20231124


インターネットを眺めていると、やっぱりよく人に見られ広められている言葉は余裕なく感情でいっぱいになっている自分の様子を記録したものであることが多いなと思う。共感はできずとも、その言葉が本物の感情から来ているものであれば何かしら人の心を動かすようにできているのだろうと考えて、youtubeにある知らない人の結婚式オープニングムービーを観て泣くのが趣味だと話していた友人を思い出した。別にその友人も私も結婚願望みたいなものはないけれど、その映像の中にある夫婦とその周りの人たちの感情は本物なので、やっぱり心が動いてしまうのだと思う。どんなにくだらなくても共感できなくても、本物の感情であること。これには勝てない。私は戦争に反対しているけれど、戦争に命以上の全てをかけていた人間の様を感じたりその人間たちの当時の言葉に触れると、やはり心が動くものである。その時そこにあった感情は善悪はさておき、本物であったことは間違いないからだと思う。私は作為的なものが嫌いだ。


インターネットでよく人に見られ広められている言葉の中で最近見たもの。とにかくずっと他人への妬みと自己嫌悪と無気力でいっぱいになっている人の言葉を眺めていて怖さを思い出した。不満ある職場やスキルみたいなものを身につける努力ができなかったり、恋人や友人がいない自分を、嫌でコンプレックスに思いながらもとにかく常に疲れていて、無気力で変化のために行動をする気にならず、常に彼岸にいるような気分で無為に過ごしている日々の感覚。それが本物の言葉で記録されていた。簡単にわかるよとは言わないけれども、自分もその感覚に移行するのは一瞬な気がして他人事とは思えずふと怖くなる。


簡単にわかるよとは言わないけれども、の自分の話を記録する。火事で家がなくなってこれまでの人生で少しずつ集まってきた自分の身の回りのものが一瞬にして全てゼロになった17歳の時と、一昨日一緒にごはんを食べていた会社の同期が突然亡くなった24歳の時の話。

本当に、どれだけこのままじゃまずいとわかっていても暫くの間本当になにひとつもできなかった。とにかくなにひとつもしたくなくて、学校も仕事も休みたいだけ休んで、寝て、アニメを観て(普段私はアニメを観ないのにこういう時にアニメを観たくなる。生きて動く本物の人間を見るのが辛いのか?)、コンビニで何も考えず籠に放り込んだ高カロリー高脂質低タンパクのご飯食べて、身体の重さに気分が悪くなりながらまた寝ることしかできなかった。そのようにしてだめに過ごす日々が積み重なるほどに自己嫌悪も積もっていく。本当にもう私はだめなんだ、このまま全部がだめに押しつぶされて、一生まともな生活に戻れないまま死んでゆくのだ、私はきっと何をやっても本質はいつまでもだめなままで、いくら勉強や仕事を頑張ったり恋人や友人ができたところで、私が私という人間である限り結局それからは逃れられないんだ、と思っていた。私は"常に"ちゃんとするが本当にできなくて、本質はきっととんでもなく社会不適合者だから。本当に気が向いた時だけの不規則なエネルギーの発散(16personalitiesの文言がとてもしっくりきたので流用)だけで生きている。今なんとかまともに大学を出て働けているのも受験期や就活期に運良く自分がやる気になってその間だけはちゃんとしてくれていたおかげなだけで…私はきっと、すこし気を抜いたらすぐに仕事を辞めるし60kgになる。ずっと自分のことが信用できない。いつ、ちゃんとするでこれまで積み重ねてきた折角の全てを投げ出すかわからなくて、そしてそれは何かしらのきっかけで突然来るんだ。さて私はどうしてそこから抜け出せたんだっけ?次それに落ちた時にもまたこれまでのようにどこかで結局は抜け出せるのだろうか?



記録していながら自分でも、このようなことを考えて生きるべきではない、と思う。多分。このようなことを考えて生きるべきではない。私はバランスの取れた食事を摂って運動と勉強をすること、糖質とアルコールとは程よい距離を保つことなどの日々の生活の積み重ねが結局人をちゃんとするに引き留めてくれることを知っている。このようなことを考えて生きるべきではない。夜中にこんなことを考えて眠れなくなってはいけない。アルコールで気分が良くなって糖質を寝る直前に摂取して音楽を聴いて泣きたくなりながら文章を書いたりしてはいけない。眩しく健やかな人間はそのようには生きない。不健康に気付いた瞬間、ちゃんと私の頭の中に入っている、ちゃんとするに引き留めてくれる生活を心がけるべきである。健やかに生き続けたいとは本当に思っているのだから。



たまにふと寂しくなる。あなたは私が何を喋っているかまったくわからないでしょう、と思う。あなたは私が、何故こんなに無駄な文字数を並べているのかわからないでしょう。結局のところ自分の不安定に浸りきることもなく、現実から足を離すこともなく、お疲れ様ですで始まりよろしくお願いしますで終わるメールを明日も平気な顔をしてなん十通と送るのだから、本当に意味がなくて無駄なことだ。しかし気がついたら自分はそうやって生きる形になってしまっていたので、時折立ち止まってこのように記録することにしている。







最近忙しくて韓国語の勉強を疎かにしているんだけど、韓国語の「잘(よく)」という表現が好きだなと思う。日本語では「よく」と平仮名でふんわりとどうとでも取れるように訳されているのも好きだ。上手に、でもあり、十分に、でもあり、立派に、でもあり、やはり一つの意味では訳せない。そのときその場合に相手にとってしっくりくるように、なにかしらよい意味で受け取ってくれたらいいと思い最近日本語で人と会話をする時によく(これはただ単純に頻繁に、の意)使ってしまう。


少し前に、お互い明日もよく過ごそうね、と寝る前に人に言って気分が良くなった。予定がたくさんあって充実している日か、寝たいだけめいっぱい何時間でも寝られる日か、どのように過ごすのがあなたにとってよく過ごしたと言えるかはわからないけど、ただお互いよく過ごそう。明日もまたこのように余計な文字数を使って考えるべきでないことを考え込んで、もしかしたら不健康に落ちてしまうかもしれないけれど、ただそれを振り返った時に本物の感情でよく過ごしたと思える、そのような日々を記録し続けていたい。

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