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巨漢おばさんはゼロイチが苦手

こんばんは。4Lかあさんです。
若いころからどうにも苦手なことがありました。でも当時、いや最近まで自分がそれが苦手であることがわからなかったし、何なら事実を見つめたくないと目をつぶっていました。

高校時代かな、友人2人と3人で交換ノートを書いていました。ノートは4冊ありました。うち1冊はお題を決めてイラストを描く「絵のノート」。残りの3冊は3人がそれぞれ考えた設定の小説を1ページずつ書く「小説ノート」でした。部活の仲間でノートの交換は部室でしていたため、テスト期間中で部活がないときは休みでした。

友人2人は、幼いころから本が大好きで、地域の図書館に通ったり、今でいうラノベとか漫画をたくさん読んでいました。自分でも小説やイラストを制作したり、読書感想文なんかもとても上手だった記憶があります。
一方私はあまり流行りの漫画・小説・ゲームに詳しくなく、彼女たちにおすすめを教えてもらって読んだりするレベル。絵や小説なんてほとんど未経験。

当然私が一番へたくそでした。何とか書こうと思っても、白いノートの前でうんうんうなって、何とか埋めていました。イラストに関しては、他の2人はオリジナルや上手な二次創作を披露していたのに、私は、自分が持っている漫画をマネしてそのまま描いてしまう始末。小説も私の設定だけ、小説を読みなれている人たちにはヘンテコな設定で、文章も上手に書けなかったので、毎日へこんでいました。

2人はその後、別の友人に同人誌の世界を教えてもらい、自分たちで小説や漫画を出し始めました。私にはもちろんそんな才能もなく、でも誘われて無理やりゲスト(二次創作の世界を知っている方はご存知かも)したり、卒業後に3人で本出そうと言われても、自分だけできなさ過ぎて、しんどすぎて音信不通にして逃げてしまい、申し訳ないことをしてしまいました。

そうです。私は白いノートや原稿用紙に何かを生み出すこと、いわゆるゼロイチが苦手、白い空白がトラウマになるくらい苦手なのです。

若いころは、クリエイターにあこがれて、プログラミングやウェブサイト制作などもしていたのですが、白いキャンバス(白紙、新規ファイル)から何かを作ることがとにかく苦しいのです。どんなに実績のある方でも生みの苦しみはあるのでしょう。でも苦しさが楽しさを上回り、しかもつらいことを回避しがちな性格だった私は、何もなしえないまま、何もできないまま、いい年の巨漢おばさんになっていました。(高校時代から巨漢は巨漢でした)

でも何かを生み出すことへのあこがれは常にありました。今の仕事(フルリモート・フル在宅の会社員)の前に、勉強がてら、最後のチャンスとして、動画・ウェブ・イラスト・バナー制作など、様々な学習をしてきましたが、パソコンの前でうんうんうなっている自分は、毎日ノートの前で苦しんでいたあの頃の私と何が違うのか。自分が心底情けなくなりました。他の受講生の方に馬鹿にされたり舐められたりしました。

ここでようやく、性格検査なども経て、自分の特性と苦手なことを知ることができて、「ゼロイチができるクリエイター」をあきらめることができました。

苦手なことをずっと目指して、あこがれて、苦しんできた時代はようやく終わりましたが、じゃあ逆に得意なことは何かと考えてみました。

いつか続く。

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