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314. 傷ついたという感覚

自分の事って分かってるようで本当は分かって
なかったりするのねーって出來事が久しぶりに
起こった。


Aさん、Bさん、アタクシという3人が
久しぶりに表のしゃべり場で居合わせ、
某アプリについてAさんがBさんに質問を
したら、あっけなく解決した所までは
良かったんだけど、何の脈絡も、そんな
事実もないのにAさんが突然、
「これでBさんの悪口言える。」と言って
笑った事に驚いて「そんな事ないからね!」
とアタクシは慌てて打ち消した。
Bさんは「どーぞどーぞ」と笑って返して
いたし、そんな事実はないと力むほど逆に
事実かのように聞こえてしまいそうだし、
かといって、Aさんのジョークには乗れ
ない‥ぃゃ、乗りたくないし、そもそも、
親しくお付き合い頂いてる人に、何なら
〝阿吽の会話〟すら可能な人に対して
冗談でも「あなたの悪口言いまっせ。」
なんて事を言う発想も回路も持ち合わせて
ないアタクシはモヤモヤした。

他愛のない些細なジョークである事は
間違いないのだけれど、ポンと落ちた
火種が時間を追う毎に消えるどころか
狼煙状に立ちのぼってしまったからには
見過ごすわけにはいかなくなった。
他人が聞き流せる程度のことに過剰に
反応するという事が〝サイン〟である
ことは経験上分かっているので向き
合ってみたら子どもの頃から過剰反応
してきた『濡れ衣』にぶち当たった。
濡れ衣への過剰反応の原因は恐らく
過去世だ。

生きる術を知らず、畑の作物を拝借して
命を繋いでいた身寄りのない孤児(男児)は
多くの村人たちから疎まれていたから
濡れ衣を着せるのには好都合な存在で、
体裁を繕うための裁判で濡れ衣を着せられ、
教会の地下牢に幽閉された後、あんな事
とかあんな事に利用された上で56された
であろう過去世を思い出した時、物心
ついた頃には理由もなく教会を怖がり、
極端に組織を嫌う理由が分かった。
ここ数年で知った聖職者たちの悪魔崇拝の
裏付けにもなっている。

今回の事は、濡れ衣への嫌悪から反応
したと理解したし、些細な事であるとの
認識もしてるから何か自分に対して何か
するつもりも無いけど、濡れ衣に行き着く
過程で、自我の領域に小さな傷がついた
ことにも氣づいたため、些細中の些細な
出來事ながら自分のために此処に記して
おこうと思っただけ。

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