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「アイ・メッセージ」を子育てに取り入れてはならない

私はアドラーの勉強は全くしたことがないし、本もほとんど読んだことがないのだけれど、ネットを見て気になることがある。

アドラー心理学に基づくという「アイ・メッセージ」という言葉。人を動かす言葉の主語は「ユー(あなた)」ではなく「アイ(私)」だという話だ。例えば、営業成績が思わしくない部下に発破を掛ける時、「君(You,ユー)のやり方ではダメだ。もっと努力しろ」と言っても良い効果は望めない。「私(I,アイ)は君の力を信じている。君なら間違いなくできるはずだ。君の頑張りが私は嬉しい」と言えば、部下はその期待に応えたいと発奮する。なぜなら人はより好ましい自分―ここでは上司から喜ばれる自分―を切望する存在なので。

ざっくりこんな感じの話が、ネットに溢れている。大いに結構だと思うが、しばしばその中に「子育てにも同じことが言えます」という言葉が紛れ込んでいる。しかしそれはいかがなものかと思うのだ。

アイ・メッセージという用語自体、アドラーが提唱したのかどうかも知らない素人なので、勿論アドラー心理学に関してどうこういうつもりは全くない。

先日、娘の主治医に高校進学について相談していたとき「~の方が良いんじゃないかと思うんです。親としては安心ですし」と言った私に、主治医はすかさず「それはお母さんの安心でしょ?大事なのは本人の安心」と返した。おっと、その通り。わかっているつもりでも、ついこの発想に陥るなぁと反省しながらふと思い出した。そういえば上の子たち3人が小・中学生だた15年程前は、このアイ・メッセージが子どもへの良い接し方として盛んに唱えられていたのでないか?曰く「そんな事をしたら、お母さん悲しいな」「こんな事してくれてお母さん嬉しいな」という声かけが、子どもの意欲を沸き立たせる。主治医に話すと「それは最悪!最悪の考えです」

私も今はそう思う。

アイ・メッセージを思い出すと同時に、私は背筋が凍る思いがした。15年前、4人目の子を産んだあと、私は在宅でライター業を請け負っていた。毎月50本余りの生活に関するコラムを書き、ニュースレターを編集し、時には取材に出掛けてインタビュー記事を書いていた。それとは別に月15日間出勤する事務の仕事もしていた。家事、子育て、仕事に追い回されながらコラムのネタをいつも血眼で探していた私は、話題の育児ネタとして「アイ・メッセージ」飛びついた。可愛いイラスト入りの育児コラムを350字で書いたのだ。

地方の一都市にある会社が、毎月顧客に送るニュースレター。発行部数はたかが知れているだろう。顧客に届けられたところで、封も開けずに捨て置かれることもあったに違いない。それでも、「育児にアイ・メッセージを」という印刷物を読み、内容に疑いを持たない若い母親がいたかもしれない。その頃の私がそうであったように、言う事をきかないわが子に毎日自分の方が泣きたい思いで子育てしていたら、その話に飛びついていたかもしれないのだ。―このNOTEは、私の慙愧の念を込めて書いている。

「私はあなたがこうなってくれたら嬉しい」

親の事が大好きで、親を喜ばせたいと思っている子どもが、それに応え続けて育ったらどうなるか。親の事が大好きで、親を喜ばせたいと思っているのに、自分でも思い通りにいかない子どもが、親の希望に応えられなければどうなるか。どちらも不幸な結果を招くに違いない。自立した社会人として自分の意志をはっきり持っているであろう大人と、確固とした自我が形成される前の子どもでは、この言葉の意味は全く違うのだ。

世界中で尊敬を集めているアドラーという人が、本当にアイ・メッセージが子育てに有効だと言っているのだろうか。私は気になってアドラー心理学に基づく育児書を読んでみようと図書館に出向いた。さすが人気分野だけあってアドラー式子育てと銘打った本はほとんど貸し出し中で、たまたま手に取ることができたのは、心理セラピスト・星一郎氏著作の「アドラー博士が教える 子どもの『あきらめない心』を育てる本」という本だった。子どもの自尊心と健全な夢を育むために親が心掛ける言葉かけとは、という内容だったと思う。

しかしそこでは「アイ・メッセージ」を推奨してはいなかった。わずかに、親が自分を主語として話す場面として、”もし反抗期の子どもが親の作ったご飯を「こんなもの食べたくない」と言ったら、「そんな事を言われたらお母さんは悲しい」と言っていい。親だって感情ある一人の人間なのだと示すべき時がある“という内容の記述があったのみだ。

たった一冊読んだだけで、わかったような事を言いたい訳ではない。「アイ・メッセージ」がいかにも便利なコミュニケーションツールとして、独り歩きしているのではないかと心配なのだ。育児や教育分野では専門家といえない、経営コンサルタントとか恋愛コンサルタントとかいう人たちが、子育ての目的を深く考えず、または自らの思い込みのままに、自分の商売の話ついでに「こうすれば子どもも言う事をきくようになりますよ」と言っているとしか思えない話が、アドラー、心理学、というキーワードに紐づいて今もネットに転がっている事が怖い。

確かに図書館のアドラー式育児書の類は、予約もままならないほど人気だ。でも、自分の子育ての参考書として心理学の本を手に取る母親が多数派を占めるとは思えない。たいていみんな、毎日の暮らしで手一杯になりながら悩んでいる。スマホでふと目にする情報にすがる思いになる事を、愚かと笑うなかれ。

どんな事であってもひとたび情報を発信するからには、自ら責任が持てる内容なのか。私は、過去の自分の浅はかな過ちを肝に銘じなければならない。

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