20230316-20230326



3月16日 木曜日


午後休を取って同期のお通夜に行った。亡くなった同期は東京に生まれ実家で暮らしていたので、お通夜は彼女の家がある町で行われた。初めて降りる駅だった。

お通夜が終わってからは会社で仲の良い同期と4人でファミレスに行った。お通夜と亡くなった同期の話と、それぞれの異動先での様子の話、それらを交互に話した。たまに沈黙が流れると1人が「お通夜みたいな空気だね」と言ってすこし笑った。帰り道に「1つだけ不謹慎なこと言っていい?」と言うと「1つだけね」と言われたので「私、喪服似合うでしょ」と言ったらいつもの呆れた顔を向けられた。あとから精算したらお会計が1人750円程度で、4人で1品ずつ頼んでいたから気が付かなかったけど、おそらく私たちは1食にしては一人当たりずいぶん少ない量しか頼んでいなかったのだと気付いた。


死化粧をされ花に囲まれた同期の顔が綺麗だったと話している人もいたが、私は不自然に濃い化粧の人形のような顔が気に食わなかった。彼女は生きていた頃の方がずっと可愛かったと思った。


駅で別れ1人家に帰る途中に突然お腹が痛くなった。あまりに唐突だったので食中毒になったかと思いほかの3人に連絡してみたが私だけのようだった。少しだけ恋人と電話してから布団にくるまって寝た。



3月17日 金曜日


お腹の痛みでなかなか寝付けず何度も起きた。内容は覚えていないが嫌な夢を見た。朝からお腹が痛い。出社予定だったが在宅勤務に切り替えた。薬を飲んで放っておけば治るだろう、すぐ休日が来るのだしと思って暫く耐えていたが15時頃にやむなく早退した。上司から心配するメールを頂いて有り難くも申し訳なくも思った。

お腹が痛いことなんて女として生きていたらよくあることだし、痛みなんてただ痛いだけだし、在宅勤務でも適当にやり過ごせる痛みなのではないかと思った。状況に甘えて弱ったふりをしているように思えて自分が嫌だった。

暫く寝て、起きてから推しの動画を見て元気になってまた寝た。



3月18日 土曜日


雨の日だった。低気圧で頭が痛い。昼過ぎに用事があって家を出たが用事を済ませてすぐ家に帰った。寝て起きてを繰り返しながら推しの動画を見て、インターネットの友達と長文のメッセージで推しの話をした。好きな男の子たちが違う世界線にいたらどのように振る舞いどのような感情のやり取りが生まれるか。楽しかった。

次の日がTOEICの受験日だったので出来る限り勉強をしようと思ったが頭に入らなかった。自己嫌悪に陥りそうになりながらも遅刻するよりマシかと思い早めに寝る。



3月19日 日曜日


朝起きて新宿までTOEICを受けに行く。驚くくらいリスニングの内容が頭に入って来ず自分に呆れた。集中の仕方を忘れてしまったみたいだった(勿論結果は散々だった)。

新宿まで来てくれた恋人と合流し、昼食を食べたり韓国旅行の予定を立てたりした。青山あたりをいつも通り散歩して、笹塚駅の居酒屋で夜ご飯を食べた。初めて行ったけどいい店だった、そのように楽しくいつもの休日を過ごした。



3月20日 月曜日


在宅勤務。9時から17時半まで会議でびっしり埋まっておりあっという間に勤務時間が終わってしまった。
先週早退したからか、人事のひとが心配して通話をかけてくれた。もう少し落ち込んだ様子を見せた方が良さそうな気がするなと思うくらい大丈夫だったので対応に困ってしまった。同期ともいつも通りサバイバルオーディション番組のチャットをしている自分を本当に申し訳なく感じた。

退勤後は恋人の家にお裾分けしてもらった純豆腐チゲを食べ、キッチンの掃除をして、お通夜で頂いたカタログのギフトを頼み、韓国語の勉強を少しした。英語は読めるが聞き取れない事が多いが、韓国語は聞き取れるが読めなくて面白い。英語と違って圧倒的に耳から先に入っているからだと思う。土曜に買った10個入りのパンが美味しくてぱくぱく食べてしまうのだけど、自分は痩せたかったことを思い出し、6個残ったパンをそのままゴミ箱に捨てた。まだ食べられる美味しいものを捨ててしまった自分が気持ち悪くてうんざりした。仕事がなく会話をする相手がいないとふと亡くなった同期のことを思い出して時の流れ方が砂のように感じる。何を考えれば良いのか、自分は今何を感じているのかわからず、時は砂のように無機質にさらさらと流れる。



3月21日 火曜日


祝日。昼間は好きなアイドルのドキュメンタリー番組を観て過ごした。彼女たちの薄いお腹につるりと入る美しい縦線を観ているとああ私も痩せたいな、というか、無駄なもののない強い身体になりたいな、と素直に思う。強迫観念でなく。

昼間はいくつか買い物をしたり家の中を片付けて過ごした。夕方にいつものカフェに行き韓国語の授業を受ける。前に話していた通り先生と飲みに行くことにした。

私もお酒が弱い方ではないのだが先生のペースに合わせていると大変なことになり、二軒目からほぼ記憶を無くしてしまった。お手洗いに立った間に先生が見当たらなくなり、何故かそこで人に何度も電話をかけていた。先生をタクシーに押し込みLINE Payでタクシー代と授業料を送った。あとから見返したら銀行口座からのチャージに手間取ったのかLINE Payに10万円ほどチャージしていた。

家に帰ってから1時間くらい声を上げて泣いた。何を考えて何を感じて泣いていたのか覚えていないけど、たぶん、何も頭では考えていなかったんだろうと思う。気絶するように寝た。記憶はない。



3月22日 水曜日


ひどい頭痛と吐き気で起きる。Twitterを見返すと記憶がない昨夜に亡くなった同期に関することを恥ずかしげもなくベラベラと泣いたり叫んだりしていて本当に気持ち悪かった。熱を測ると38度5分だったので会社に休む連絡をする。

あまりに体調が悪かった。昨日泥酔しながら思いっきり泣いたので、もう全部どうでも良いような気分だった。自分ではめちゃくちゃ大丈夫だと思っていたけど、実は大丈夫ではないからこんな酔い方をしたり体調を崩したりしているのか、それとも実際のところ本当に大丈夫なのだが、ただ私がバカだからこうなっているのかが自分では全然わからなくてバカだった。面倒くさくて亡くなった同期に腹が立ってきさえした。何死んでんだよ。先週も一緒に昼飯食いながら娼年の松坂桃李はケツが汚くて惜しいみたいな話したじゃん。彼氏が家のカーペットと同じ色の犬飼ってていやそれ絶対踏んづけんだろみたいな話して意味わかんなくて爆笑したじゃん。そういうの全部普通に楽しかったじゃん。本当にわからない。皆バカだ。


寝て昼前に起きた。冷蔵庫の中にあった林檎を食べたら途方もなく美味しかった。何か腹に入れないとと思いコンビニに行くため家を出た。仕事を休んでいる平日の昼間はたいへんに天気が良く、長閑だった。ふと1人でコンビニに向かって歩いていると、高校3年生の頃を思い出し、私はあの時のようにこのままダメになるかもしれないと思った。私はもう毎日仕事をしたりなんてできないのかもしれない。自分の精神の状態に1人ずぶずぶと浸って、昼過ぎに起きてインターネットを開いて閉じることだけを繰り返して、自己嫌悪の中でダメになるのかもしれないと思った。毎日pcを開いてすべき業務をして、メールでお世話になっておりますや今後ともよろしくお願いしますと打つような、朝起きて夜に寝るような、そんな当たり前のことや普通のことをこれから先もできる自信が全く無くなった。私はもうどこにも属していないような気がした。絶望と同時に(ああ、私にはやっぱり無理なんだ)というどこか納得したような諦念があった。コンビニに着くまでぼうっとそんなことを考えていた。コンビニについてからはもう全てがどうでも良いので、美味しそうに感じたものを片っ端から買い物かごに突っ込み(コンビニで買い物かごを使ったのも初めてかもしれない)、3000円ほど食べ物を買った。全てがどうでも良かったから。家に帰ってからLINE漫画で『チーズ・イン・ザ・トラップ』を全話買い(多分3万円くらいした)、あとはひたすら食べ物を食べながら『チーズ・イン・ザ・トラップ』を読んだ。夜が来たら寝た。



3月23日 木曜日


人を殺す夢を見て5時過ぎに目が覚めた。生きた人の首を両の手で締め殺す夢だった。力をかけた肌の感覚がまだ手のひらに残っているようで気分が悪かった。そこで私はやっと、この1週間ほど自分が毎日人が死ぬ夢を見ていたことに気がついた。人が死ぬ夢を見ること自体はそう珍しいことではないのですぐには気が付かなかったのだ。

熱が下がらないので会社に休みの連絡を入れる。明日は仕事ができるだろうかと不安に思うのに疲れたので明日も休みますと言ってしまうことにした。今日と明日、土日と合わせて4日あったら流石に大丈夫になるだろうと思った。
昨日コンビニに行く途中に感じた(自分はこのままダメになるのかもしれない)という感覚が消えなかったので、いよいよもしかしたら私は本当に大丈夫じゃないのかもしれないと思い心療内科や精神科を探したが、近くに予約なしで当日行ける病院がなかったので阿呆らしくなって止めた。そもそも高校3年生の時も一応精神科に通ってはいたものの、先生を前にしても特に話したいこともなく、文脈に沿った患者という役割をこなすためになんとか自分の中にあるかもしれないしんどさみたいなものを絞り出そうとして逆に気疲れしていたことを思い出した。当時は眠れなくて困っていたので睡眠薬だけ貰いに通っていたようなものだが、幸か不幸か(人が死ぬ夢を見るにせよ)今の私はいくらでも眠れているので、病院に行くこともないかと思った。代わりにこのように日記を付けることにした。

そういえばこの頃はRM(Anderson .Paak)のStill Lifeをずっと聴いていた。Life is better than the death, I'll prove it.  死や生をありのまま軽く知的に笑い飛ばすようで救われていた。結局のところ生は死より強いので、私は死に引っ張られることなく図太く生き続けている。

とにかく休むと決めたので、昨日コンビニで買ったものを食べながら『チーズ・イン・ザ・トラップ』を読んでいた。眠くなったら寝たいだけ寝た。



3月24日 金曜日


昨日の繰り返しである。食事、『チーズ・イン・ザ・トラップ』、睡眠の繰り返し。熱は37度前後まで下がった。

夕方になってから高校からの友達と待ち合わせて3人で新大久保に行き、韓国料理を食べた。いつも通り楽しい時間だった。いつも通り楽しかったので記録しておきたいことは何もない。



3月25日 土曜日


恋人と会いいつもの楽しい休日を過ごした。誕生日プレゼントにTOMWOODの指輪を貰った。元々は石がついたものが欲しかったけれど、私の短い指にはアンバランスに感じたのでシンプルなシルバーのものにした。銀座のスペイン料理屋に入って夜ご飯を食べた。まだお腹が完全に治ってはいないのでお酒は控えめに。



3月26日 日曜日


また嫌な夢を見た気がするが忘れた。もしかしたらまた人が死んでいたのかもしれない。昼ご飯を食べて家を出てから恋人の体調が悪くなり帰ることになった。一緒に観る予定だった映画のチケットがキャンセル出来なかったので、上映1時間前にダメ元で映画館近くに住む友人に連絡したら奇跡的に行けると言ってくれたので友人と2人で映画を観た。夜ご飯も一緒に食べた。楽しい休日だった。



3月27日 月曜日


恋人は翌日には体調が治っていてよかった。私も大丈夫そうだったのでPCを開き仕事をした。200件近いメールが溜まっていた。次の週末は韓国に行って好きなアイドルのライブを観ることを思い出したので、この1週間は健康的な食事をしようと思い食事の記録をつけ始めた。





それから1週間食事の記録をつけて46kgまで体重を落としたり、韓国に行ってアイドルのステージを観たり、アイドルオーディション番組で推しのデビューが決まって喜んだり、仕事や料理や家事や筋トレを繰り返したりしているうちに、私は自分の大丈夫じゃなさのことをすっかり忘れていった。結局のところ人は生活する通りの人間になる。大丈夫な生活をしていれば人は大丈夫になる。だからこそ大丈夫な生活がなぜかできなくなってしまった時が大丈夫じゃないのだろうけれど、なんにせよ今はもうすっかり大丈夫なので、3/16~3/26の10日間、いったい何がどう大丈夫じゃなかったのか理解できず他人事のように感じる。が、この時の記録がいつか何かの救いになるかもしれないので、とりあえず日記を残しておく。

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