の『動員Fi』を『育てずに甘やかす』…決定的な言葉のない沢村との関係や距離感を『今のままでいいと思い込む』のはある意味リアルだ。

そうであるなら今後何か問題が表面化しない限りは、御幸が自らの沢村に対する『現実的な言葉やコミュニケーションの不足』についてを省みる機会も永遠に訪れないことになる。御幸視点で『順調』に進んでいる『自分にとって非常に心地の良い理想的な沢村との関係』をわざわざ壊す理由が、御幸側にはないからだ。

現在の『御幸と沢村のアンバランスな関係性(距離感)』の土台となったのは、秋の薬師戦での『一際深いシンクロ経験』だろう。

以前は、薬師戦前の「言葉にしなきゃ伝わらないことってあるんすよ」という沢村の台詞から、試合中の「キャプテンだからってあんま一人で背負いこまないで下さいよ」を経て、試合後に副主将二人へ愚痴る御幸へと繋がる一連の流れは、沢村の言葉が御幸の『動員Fi』に刺さって成長を促すまでの過程だと、個人的には解釈していた。だが御幸と沢村の関係性においては恐らく『それ以上の意味』を持っていたのだろう。

当時の御幸一番の悩みだった『主将としての苦悩(動員Fi)』を素直に汲み取って真正面から真面目に労わった人物は、この時の沢村しかいなかった。『スランプ』という勘違いもあったためにシーンの最後はギャグテイストになって要点がぼやけているが、沢村の『発言の根幹』は揺らいでいない。

要素の簡単な流れとしては以下だ。

●秋・薬師戦での沢村は、御幸の『不調』自体には気付いていたが、心配を直接表には出さず、いつも通りに振舞っていた(沢村の無視Si)。

↓だが実は、洞察のなさから『スランプ』であると勘違いしている(沢村の脆弱Ti)。
↓そのためにいざという時の気遣いの方向が曲がってしまう。

●『(負傷した)御幸へ腫れ物に触れるように接するチームメート(御幸の規範Si)』
●『御幸の怪我発覚からの危機的状況にピリピリするチームの雰囲気(御幸の脆弱Fe)』

↓これらに参っていた御幸(双対関係の相手)を助けようとした(沢村の証明Fe)が一度大暴発。

※恐らく『スランプ』である御幸にかかる『部員らからのプレッシャー(御幸の『超自我Fe-Si』)』をどうにか軽減しようと懸命に考えた上での「この程度の男なんです!」発言。

●だが、だからこそ沢村は『主将業のストレス』という別の要因(沢村の『自我ブロック』および御幸の『超イドブロックSe-Fi』)に、ただ一人だけ着目している。

↓一方の御幸は『超自我ブロック』の項で触れた、

●衆人環視の中でリラックスできない『規範Si』
●かつて同級から袋叩きにされた『脆弱Fe』
●『主将に向いていない』という自意識である『動員Fi』

気持ちの投手である沢村に限らず、出来れば誰からも注目されたくなかった『脇腹の負傷』を『大半のチームメート』からよってたかって案じられる状況と『チームから求められる主将像に合致しない自分自身やチームへの葛藤』を抱え苦しみながらも、

●チームを勝利へ導くためのリーダーシップ・行動原理である『創造Te』由来の責任感で、どうにかこうにか踏ん張っていた。

↓そこへ「キャプテンだからってあんま一人で背負いこまないで下さいよ(『自我Se-Fi』及び『証明Fe』)」と『当時の御幸が最も欲していた(他には誰もくれなかった)』言葉を沢村がくれた。

怪我(御幸の『規範Si』)には触れられず、チームメートから散々に求められてきた『部員の気持ちを察せる主将像(御幸の『脆弱Fe』)』を『一人で背負わなくていい(Fi)』と許され、御幸の超自我(最大のコンプレックス)である『Fe-Si』が癒された。

またここでは『双対関係の身近な相手(御幸の脆弱Fe)』を助ける沢村の『証明Fe』も(先の暴発とは違い)正しく発揮されている。

↓孤独だった精神に『寄り添われた』。(沢村の『創造Fi』/御幸の『動員Fi』)
↓『黙っていても分かってほしい』気持ちが満たされた。(御幸の動員Fi)

●結果、ILI御幸の最も根深い問題だった『主将業の重圧(御幸の超自我Fe-Siおよび超イドSe-Fi)』が救われ『主将に向いていない自分』についても(完全ではなくとも)開き直ることが出来た。

※なお沢村の『スランプ』の勘違いは問題ではない。沢村だけが唯一御幸の『主将業の荷物』についてを気に掛けたことには変わりないからだ。

…という経緯。

↓更にその後に経験した一際大きい(はじめての)『双対シンクロ』。
↓『Se-Fiの極み』とも言えるモノローグ『二人の想いを一つにするのがバッテリー』。

捕手は打者を打ち取るために 投手にサインを出し
投手は打者を打ち取るために 捕手の構えた所に投げる
二人の想いを一つにするのがバッテリー
たったそれだけで俺たちはパートナーになれる

ここで御幸は沢村との深層的な繋がりの強固さを確信したのではないだろうか。

『たったそれだけで俺たちはパートナーになれる』は二人の始まり(出会い)のモノローグでもある。
繰り返すことで『新たな始まり』を示したとすれば『(野球で語り合う)たったそれだけで俺たちはパートナーになれる』ことこそが『現在(夏・市大三高戦)までの御幸と沢村二人の関係性のテーマで肝だった』と捉えることも出来そうだ。

この『仮説』が考えすぎでなければ(メタ的に見て)二人の語らい(言葉を使った意識のすり合わせ)も意図して省かれていた…『(野球で語り合うだけで)パートナーになれる』ことが前提の関係性として描かれていた…と考えることも可能になる。

御幸ILIと沢村SEEの属する『ガンマ・クアドラ』のモットーは『力を合わせて手に入れる』であり『言葉より行動で示したがる』共通点もある。それらを体現することで御幸沢村の関係性と『言葉が必要な』他キャラ間の関係性との差別化を図っていた可能性もあるかもしれない。

※『クアドラ』とは大まかに言えば、ソシオニクス全16タイプを4つのグループに分けたもの。同一クアドラには『重視する価値観が同じ』(基本的に相性が良く交流が最もスムーズな)4タイプが入る。ここでは御幸と沢村が同一価値観の『ガンマ・クアドラ』に属しているとだけ理解してもらえればいい。

思えば御幸沢村間には『以心伝心』を感じさせるシーンがact.Ⅱからは明らかに増えている。

軽口を叩く一方で、根幹に近い大事な部分だけは言葉に出さずアイコンタクトだけで伝えあっている印象を受ける。
『「投手と捕手が一体となって作り上げる作品」と呟いた沢村と、無言のままの御幸のアイコンタクト』はその代表だが、他も(あくまで野球関連では)『皆まで言わずとも分かっている』といった、言葉を端折るやり取りが多い。

だがここへきて『上記が前提だった御幸と沢村の関係性』に陰りが生じ始めている。例によって『降谷へプロの話題を振り、本音をも語った御幸』を独り見上げた沢村が『俺にじゃねーんだな』と落胆し『御幸への距離(と終わりのない野球界)への果てしなさ』を噛みしめるシーンがあった…つまり『言葉を前提としない(野球で語り合う)関係性の限界』が明確に描かれたためだ。

『野球だけ』のビジネスライクな関係ならそれだけでも良かったのかもしれない。だが「俺にじゃねーんだな」と呟いた『自我(Se-Fi)』の沢村が求めている『御幸との関係』は、精神的にも支え合える唯一無二の存在、真の意味での『相棒』である。

そのためには当然『野球でのバッテリーという公的な関係性』だけではなく『個人的な繋がりという私的な関係性』も強化しなければならない。だがこの二人は『ふざけ合うだけではない、真摯で誠実な意味でのプライベートを殆ど共有してきていない』。その問題点が、今になって浮き彫りになった。

展開の類似点(デジャヴ)として面白いのは、直前の『夏・市大三高戦』にて『秋・薬師戦』で見たのと同じような『二人のスタート地点のモノローグ』がまたしても繰り返されたところだ。

俺は投げられる あの人のミットさえ信じれば 今よりもっと凄い球が 今よりもっと

『主導Se(俺は投げられる)-創造Fi(あの人のミットさえ信じれば)』が剥き出しの、凄みさえ感じさせる黒く大きな吹き出しで綴られた沢村の独白。

『御幸一也(沢村のFiの象徴であると同時に、超イドNi-Teをも埋めてくれる唯一の相手)』を追いかけるきっかけとなった『沢村の強い想い(自我Se-Fi)』は今でもなお変わっていない。むしろ以前よりもずっと激しさや重みを増しているようだ。

『第一の始まり』である二人の出会い、そして秋・薬師戦での『第二の始まり(関係性の変化)』を踏襲するなら、この沢村の独白からが、二人の『第三の始まり(関係性の更なる変化)』を示している…のかもしれない。

『沢村が1番を背負う姿を(沢村と共に高みへ至ることを)想像出来ていなかった』御幸の認識が今後変わってくるとすれば、沢村の上記独白に対する『御幸のアンサー』にも、また変化が生じるはずだと考えるが、…実際にはどのように展開していくのだろう。

また、例によって秋・薬師戦で沢村からもらった「キャプテンだからってあんま一人で背負いこまないで下さいよ」に対するアンサーとして、御幸から発揮された『動員Fi』についても触れておく。

由良戦での不調な沢村へ「エース一人じゃねぇぞ、チーム背負ってんのは」と、沢村からもらった上記の言葉を『御幸からの沢村への言葉』として返す場面。『返す』ということは『御幸にとって影響が大きく嬉しい言葉だった』ということだ。吸収しカスタマイズしてまた返す。そうすることで『自分もいる』と寄り添う姿勢や、当時の言葉への感謝を伝えている。『動員機能』は自身の経験で学習し、人の手本を吸収することで大きく育っていく。

こうした『沢村から教えられた』経験のおかげで、御幸は既に『言葉の必要性』や『人に頼る重要性』自体は学んでいるはずである。

『(試合外での)御幸から大事な言葉を貰えない』『二人きりで本音(秘密)を打ち明けてもらえるほどの存在になれていない』『エースになっても過去最高のピッチングをしても御幸の中の降谷に勝てない』自分に酷く傷つく沢村を見ていると『確かな言葉や実際的なコミュニケーションこそが今の沢村との関係性においては必要不可欠で、他の誰に対するよりも重大な意味を持っている』こと『気持ちや信頼を直接伝えることの大切さ』にも早く気付いて欲しいと…御幸の『動員Fi』の劇的な成長を願わずにいられない。

無印版『第368話』秋・薬師戦の朝の会話。

御幸「あいつが控えてくれてるだけで十分心強い 今やチームに欠かせない存在だからな」
高島「それ本人に言ってあげたら?」
御幸「言ったら無理しそうじゃん」

沢村「言葉にしなきゃ伝わらないことってあるんすよ」「ほら 俺にも何か言うことないですか?」
御幸「ウ・ザ・イ♡」

もし御幸の沢村に対する認識が、今でもまだこのままだとすれば、やはり御幸は『沢村栄純』を正しく理解出来ていないと言わざるを得ない。

今の『心身ともに成長して謙虚になり自覚と覚悟を持った』沢村ならば御幸の言葉で過度に浮かれたり気負うことはないはずだ。むしろ『創造Fi』が充電されることで沢村の最強武器である『主導Se』が更に威力を増すだろう。

逆に、御幸個人としてもだが捕手としても『相棒として沢村に直接信頼を伝えるような言葉を掛けない』『正バッテリーとしての交流を密にして関係を深めない』ことには今や何もメリットがない。むしろ『降谷にだけプロの話を振った(本音を言った)ところを傍から見られていた』一件のようにデメリットが大きすぎる。

例によって、沢村の『自我Se-Fi』は『自らの感情や信頼する相手との関係(創造Fi)』を軸に『積極的に現実を塗り替えていく力(主導Se)』を社会へ押し出していく特性を持つからだ。

この外界への架け橋である『創造Fi』が不安定だったり傷ついていると、肝心な『主導Se』も力を発揮できず、個人としてだけではなく『投手』としても調子を一気に落としてしまうのである。

そんな沢村の『創造Fi(御幸への信頼)』を損ないかねない危うい思考や言動や選択が、御幸には非常に多いように感じる。

未だ沢村(各投手)に適した接し方を理解出来ていない御幸は『沢村(投手・エース)の力を最大限に引き出せていない(むしろ現時点ではその力を大きく削ぐリスクさえある)』存在であるとも言える。

【御幸のプロ発言真意『仮説』】

なお(act.Ⅱ256話での)御幸の『プロ』発言についてを御幸視点から考えたときに重要になってくるのは、ここでもやはり『御幸の動員Fi』である。

まず考えるべきは「御幸はなぜ降谷に(だけ)プロの話をしたのか」という点。

無論御幸の真意は分からないが現実的に推測すると単純に『自分以外のプロ注目選手が現時点では降谷だけだから』…だろう。

御幸の「キャプテンの立場もあって口にしないようにしてた」という発言からも『口に出しても支障のない相手を慎重に選別している』という意思が伺える。

Te(事実)を見るILIらしく(主将の立場上、目の前の大会への集中を示さなければ部員に対して示しがつかないという事情もあるが)チームメートの大半がプロへ行けるだけの実力を残念ながら備えていないことを、非常にシビアに判断している。

(因みに御幸が『プロを意識しまくっている』ことはソシオニクス的にはバレバレであった。『遠い未来から逆算して今を見るNi主導』の人物が『長期的な将来について』を考えていないわけがない。…というか、そんなことはむしろ不可能なのである。その『遠い未来』こそが、Ni主導の思考にとっての『スタート地点』だからだ。

周囲の、特にS型の人々からしたら理解不能な性質で、性格が悪いように映ってしまうかもしれないが、その思考自体には悪気も悪意も一切ない。それこそがILI…『Ni主導』タイプの生まれ持った性質であり『才能』なので、勘弁してあげてほしい)

では続けて『御幸は最初から降谷にだけ本音を話すつもりでいたのか』を考えてみると、直前のコマで御幸が『二つの回想』をしていることに気付く。

一つは、市大戦での沢村の『捕手の期待を超えてくる正にエースと呼べるピッチング』。そして『相棒として何としてもそれに応えたかった自らのバッティング』。思い出し、浸るように、あるいは夢見るようにふっと微笑んだその横顔からは、喜びと高揚を感じる。

だがその直後、もう一つ違う回想が入る。指先に力が入らなくなった川上から『俺はお前たちとは違う』と言われたこと。その先の野球を既に諦めていること。『ましてやプロなんて』という言葉。

このやり取りの翌朝である市大三高戦の直前に、御幸は険しい顔で一人土手に立っていた。その表情には、エースピッチャーとしての責任が更に増した沢村よりもよほど『動揺して追い詰められている』ような緊迫感があった。

今日の試合の高揚と、可能性を感じるエースのピッチングと、将来へも繋がる自らのバッティング。それらとは裏腹な(未来のない)川上の言葉や、今の状態に対する動揺(そして『プロ注目選手』である降谷と二人の状況)。

これらが御幸の中で合わさって『衝動的に話題に出してしまった』と考える方が自然だろう。

そもそもこの大事な時期に目の前の大会ではなく『プロ』の話題を次の先発投手相手に振るのは(いくら足元が疎かになりやすい『Se暗示』とは言え)『捕手』としての自負心の強い御幸からすると不自然だ。しかも相手は降谷。少し前まで浮足立っていた(遠い目標を見据えるがゆえに足元が疎かになっていた)降谷の意識を、また『未来・未知の可能性(Ni/Ne)』に向けるような話題は非常にリスキー。下手をすると降谷を動揺させ、再び不調状態に逆戻りさせかねなかった(Neは降谷の脆弱機能)。

では何故、御幸はそこまで衝動的になってしまったのか。

以下も仮定だが、たとえ『プロ』を目指していても『みんな仲良くお手々つないで この先もずっと同じ道を歩いていく』つもりもなくても『青道の仲間』を大事に想う気持ちは御幸の中にも存在するはずである。同学年とぶつかりながらもここまでやってきた、その絆も信じていただろう。川上に対しても『自分たちの世代のエース』だと(これもある意味では残酷だが)認めてもいた。

そんな『チームの一員と信じていた川上(しかも同学年投手)』から御幸は『異分子』であると突き放されてしまった。

「俺はお前たちとは違う」と、御幸の提案を突っ撥ねた川上の発言は『衝動的』なものであったとしても、胸に抱えて来た『本音』ではあったはず。『俺』という一人称には『チームの大半』という意味さえ含まれていたかもしれない。御幸自身も承知している『プロへ進めるだけの実力を備えていない仲間達』。川上も御幸自身も、どこかで『自分側』とその他との間に、太い線を引いてしまっていた。

此度の川上の発言である『俺はお前たちとは違う』…御幸がそれに似たような言葉で糾弾されたのは、例によって秋大会中のことだ。御幸は『天才』だからこそ、そうでない人々の気持ちは分からず、同じ視点も持てない。それ自体は仕方のないことで、悪いことでもないはずなのだが『仲間』からさえいつも異端扱いされてしまう。

御幸もまだ十七歳の高校生である。川上の言葉から『孤独』を感じて密かに不安定になっていた(ただでさえ弱い『動員Fi』が揺らいでいた)御幸は、だからこそ『自分と同じくプロを目指せる力を持った降谷、そして沢村との繋がり』を『プロ』の話を持ち出すことによって感じようとした(傷ついている『動員Fi』を満たそうとした)のではないだろうか…(川上の言う『お前たち』の中にもきっと、この二人の名前が含まれていたはずである)。

逆に言えばそれ以外に、投手の調子を崩す懸念のある話題を、決勝直前に振る理由が見つからない。仮にそうなら、そこに沢村も同席していたとしても、御幸が普通に同じ話題を振った可能性も…なくはないだろう。

断言出来ないのは、御幸の沢村の野球関連事項に関する理解度が(本人に直接言葉を用いて真意を確認するまでもないほどに)抜群であること、また御幸の中の沢村像が『気持ちで投げる投手』で固定されていることから。

沢村にも実際にスカウトが来れば別だが、まだである現段階で感情を乱そうとは、流石にしないかもしれない。前述の通りに御幸自身は沢村にとっての自分がどれほど大きな存在で何を求めているかを知らないこともある。知れば対応も変わってくるはずだ。

御幸はむしろ降谷への理解が浅い印象を受ける。降谷がなぜ不調に陥りそれを脱したのかも殆ど把握していないのではないか。でなければ『降谷』へ安易にプロの話題を振るとはやはり思えない。だからこそ会話をするのだろうか。御幸と降谷の『社会的には有益だが、個人的な交流には不向き』とされる『恩恵関係』の相性を考えると、それも妥当な線ではあるだろうか。

とにかく御幸視点、この話は『プロ』を目指せる実力を持った御幸沢村降谷の三人で共有出来る(チームの大半には隠すが、逆に三人の中では特に隠す必要のない)話題に思える。話し相手は降谷でも「沢村にも」「お前ら」と発言している通りに、御幸の中では『沢村も含めた三人の』話として語られている。

【ILIの超イドブロック(暗示Se+動員Fi)のまとめ】

『暗示Se』と『動員Fi』。この二つの要素は御幸の欠落にして最大の憧れ。
意義深い最高の人生にするためには得意機能である『自我ブロック』だけではなく、この『超イドブロック』の価値観を何としても手に入れたい…そういった強い飢餓感と願望を抱く。
この二つの要素、特に『暗示機能』は自力ではけして獲得できない。この機能を『自我ブロック』に持つ(特に双対関係の)パートナーを見つけて『与えてもらう』必要がある。

例)
『相手の気持ちや立場に寄り添って(Fi)、言葉をかける(Se)』
『自分の感情に従って(Fi)、行動する(Se)』
『自分の主観で(Fi)、目の前の現実を理解する(Se)』
『一対一の関係の中で(Fi)、影響を与える(Se)』
『自分や身近な相手の趣味に従って(Fi)外見に気を使う(Se)』

といったことは、御幸にとっては得難い最高の視点で価値観。なお御幸と双対関係の沢村はこの『Se-Fi』の価値観を『自我ブロック』に持っていて、御幸へ随時提供することが出来る。沢村の個性の一つ『気持ちで(Fi)投げる投手(Se)』は、正にSEEの特徴そのもののスタイルだ。

自分の『超イド』を『自我』に持つ相手から、自分の中にはない視点を与えられることで、自らの人生に「自分だけではありえなかった楽しみや喜び」をトッピングしてもらえる。そういった『互いにとって条件のいい(生まれ育った環境、国、文化、言語、思想、常識、世代、興味の対象…等の相性外要素に問題のない)双対関係』の相手と出会えると、モノクロの風景に一斉に色がついたように、ぱあっと目の前が開け『自らの人生』が鮮やかに彩られるように感じる。
御幸の価値観は沢村の、沢村の価値観は御幸の『自己実現』に必要不可欠なものである。

因みに、青道のコーチである落合のタイプも御幸と同じ『Te-ILI』だが、秋時点で御幸を『意外とウマが合いそう』と評価したのも、サブタイプまでが一致した全くの同一タイプであることを『直観的』に察したからだろう。

だが『合理的』に沢村を切り捨て『将来のため』に降谷と心中しようとした、当時新参者だった落合とは違い、御幸には既に沢村と共有した時間と経験があり(頭では『そうすることで得られる利益』も理解していたのかもしれないが心情的に、また『そうしないことで得られる利益』も見越した上で)『沢村を切り捨てることなど考えもしなかった』。

二人の『動員Fi(沢村と共にいた時間と経験と感情)』の差が、御幸と落合の下した『自我Ni-Te』の判断に大きな違いを生み出した、唯一にして絶対の要因だったと考えられる。

【『イドブロック』とは】

『モデルA』の最下段の二マスをまとめて『イドブロック』と呼ぶ。
左のマスは『第七(無視)機能』、右のマスは『第八(証明)機能』と呼ばれる。これらには『価値観としては軽視しているが、得意で且つ、力も強い』二要素が入る。

【第七機能『無視する機能』】

(得意不得意:得意 重視軽視:軽視 力の強弱:強)

『無視機能』に関する事柄は苦手ではない。力は『第二・創造機能』と同じくらいに強く、同じくらいに得意で上手に扱える。だが『価値観の重要度』が違う。『創造機能』とは違い、大事とも重要とも思わない。『無視』と言われるだけあって、出来る限り無視しようとする。

むしろ『最重要視する価値観であり、人生で積極的に押し出していくべき力』である『第一・主導機能』での行動を邪魔されるように感じて鬱陶しく、退屈で無意味にすら思える。そして自分がこの分野を扱えることにも無自覚・無頓着で、使用する際も無意識だったりする。

これは『イドブロック』内の機能どちらにも言えることだが、主に『危機的状況下』で発揮される。自分や周囲を危険にさらさないため、安全を確保するためにはフルパワーで働くが、平常時には基本的に使おうとしない。まるで『警備員や番犬』のような機能である。

なお『危機的状況』の真逆である『非常にリラックスした状態』でも戯れに使用されることならある。その場合は本当に『お遊び』なので、そこに大きな意義や深い意味、明確な目的などは一切ない。

このように『イドブロック』の機能は普段は軽視されていて、どこまでも『受動的』であるものの、その有用性を認識していないわけではないし、苦手な要素でもないので、いざというときにはすぐ動けるよう情報収集するなどして水面下では働いている。何か不穏な気配を察すれば直ちに知らせる『警報』の役割も担っている。

とにかく本来は『自我ブロック』を積極的に使いたいため、それを妨害する作用のある『イドブロック』は極力無視したい。逆に言えば『イドブロック』を使わざるを得ない場合は、自らの心身が危険に晒されている合図だと心得、その状況から一刻も早く脱することを考えなければならない。

【御幸の『無視機能』】

★Ne(外向直観)★
発展の可能性、自他のポテンシャル、見えない動機、未知なるもの、新しい事、才能、能力、適性、仮説、推測、革新、実験、置換、同形、類似、本質、不確実性、好機の把握、チャンス、創始、情報の更新、興味や関わりの多様性、独創的アイデア、奇抜な発想、多角的視点、好奇心、殻を破って新しい風を吹き込むこと、右脳的イメージ

目の前で実際に起こっていることや、現実的なこと、実態を伴うものについてを五感で把握するS型(SeやSi)とは違い、N型(NeやNi)は、その裏側にある可能性、目に見えない本質や、実態を伴わないアイデア、インスピレーションなどを扱うことに長ける。

Neは『発展の可能性』を見る。一つの事象から『起こり得る(あり得る)』沢山の可能性を多角的に弾き出す。『一本の筒から広範囲に拡散する散弾銃』のイメージ。

(Ne自我タイプの思考は『連想ゲーム』と言われる。「リンゴは赤い」という会話から、リンゴは赤い→赤いポスト→ポストに手紙→手紙は…等と繋がっていく)

【御幸『無視機能Ne』詳細解説】

Neというのは例えば『薬品Aと薬品Bを交ぜると、Cという化学反応が起こる』とか『リンゴが木から落ちるのは物体同士に引き合う力があるから』とか『脱酸素剤を作っていたはずが使い捨てカイロが出来た』といった、一見して無関係そうな事実や経験、知識の間に関連性や共通点、意外な外的繋がりがあることを把握する力。例からも分かる通りに著名な『発明家』は『Ne強者』ばかりだ。

御幸は『異質なもの同士の表立った繋がり』を容易く理解出来る。でもそういった『外的な発展のビジョン』には正直に言って興味がない。『主導Ni』の管轄である、もっと『本質的で特別な意味を持つ隠された繋がり』に重点を置く。

一つの事象から沢山の『今あり得る』可能性を散弾銃のように弾き出して「ああじゃないかこうじゃないか」と検討するより、今から未来へ繋がっていく『時間的な』一つのビジョンを「今○○だから将来は●●になるだろう」と探求予測する方が有意義に感じる。

選手としての『主導Ni(ー創造Te)』の使い方には既に触れたが、御幸は日常的にもNiの『時間的展望』を意識した台詞やモノローグを頻繁に口にする。ただ沢村に対してはその才能と成長ビジョンがあまりにも未知数だからか『Niの着地点にNeを絡めた』独白が多い。印象的なのは七森戦での『どんな花を咲かせるかは(Ne)これからのお前しだい(Ni)』(余談だが『ポエム』と呼ばれる御幸の独白…この壮大な抽象表現が非常に主導Niらしい)。

また、少し前までの『沢村への評価』である御幸の独白『(こんなにも早く…)あいつが背番号1を背負う姿まで俺は想像できていたか?』にも御幸の『N』が密に関わる。

一番得意で自信があって、御幸の中では常識で絶対だった『主導Niの予測』が、未知数過ぎた『無視Neの躍進』によって外れる予感に揺らいだシーン。

御幸の独白の通りに『沢村の努力は知っている 尊敬もしている』が、それがまさか自分の『主導Niによる予測』をはるかに上回るとまでは思っていなかった…『沢村の原石としての可能性が大きすぎて(無視Ne)、未来予測が正確に働いていなかった(主導Ni)』というのが、御幸の正直な感想ではないかと思われる。

『野球界の』常識や『野球人としての』感覚には言及出来ないため、原作描写とソシオニクスを軸になるべく客観的に考えるが、七森戦で『エース争いのスタートラインに立てた』『今はまだ種を蒔いたばかり』と評価したところを見ても、普通だったら『沢村二年夏までにエースになれる可能性』は、沢村一年秋時点では『ほぼゼロ』だったのだろう。

御幸は『自我Ni(将来の展望)ーTe(事実的情報)』でそう判断し、沢村については『自分が引退・卒業した後までの長期的な育成』を前提に考えていたはずだ。

また初期クリスも「降谷がいるかぎりエースにはなれない」と断言していた。監督である片岡が『原石の大きさは降谷を凌ぐかも』と感じたのにも関わらずだ。

なお、クリスと片岡は、ILIの御幸や落合と同様に『Niを主導機能に、Neを無視機能に持つ』IEIと呼ばれる性格タイプ。なんとこの四人全員が『主導機能にNi』を持っている。Neで見る『原石の可能性』は、Ni『時間的展望』の前では軽視される。

御幸やクリス更にその他チームメートからも(誰の台詞かは不明だが)「本気でエース狙ってんじゃね」と言われている時点で、部の大多数からも『沢村エースの可能性』は『ないもの』と見なされていたと考えていいだろう。全体がその認識で否定もされなかった以上、御幸の見立ては恐らく(少なくとも作中では)『常識的で正当なものだった』と判断するよりない。

結論として、そんな御幸の『正確なはずのNi予測』を凌駕するほどに、沢村の『成長速度が異常だった』…としか考えられない。

御幸にとっての沢村は『認めていない』とか『信じていない』のではなくて『長期的にじっくりと腰を据えて大事に育てるべき原石』だった。御幸はじめ、沢村の育成に関わった全員が、沢村の『才能の大きさと成長速度』を見誤っていた。

寺嶋先生もTwitterで『沢村エースの可能性』に初めて思い至った際の御幸の心境を『幼馴染の恋心』に例えられていたが『一人の独立したエース像』よりも『自分の手の中でゆっくりと丁寧に磨かれていく原石』といった認識が強かったと考えれば合点がいく。

『身近な存在になり過ぎて』とはつまり『今まで近くにいすぎて、相手をすべて知った気でいたから、その成長(魅力)に、かえって気付けていなかった(たった今気づいた)』…ということだろうと解釈出来る。

御幸の沢村に対する『庇護欲』が非常に強いように見えるのはこういったバックボーンがあるせいかもしれない。脇腹の負傷を、沢村に対しては特に意志的に隠したがっていたように見えたことも、自分の本音を伝えたがらないのも、結局は全て『沢村に余計な負担を掛けさせたくない(前項でも触れた高島との会話のように『沢村に無茶をさせたくない』)御幸の(言ってしまえば独善的な)気持ちからくるもので、沢村を『助け守り育てる対象』と見て過保護になりすぎている(そしてそれが空回る、もしくは悪い方向へ転がっている)印象を受ける(見方を変えれば『とても大事にしている』ということではあるのだろうが…)。

また『あの時点での沢村は認められていなかったのか』という疑問の答えは恐らく『半分Yesで半分No』だ。

先に言及したように『沢村のポテンシャル』は認めても、御幸にとっての『主導Niの予測』は絶対であり常識である。『主導機能』はとにかく頑固で、一度「こう!」と判断したらちょっとやそっとでは曲げないからこそ、沢村の強力な『主導Se』によってグイグイ変えられていく『現状(Se)』に、欠けている御幸の『暗示Se』はついていけなかった(『穴』が開いているので気付けなかった)のだろう。

特に当時の御幸は、降谷の状態も正しく認識出来なかった。現実的な判断をして『主導Ni』を補佐する『創造Te』にスイッチが入らず上手く働かない(論理的思考力を失う)不健全な状態に陥って見えた。五感で今を捉える『Se』も、事実的知識・データを重んじる『Te』もダメなら、御幸には『現状』を正確に把握する術が殆どなくなる。

地道な努力を重ねたことで急成長していた沢村の姿も、甲子園での『最高値の自分』を『平均値』にしなければ…あれ以上の力を常に出せなければと藻掻く当時の降谷の『等身大の姿』も『甲子園での降谷を絶対的エースへ押し上げたい』というチーム全体の欲求や空気に目が眩んで見えなくなっていたのだろう。

ただ…現在の御幸も、未だに『沢村よりも降谷の方が投手としての実力が上』であると潜在的に考えていそうなところは気になる。読者目線では(客観的事実としては)エースになった今もなお『沢村の方が軽んじられ降谷ばかりが気に掛けられている』ように見えるのだ。

例によって『今はエースである沢村』と御幸の距離が遠いままで『今はエースではない降谷』と御幸の距離の方が近い(沢村と二人きりになるシーンはないのに降谷とは頻繁にある。それ以外でも何かと降谷の近くにいる)ままだから…である。

『沢村がエースになれたのは降谷が不調だったから(本来のエースは降谷)』『本来のエースである降谷のケアを手厚くしよう』等と思われているとしたら、沢村があまりにも報われない(それが前項での『野球で語り合う沢村との関係性』や、沢村のメンタルに対するある種の『信頼』からくるものなのだとしても、沢村に伝わらず、沢村が望まないのならそれは『無意味』で、悪ければ『害』である)。

(上記『御幸・片岡・落合の主導Niが、沢村の驚異的な成長速度(Se)に付いていけなかった』という推論が正しいと仮定した上で)御幸の、沢村と降谷への『思い入れ(あるいは期待)の形』が異なると考えてみても、フィルターが分厚過ぎるように感じる。

豪腕・豪速球投手という『ロマン溢れる分かりやすい可能性(Ne/Ni)』が『成長著しい技巧派左腕投手の煌めきとその先の可能性(Se/Ni)』を掻き消しているのだろうか。

そういう意味でも沢村の実力を最も正当に評価出来ているのは、奥村世代の現一年生たちであるように思う。現二三年生は沢村の『素人』時代をよく知っていて、一年秋段階からは『怪物降谷』が『エース』。更に『センバツでの神掛かった投球』の記憶もあるために『沢村よりも降谷の方が投手としての力量が上である』といった先入観が拭え切れていないように見えるのだ。

『原石の大きさ(Ne)』や『成長速度』という意味では沢村の方が上だとしても、入学当初から『豪速球の怪物(Ne)』だった降谷の印象は強い。双方から『強大なNe(発展の可能性)』は感じるものの『スタートライン』の差で『(元は完全に育成・庇護対象だった)沢村の印象』は、現段階でも大きく遅れを取ってしまっているように思う。

…とにかく『数多の可能性(Ne)』から『正しい一筋(Ni)』を見つけられなければ、肝心な『Niの予測』も当たらない。

『未知の才能、巨大な原石、無限の可能性』と、外から見て『Neの宝庫』だったが故に沢村は、御幸・クリス・片岡・落合という錚々たる『主導Ni』カルテットによる、そうそう外れないはずの『予測(Ni)』をも遥かに越えて『育ってしまった』…ということが言いたかった。

【片岡とクリスのタイプIEIと特徴、ILI御幸との相性】

因みに、片岡やクリスの性格タイプであるIEIだが、基本性格のテンプレートでは『好奇心旺盛』『天真爛漫』…と形容されている場合がある。二人とはイメージがかけ離れているが、実際に人を診ているとそういう印象は薄い。個人的に『好奇心旺盛』で『天真爛漫』なのは、吉川春乃の性格タイプである『IEE=ENFp』の方が近いように思う。

IEIの人々は、鷹揚だが鋭さも持ち合わせた不思議な魅力や独特の雰囲気を纏っている場合が多い。Niを主導機能にFeを創造機能に持つため、先見の明があり人心掌握に長けた、ある種のカリスマ性を有している。名高い宗教家にIEIが多いとされるのも納得である。またNi主導はいずれも目元が印象的だ。IEIはエレガントで神秘的。ILIはもっと鋭利で、よく『殺意のある目』と言われるように目力が強い。

…どちらにせよ片岡監督はIEIらしい外見でないのは確か。外見やぱっと見の特徴だけなら降谷や将司と同じLSIかと思う。正直に言えば、初期片岡はS型の監督に見える。だが長い連載の中で発揮されてきた、一言で絶大な効果を発揮するチームの士気上げ能力や求心力、常に選手・生徒たちの将来を考えている根本的な性格の部分は、IEI以外の何者でもないだろう。

因みに、IEI片岡・クリスとILI御幸は『同属関係』。互いの最強武器が一致していて気質が近いため、容易く互いを理解出来、繋がりを持てる相性だ。共通の話題には事欠かないだろう。

ただ、その武器をどう使うのか、何のために使いたいのかの目的が異なっているため、肝心なところで連携しにくい。遠くにいる場合には魅力的に見えるものの、近くにいすぎるとやや退屈を感じる相性である。

【第八機能『証明する機能』】

(得意不得意:得意 重視軽視:軽視 力の強弱:最強)

『主導機能』並みに力が強く(『力の強さ』だけで言えば『第二・創造機能』さえ上回る)上手に扱えるものの、あまり価値を見出していない機能。『無視機能』と異なるのは、しばしば『創造機能』のサポートや『第四・脆弱機能』のフォローをするため便利に使用される点。

また身近な他者(特に双対関係のパートナーの『脆弱機能』)が傷つかないように助け守る(代わりに引き受ける)ための機能でもある。この機能を発揮する際は『自我ブロック』に対するような『真剣さや誠実さ』はあまり感じておらず『パフォーマンス』に近い感覚だ。『無視機能』と同じく『危機的状況』や『リラックス状態のお遊び』で発揮される以外に使用される場面はやはり多くない。

【御幸の『証明機能』】

★Ti(内向思考・内向論理)★
客観的基準(大小、強弱、遠近、価値、質の比較)、枠組み、カテゴリー、一貫した論理、構造、体系、分類、法則、分析、合致、説得力、統一性、回路の創造、法、ルール、命令、計画、管理体制、構築、システム、言行一致、見合うこと、共約可能性、理解、秩序、あるいはその欠如、哲学

別名『構造的な論理』。簡単に言えば「客観的に比較して当てはまる枠の中へ分類する」要素。例えば『鶏卵のサイズをSSからLLまで一つずつ測って仕分けをし、それぞれの決められたパックに詰めていく』…ようなイメージ。『ジャンルごとに分けられ綺麗に整頓された本棚』をイメージしてもいい。

『ルール』と言うと、社会常識や法律、規則等の堅い印象を持たれるが、実は『自分ルール』こそがTiの管轄だ。『Ti強者』は、たとえ『社会的に常識』とされる基準でも、自分基準で納得いかなければ、独自に新たな枠組みを作ろうと試みる傾向が強い。

(そのため上記の『仕分け』の例だと『卵の色合いの美しさや手触り』とか『本の大きさや厚み、表紙の色』といった独特な基準で分けられることも多々。それこそ『卵』や『本』というカテゴライズすら無視されるかもしれない)

『Te』と『Ti』は、どちらも『ロジカルシンキング』を得意とするが、その性質は全く異なるのである。

『Te』は『外部ソース(文献や伝聞を含む事実的な情報)』を用いて蓄えた知識から、社会一般で云われる常識や既存ルールの中での『利益』『効率化』『生産性』を求める(=実践的ロジック)。

『Ti』は『自身の内部に一貫した理論を構築・展開』し、その『理論を通じて現実を見る』ため、時に一般的な常識さえも疑ってかかることになるのだ(=構造的ロジック)。

『Ti重視』タイプは、自分自身の『外側』にあるものは信用せず『内側』に構築した『独自の価値観で組み上げた理論』をこそ信頼している。

(特に『Ti主導』タイプは、構造化した理論を『完全なもの』とし『理論の中へ現実の物事を当て嵌めて』考えようとする。『Ti創造』タイプも同じく『理論を通して現実を見る』が、その理論を『完全』とまでは思わない。『仮定』に留め、新しい情報を得るたびに更新する柔軟さを持っている)

【御幸『証明機能Ti』の詳細解説】

ILIは『論理の穴』を突くのが得意だ。議論すれば相手の主張やその前提にある欠陥を易々と看破し、必要なら論理的に順序だてて説明なり批判も出来る。

だがTeの『実際的・実践的・事実的な視点』の方がより大事であるため、そういったTiの『机上の空論』的な『論理的・観念的一貫性』には固執せず、絶対視もしない。『現実』を『綺麗な論理』で完璧に覆い切れるとは思っていないのだ。例外は常に存在し得るし、そんな細かいことにこだわるよりも、現実的な利益や生産性や効率化のために『使えればいい』と考える。

そのため、自身の扱う分野で『実践』に役立てることの出来る(『創造Te』の助けになる)理論は、むしろ進んで吸収し蓄えようとする傾向がある。すでに何度か触れたが、ILIは完全に『専門分野特化型』の性格タイプで『自身の利益にならない理論』にはそもそも関心が薄いという特徴もある。

例えば、知的好奇心を刺激されれば『自分の専門分野でなく、直接的な利益もなくても』幅広く知識を集めたがる『学者・研究者肌』な『LII(自我Ti-Ne)』とは性質が根本的に異なることが分かるだろう。

(いかにも頭脳派な御幸の『学校の成績』がさほど優秀でない理由はここにあるのだろう。御幸の理論的な知識は明らかに『野球』に特化している)

そんな御幸が『証明Ti』を発揮するシーンは、何と言っても『御幸塾』だ。ここで語られる『リード論』は自分自身のリードの組み立て(創造Te)をサポートし、投手たちの成長を助ける(ここでも『理論』自体にはこだわっていないことが窺い知れる)。

特に御幸のリード(自我Ni-Te)を理解したいからと、率先して教えを請うたSEE沢村は『Ti脆弱』。普通なら『理論』の理解は困難だが、沢村の『双対』相手で『Ti証明』の御幸なら、沢村の傷つきやすい『脆弱機能』を攻撃せず的確にフォローすることが可能である。

勿論、御幸自身は『リード論(Ti)』に精通しているが、それそのものを覚えること自体が第一とは思っていない。あくまでも『実際のプレー(Te)』に活かせるかが大事なため「ニュアンスは伝わりましたよ!」という低い理解度でも特段咎めず「自分たちで試行錯誤(Se)しろ」と、より効果的なアドバイスをする(沢村降谷は自我Se持ち)。

前述したように『双対関係』の沢村には弱点である『Ti』を無理に押し付けず、御幸自身の言動(自我Ni-Te)で自然と『理想』を伝え、沢村の根幹的な欲求(超イドNi-Te)を埋めつつ得意な感覚感情(自我Se-Fi)へ訴えることで、実質的な理解と成長を促している。

沢村の目的(理想のエース像)は、あくまで『実際にリードする際の御幸(捕手)の意図(Ni-Te)』を理解し共有、更にそれを投手である自らが『体現(Se-Fi)』し『その正しさを証明』することである。

因みに、第一回『御幸塾』で論じられていた内容は『リードが実践的戦略(Te)』で『配球がセオリー=机上の論理(Ti)』である、といったものだった。

「限りなく正解に近いリードを考えるのが捕手の役目」というのは正に『自我Ni-Te』らしい考え方で、論点や教え方自体も『Ti』より圧倒的に『Te』が主体である。『配球(Ti)』の中身にはほぼ触れていない。

『Tiを重視しTeを軽んじている(Ti主導/Te無視)』降谷には、ともすると物足りなく退屈な講義かもしれないが『Teを重視しTiを軽視・最大弱点としている(Ti脆弱/Te動員)』沢村にとっては最高の学習環境だ。

沢村は『リード論(Ti)』に対する『御幸のスタンス(御幸の自我Ni-Te)』や『実際のリードへの活かし方(御幸の自我Ni-Te)』を聞いて(沢村の超イドNi-Teに)刺激をもらっている形だろう。

また『証明機能が双対関係のパートナーを守る』例に違わず、御幸の『証明Ti』は、沢村の『脆弱Ti』を積極的に守っている。

そういう場面は複数あるが代表は(【沢村栄純 ソシオニクス性格&相性診断】でも触れた)イップス発覚後のアウトコース習得前に、御幸が「ゴチャゴチャ難しく考えるな バカなんだから」と言って『ゴチャゴチャ難しく考えていた沢村』を止めたシーンである。

映像で見ていた『バッターがいる場合とそうでない場合の自身の投球フォームの違い(Ti)』は、まさに『比較・分析』の『Ti』だ。『Ti脆弱』の沢村があのまま『映像の分析(Ti)』に集中していたら『何も分からない自分』に落胆・失望して、間違いなく更に調子を落としていただろう。

御幸はそんな沢村を知っていたから『映像の内容(Ti)』には一切触れず(というか『証明Ti』らしく御幸自身大して頓着しておらず)、わざと辛辣な物言いをして感情的にさせる(開き直らせる)ことで『それそのもの』から沢村の意識を逸らした。更には『沢村が敬愛するクリス(Fi)』へ『アウトローの指導(Se)』を頼むことで、沢村の『自我Se-Fi』を完全に活性化させることに成功している。

『双対関係のパートナー』としては、ほぼ完璧なフォローだった。ただ一つ惜しむらくは「俺から言うより(クリスからの方が)効くからな」と『御幸自身が、沢村にとっての一番の重要人物(沢村のFiにとって最も効果的な人物)』であることを、当の本人が(当時だけではなく今でもなお)認識していないことだろう。そういう意味では御幸だけではなく沢村も『言葉足らず』だと言えるかもしれない。

そういった『対人面や感情の問題』に疎く、自分からはとことんまで動こうとしない御幸には、もういっそのこと沢村の方から、強がらず意地を張らず、もっと素直に『ありのままの気持ち』をぶつける方が、この二人の関係はいい方向へ進みそうな気がする。

【ILIのイドブロック(無視Ne+証明Ti)のまとめ】

『無視Ne』と『証明Ti』。この二つの要素は御幸にとっては『取るに足らない』こと。特に重要とも面白いとも思えない要素だが『危機管理』の観点で見れば非常に重要で、主に自分や周囲の人々を『危険』から守るために使われる。

例)
『システムを構築することで(Ti)、新しい概念を提唱する(Ne)』
『ルールを理解し(Ti)、奇抜な発想へ転換する(Ne)』
『一貫した論理から(Ti)、仮説を組み立てる(Ne)』
『現実を枠組みに当て嵌め(Ti)、独創的アイデアを生み出す(Ne)』

…といったことを、御幸は難なくやってのけるが、特にしたいとは思わないし、実際に必要に迫られない限りはその力を行使しない。大事なのはあくまで『自我ブロックのNi-Te』であって、それを阻害しかねない『イドブロックTi-Ne』は御幸にとって、心情的には『鬱陶しい』機能なのである。

ただし『証明機能』に関しては『創造機能』をサポートしたり、自身の『脆弱機能』、双対関係の相手の『脆弱機能』をダメージから守るために日常的に使われる場合がある(無視機能も同じではあるが、証明機能よりも使用される機会は圧倒的に少ない)。

【御幸ILE(ENTp≒ENTP)説への反証】

最後になったが、御幸ILE(ENTp≒ENTP)説への反証を行いたい。
(筆者よりも以前に『ソシオニクスILE』の対応タイプである『MBTI(16タイプ)ENTP』と診断している人がいたため)

個人的に御幸ILEは絶対にないと断言出来るが、ILIとILEは表面的に似た部分もある(深層はまるで異なる)ため『パッと見』でそのように思われる理由も理解は出来る。

(ILI=INTpは16タイプ中でも一二を争うほどに『生きにくい』性格タイプのため、規範機能のSi以外にも自分の素を隠す『ペルソナ』を持ちやすいという事情もある。ILIは無自覚にSEEに憧れを抱くため、それに近い人格を演じようとする傾向があるものの、例によって超イドは使い熟せないため、けしてSEEにはなれない。せいぜいが外向型らしく振舞ってみせることくらいしか出来ない。そして必然的にイドブロックのNe-Tiを利用して素の人格を隠す事となり、EとIだけが反転したILE=ENTpに見える振舞いとして表面に出やすくなるのである。御幸の場合は、特に原作初期や本音を誤魔化すときなどに顕著に出る、シリアスな思考に反したチャラけたキャラがそれであろう)

因みにILEの『ダイヤのA』キャラクターと言えば、稲城実業の成宮鳴。
機能と要素を絡めて、御幸と成宮を比較し分析していく。

御幸と成宮の性格には似た点も多いが『同タイプ』かと言われたら『違和感』を覚える人は多いはずだ。『悪魔の代弁者』と呼ばれるILEに相応しく『誰に対しても物怖じせずペラペラとよく口が回る成宮』と、基本的に『対人関係には不器用で頻繁に言葉足らずを指摘される御幸』とではイメージが合致しないはず。

二人の『自我ブロック』、及び『超イドブロック』を比べると…

ILI御幸 自我ブロック『Ni-Te』 超イドブロック『Se-Fi』
ILE成宮 自我ブロック『Ne-Ti』 超イドブロック『SiーFe』

…となる。

この二タイプは、表面的な『得手不得手』がどちらも(N-T、S-F)で全部同じ。ただし、外向と内向(子音部分のeとi)…つまり『価値観の軽重』が全部逆だ。

得手不得手が同じため、プライベートで二人きりか少数のグループで遊ぶような場合なら楽しいが、根本的な考え方や視点、大事なものや目指す方向が違うため、大人数や公での交流では『マウント』を取り合ってしまう。互いに互いの情熱を打ち消し合う『消火関係』と呼ばれる相性だ。

(御幸と成宮の『ドリームタッグ』とは言うものの、ソシオニクスで見るバッテリーとしての相性は控えめに言ってもイマイチ。互いに相手の視点や意図に共感も賛同も出来ないためストレスになる。ましてや御幸は投手をコントロールしたい欲が強いが、成宮はそんなの真っ平な王様気質。どちらも譲らず「なかなかサインが決まりません!」が常態化しそうな組み合わせである。

因みに、現二遊間である倉持と春市のコンビも『消火関係』だが、このポジションにおいての相性は悪くないように思う。第三者である『相手打者』を打ち取るために、さまざまな思惑が錯綜するバッテリー間とは違い、二遊間では二人の連携と信頼が重要で、第三者の思惑も介入しないためだ。実践的な目的や活動における相互の理解度は抜群な上に『二人の世界』を構築してしまえる間柄や環境においては好相性なのである。まあこれは野球に詳しくない一個人の偏見かもしれないが。

なおこの二人も、それぞれに敬愛する『亮介』を間に挟むと、もれなく『マウント合戦』が始まる模様)

また、御幸も成宮も『他人にズケズケ物を言う』ところは似ているものの、その思考の『発露』が異なっている。

御幸の場合は(親しくなく自分に無関係な)他者からの目を一切気にせず「性格悪い」と揶揄されても堪えない。他者からの悪口・反論・批判・反抗に寛容。ただし親しい人との関係がシリアスになると途端にナイーブな一面を見せる。

…といったように、御幸には『主導Ni由来の寛容さ』『創造Te由来の辛辣さ』『動員Fi由来の心配性』が同居している。御幸の口の悪さは創造Te(および脆弱Fe)から。

よく『創造Teは不快なコミュニケーションを好む』と言われるが、これはILI(やSLI)が『場の空気や回りくどい建前に心を砕くより、本質的に必要で正しいと思うことを優先し、効率や実を取りたい思いが強い』ということなのである。

『利益(Te)』を上げるための議論で『空気(Fe)』に配慮する必要性を感じていないため、歯に衣着せぬ物言いをしがち。必ずしも本人に悪気があるわけではなく『合理的(Te)』な言動をしているだけのつもりである。

ただし『天然』という性質のものではなく、大体は何かの『意図』がある。一見軽口を叩いているだけに見えるときでさえ、御幸の言動には『計算』や『裏』、場合によっては『嘘』があることも多い。

(勿論、思ったことをただストレートに口に出しているだけのことも、誰かをただおちょくったり、揶揄いたいだけのときもあるのだが、ILIの場合は、相手から返ってくるリアクションもあらかじめ予想していて、時にはわざとそれを引き出すため計算尽くで意地悪を言う感じ)

『正論を一切オブラートに包まず相手に向かってぶん投げる』という意味で言えばILIは正直者。悪意はないが相手の感情は考慮しない。反面保身も考えない。必要と判断すれば誰相手でも直截に意見を述べる。率直な指摘が『ためになる』と考えるILIなりの誠意だったりもする(残念ながら疎まれることの方が多いが)。

だが『動員機能』に『Fi(一対一の関係性)』を持っているため『ごく一部の親しい(心を許した)相手からの拒絶や感情の変化』には非常に敏感で繊細。自分が間違っていると思わなければ言動を改めようとはしないものの『自分に対して相手が本気で怒ったり傷ついた』ことを知ると、内心では滅茶苦茶に狼狽えてしまう。

それは秋の渡辺・前園をはじめとする同級生たちとのいざこざ(キャプテン失格の烙印を押された)を長く引きずったこと、春の市大三高戦後に(いつもとは違う)沢村の様子をそっと(ビクビクと?)窺っていた態度や台詞、川上から言われた「俺はお前たちとは違う」という言葉にわだかまるような様子等にも表れている。

一方『Fe動員』の成宮には『目立ちたい、不特定多数の人々から愛されたい、ちやほやされたい、自分の話に興味を持ってもらいたい』といった欲がある。取材で浮かれるのはこのため。
愛嬌があり、態度は誰にでも平等。ただし『人間関係は目的達成の手段』と見做す傾向が強く、それ自体の価値はあまり感じていない。

そのために『深い個人的で感情的な交流』は好まない。相手からの自分の気持ちへの配慮を期待せず、相手にも配慮しない。自分に直接影響しないなら他人の感情を気に掛ける意味も必要も価値もないと考える。その特徴は身近な相手への無遠慮で手厳しいコミュニケーションによく表れている。これらは『Fi脆弱』の作用。

つまり成宮の口の悪さや奔放な振舞いは『対人関係では感情に配慮しないのが普通』なため。素の性格がそうなだけで他意はない。

(成宮のILE他、LIIの亮介や楊、LSIの降谷や将司、SLEの天久や真田や轟父等、Tiが自我ブロックにあるタイプは、ILI的な『計算尽くの毒舌家』ではなく、繕うことをしないからこその『天性の毒舌家』が多い印象である)

『自我Ne-Ti』由来の頭の回転の良さでアイデアと言葉がポンポン浮かぶので非常に口が達者。必要な議論も不要な軽口も一緒くたな成宮のマシンガントークには、さすがの御幸もたじたじだ。

また『最強チーム』を作るために多方面から仲間を集めた(自らのアイデアに周囲を巻き込む)ところも非常にILE的である。一方の御幸は、それに組せず、むしろ挑戦者として王者を倒すことに強い関心を寄せている。ベンチャー企業に進む率が圧倒的に高いと言われるILI的な思考の持ち主と言えよう。

(とは言え、実はベンチャー企業へ進む率ならILEも圧倒的である。ただし単独行動を好み独自路線を貫くILIとは違って、ILEは仲間との連携を得意としている。自らがリーダーとなって起業したがる傾向が強い)

以上をまとめると、

ILE成宮は『主導Ne-創造Ti』のオープンマインドなアイデアマン。『動員Fe』で自らの計画に周囲を巻き込み『創造Ti』の独自手法で達成しようとするが『暗示Si』でルーティンが苦手なため投げっぱなしになりやすい。体調気分の調整も不得手。Ne・Ti・Feの作用で、趣味仕事問わず他者との軽快なコミュニケーションを好む。

ILI御幸は『主導Ni-創造Te+動員Fi』なので、基本は人間関係にクールな人見知り。『暗示Se』で世渡りも下手。だが『動員Fi』の作用で好ましい相手に対してや得意分野に関しては社交的で饒舌な面を見せる。『自我Ni-Te』で見た先のビジョンの実現(他者からの『暗示Se』への手助け)を強く求める。『創造Te』の合理的且つ効率的手法によって目的達成率は高い。

この二タイプは、特に『F』で比較すると一目瞭然だ。
不特定多数から幅広く愛されたくて、一対一の関係には無頓着な成宮(動員Fe脆弱Fi)と、自分と直接関わりのない不特定多数に無関心で、親密な相手との関係には繊細な御幸(脆弱Fe動員Fi)。

並べてみればベクトルが正反対な事が分かる。以上から『御幸=ILE』は考え難い。

【奥村に対する御幸と沢村の『相性的な』立ち位置】

最後に(その2)、奥村に対する沢村と御幸の『相性的な』立ち位置が『ソシオニクスで診ていて非常に面白い』ため記述する。

【奥村のタイプ診断】

まず大前提。奥村の性格タイプは『EII(自我ブロックFi-Ne)』と診断。

ただし最近『データベース君』になりつつある彼のタイプにはもう一つ『LII(自我ブロックTi-Ne)』という候補があって、そちらだとSEE沢村との相性は、最も注意を要する『衝突関係』になる。

だがLIIは『Fi』が『規範機能(苦手軽視)』に入るため『他者との一対一の関係性』に執着しない。客観性と論理性、溜め込んだ知識からの直観力に優れた学者タイプだ(LIIのキャラクターは小湊亮介や高島礼、楊舜臣)。

これでは、シニア時代の監督へ入れ込んだ分だけ激しく憎み、復讐を企て、それを終えてもなお引きずっている奥村の性格に合致しないように思える。

一方のEIIは『主観Fi』と『発展の可能性Ne』を『自我ブロック』に持っている。『感情・対人面』では思い込みが激しいため独善的になりやすく、内にも籠りやすいものの、基本は思いやり深く信念も強い誠実な人柄。非常に独創的で豊かな発想力を有したアーティスティックな性格タイプだ。

(EIIの基本的性格のテンプレートでは非常に心優しく柔和なタイプとされるが、主導Fiでの線引きや自分の信念がはっきりしているため、他者には安易に心を開かない一匹狼ツンツンタイプも多い。Fe無視のためか飲み会等の集まりにも参加したがらない傾向→特にサブタイプFi)

奥村は、御幸沢村それぞれに抱く奇抜で独特なイメージなど、まさに『自我Fi-Ne』らしいユーモアを見せている。青道投手陣に『未知の可能性』を見出し『一度は野球に失望した自分も再び純粋に野球を好きになれるのか』といった視点で青道への進学を決めているところにも『自我Fi-Ne』のEIIらしさが出ている。

相性では『礼儀』を欠くSLE天久に憤りを感じる描写…SLEとEIIは衝突関係。奥村の言動は主観や倫理が強く、試合では鋭い洞察力を発揮して投手をリードし、感情面で尽くす姿勢を見せる。

一方(自身の倫理や信念、不快感を優先し)主力の先輩である沢村にいきなり無礼な物言いをする『一軍に上がるまで沢村と組まない』と片岡の采配を拒絶する等、自らの立場を危うくしかねない非効率な言動が目立つところに、Teが弱く軽視する姿勢が垣間見える。

内面は繊細で且つ激情家な一方、自律的で疑心が強く表向きクールな性格。これは広義のFi-EII(=INFj)像と合致する(前述通りサブタイプFiはツンも多く群れずガードが堅い)。

執念深く言葉がきついのはILIもだが、奥村からはNiの主張もTeの強さも感じない(むしろNiの強い御幸の詩的表現に冷笑的)。シニア時代の復讐や御幸沢村への怒りもガンマ・クアドラの拘る『道徳原則』ではなく、あくまでFi-Ne由来の『個人的感情』による。

その他、実際的活動と私的感情のバランスを取りたがる、精神的・物理的な不快感に対して険しく反応する等、多くがEIIの属するデルタ・クアドラの特徴に合致。

以上からEIIだと仮定すると『T(論理)』が非常に弱く『知識』を詰め込む印象がないところがやや引っかかるものの『野球(自分の分野・好きなこと)の専門知識特化型』と考えれば納得出来る。

捕手としては主導Fiらしく『献身的』な性質が前面に出やすくなるだろう。
基本的に投手を『管理』したい(自分主導で思う通りに動かしたい創造Teの効いた)ILI御幸とは対照的なスタイルである。

※各関係性(相性)の詳細解説は↓
【ダイヤのA】ソシオニクスキャラクター相性表&各関係性解説

以降は『奥村Fi-EII』を前提に話を進めていく。

【EII奥村から見るSEE沢村とILI御幸】

SEE沢村とEII奥村の相性は『監督関係』。この関係は御幸と降谷の『恩恵関係』と同じく相性上の『上下』がある。『非対称な関係』と呼ばれるイレギュラー相性はこの二つのみ。

『恩恵関係』は『先生と生徒』の関係に例えられるが、監督関係は『監督と選手』の関係に例えられる。『監督』の方が『選手』よりも心理的に優位に立つ。

『監督』の武器・得意技(主導機能)が『選手』の一番の弱点・コンプレックス(脆弱機能)に被るため、特に『選手』側にとっては心理的にかなり厳しい関係だ。

特にリアルとの関係が逆転している場合『選手』が『監督』の優位に立とうと『下剋上』を企てる場合がある。そうなれば待っているのは泥沼の戦いだけである。

沢村と奥村の場合は、沢村が『監督』で奥村が『選手』。リアルでの上下関係と一致しているため(奥村が優位に立とうと振舞わない限りは)まだ波風が立ちにくいだろう。

(個人的に奥村の沢村への言動が非常に監督関係の選手側らしいので上記リンクから確認してほしい)

この相性で面白いのは、ILI御幸を含めて診ると『奥村が、沢村と御幸の双方から指導(教育)を受ける側』になる点。

と言うのも、ILI御幸とEII奥村の相性は『恩恵関係』で、しかも御幸が『先生』で奥村が『生徒』。御幸もまた、奥村に対する沢村と同じく『心理的にもリアルの立場的にも優位』な相性になる。

原作でも『奥村が沢村と御幸の双方から色々なことを学び成長している』ことを考えれば、非常に『暗示的』で面白い関係性だろう。

…なお、沢村と降谷の関係も『監督関係』だ。エースと控えの立場が上下に当たるかは微妙だが、同学年ということもあり一応『序列は無い』ものとして診ている。降谷が『監督』沢村が『選手』で、降谷の方が心理的には優位な関係である。

また奥村の例とは逆で、降谷から見た御幸と沢村が、いずれも『相性上は下位』…『降谷が、沢村と御幸へ指導・教育を施す側』である点も興味深い。

『沢村のライバル』であり『御幸と沢村の関係性にとっての障害(壁)』としてありつづけている降谷の立場を思うと、こちらもまた何か『因縁』めいたものを感じさせる。

ソシオニクスで言えば、沢村は降谷の『無意識の言動』に、そして奥村は沢村の『無意識の言動』に、度々『弱点部分(コンプレックス)』を斬り付けられるような鋭い痛みを感じているはずだ。

『監督関係』は『選手』視点では交流に慎重さを要するメンタル面での怖さがある関係である。