20230810


18時、早々に仕事を切り上げ3連休にログインする。


SNSをフォローしている人が南瓜を食べているのを見て自分も南瓜が食べたくなり、豚汁を作ってそこに入れることにした。冷凍の米が切れていたので新しく炊く手間の前に米を諦め、夜ご飯には豚汁を2杯とスーパーで買ったお惣菜のソース焼きそばを半分食べた。自分で作るものは塩焼きそばの方が好きなのだけど、やっぱり店で売られているソース焼きそばは美味しい。


豚汁に人参を入れたのだけど、私は一人で食事をする時人参の皮を剥かない。大根も剥かない。面倒だからだ。皮を剥く手間より食べた時の少しの野生味を選ぶ。人に食べさせる料理では流石に剥くことにしているが、一人暮らしも7年目になるとそういった「わざわざ人には言わないけど自分一人が納得しているのなら自分一人の場ではこれで良いやとしているもの」が増えてくる。そういったところの擦り合わせの大変さはいざ人と暮らしてみないないと分からないだろう。

南瓜を入れた豚汁は美味しかった。私は夏にも汁物をどんどん食べる。昨日は鍋だったし。




夜ご飯を食べながら映画『きっと、またあえる』を観た。インド映画には『きっと、うまくいく』と『きっと、つよくなる』もあって、邦題訳者が前例に倣いすぎているのかなんなのか、とにかく『きっと、またあえる』も他の二つに負けず面白かった。特に最近とにかく生きてれば全部オッケー、生きてる奴が最後まで偉いし勝ち、一番大事なのは生、私が男に求めていることは死なないことだけ…などと考えていたため、作品を通してのメッセージがとてもよかった。主演の俳優の肉体が生命力に溢れ躍動する姿があまりにかっこよかったのでその俳優について調べてみたら2020年に自殺していた。


私は筋肉に執着しがちだが、筋肉に惚れ込んだ男は鬱病で自殺していた。外からの刺激には強いかもしれないが内が崩れると筋肉は役に立たない。結局どれだけ筋肉があっても人は死ぬ時は死ぬのだ。死なないことは求めたって無駄なので、私たちが求められるのはこの人は死ななさそうと思わせてくれることまでなのかもしれない。見せかけだけでも身体が大きく筋肉があるとなんとなくこの人は簡単に死ななさそうだと安心できる。見掛け倒しだがまあ不安に思いながら過ごすよりはずっと良い。人はいずれ死ぬ。特に人生に目標などがない私にとっては全てが思い込みと自己満足の暇潰しだ。




『今とても親しくしている人のことを、信用できないかもしれない、ずっと一緒にいられる相手ではないのかもしれない、と思った時、こうしてみると私が体を預けて安心して抱きしめられる人はこの世に1人もいないのだなと気付く(私にとって親は恩と義理の人であって抱きしめられて安心するような存在では全くない)。そう思うと自分の心臓がすこーんと床に落ちて転がっているような感覚になる。別に痛くはないが誰にも拾って貰えない。ただ1人すこーんと落ちて淡々と転がってそこに今在るだけだ。そういうものだ。慣れてしまえばなんてことないのかもしれない。』

ふと昔から使っていた文章作成アプリを開くとこんな書きかけの文章が残っていて、まあ何かしら感傷的な気分の時に感傷的なブログを書こうとしたのでしょう。全く書いた覚えがないし、こんな文章を出してしまっては今とても親しくしている人の気分を悪くさせてしまうかもしれないが、折角あったので記録しておく。

当時私にとって心臓が落ちた時の擬態語はすこーん、だったらしい。




違国日記の最終巻をちょうど読んだ。孤独に愛された人がどのように『自分が人を愛する』ということを受け入れるか、その経緯を淡々と丁寧に記録してくれた。ぼろぼろに泣いてしまった。物語を読んで次から次へと涙が流れ落ちてくる感覚が好きだ。私も比較的孤独に愛されている人間だと思うが、そういう人にとって人を愛することを受け入れるというのは、とても自覚的なことのような気がする。なかなか覚悟が決まらないのだ。必要に駆られてだとか、なくてはつらいからとかではない。自分はなくても生きていけるし、ないまま生きていくものと思っていたから。自分の意思で選択して覚悟を決めなくてはならない。いや、結局のところそうなること自体は自分の意思の外にあるとしても、自分の精神がそれを受け入れるというステップがどうしても必要なのだ。側から見れば自己満足でしかないのだけど、儀式のようなものだと思う。それを自分の精神の外で目に見える形で行いたい人たちが結婚式だとかを挙げるのかもしれない。私は結局のところ根本では人の話を全く聴いていないので、自分の外部がどんな制度をつくろうがどんな祭事を行おうが何を主張しようが自分自身の精神が動かなければそれらは自分にとって別に何も……と思ってしまうが。


最後に映画とは全く関係のないインドの話。昨日一緒にお酒を飲んだ上司がしてくれた、数年前に彼が台湾に出張に行った時の話だ。その出張は世界中のグループ会社の社員が集うようなもので、ある夜出張者たちが泊まっているホテルからバスを出して懇親会として社員たちは皆カラオケに連れて行かれたらしい。いろんな国籍の社員がいる中、会議中はむっつりと黙り込んでいたインド人たちが当たり前の様にカラオケで歌が流れると踊り出していたのがよかったと話していた。むっつりインド人達は満足するだけ踊ったらさっさとタクシーでホテルに帰り、アメリカ人(自分達がカラオケを選んだくせにインド人より先に帰った)が23時まで部屋を予約したため誰かしらは23時までそのカラオケにいなくてはならず、最後は日本人だけが残ってつらそうに時間を潰していたそうだ。


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