セオリー(理論)だけでないデザインをみんなでどう学ぶか?

こんにちは。UXデザイナー/Tokyo Graphic Recorder 清水淳子@4mimimizuです。いよいよ明日から通常営業です。それにしても、お休みモードから、お仕事モードに切り替えるのに、Twitterは本当にちょうどいい空間だと思う。いきなり真面目な本を開くのは辛いけど、Twitterなら、面白情報の中に、リスペクトする同業者たちの思考のカケラが混じってて、いい感じに自分の脳みそをお休みモードから仕事モードへ刺激することができる。

そんな感じで、今日もtwitterを開いた瞬間に、幸運なことに脳みそを刺激するTweetをみつけた。はじまりは、Tomo Tsubota / @tsubotax さんの記事紹介。ここを起点にいろいろ考えたことをまとめてみる。

この記事を書いたのは、フロントエンジニアの@rhirayamaaan さん。フロントエンジニアの立場から、自分の持つスキルで良いデザインを探求して理解しようとしてくれている。素晴らしすぎる。デザイナーにとって本当にありがたい存在です。

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余白はとても大事なデザインの基礎。

そうなのです。余白を制すること、余白はとても大事。なぜなら、情報をわかりやすく見せてる鍵って、実は図や文字より「余白」だったりする。「余白」があると、初めから終わりまで、全部読まなくても、なんとなく何を言いたいページなのかが想像できるようになる。安心できるので、ストレスが減る。目安として、薄目でも情報のカタマリが見えて、どんな雰囲気のページなのかがわかるくらいが良い余白な気がしてる。

「余白」は、音楽でいうところの、「休符」なイメージ。休符がなかったら、どんなに素敵なメロディも繋がって聞こえてこない。余白や休符は「ここからここが、カタマリですよ」というのを教えてくれたり、次にくる大事なメッセージを効果的に魅せてくれる。

もしも「音楽の休符ってもったいないから音を慣らしておこうぜ!」とかいう人が現れた時に、その通りに休符のたびに違う音を鳴らすミュージシャンがいたら、たぶんその音楽は成り立たなくなる。それと同じように、デザインにおける「余白」は、存在しないと伝えたいものが成り立たない。何も無いように見えて、めちゃくちゃ大事な空間。だけど意外となかなか知られてない。

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なぜ余白が大事かを伝えるチカラが無かった時代。

ビジュアルに関するデザインを手がけたことある人は、こんなオーダーに出会ったことがあるかもしれない。「なんか余白がもったいないな〜...もっと図や文字を大きくしてくれません?」という無邪気なオーダー。

私は20代前半の頃に、いろいろな人から、このオーダーに出会うことが多かった。しかし上手く「なぜ余白が大事か?」を説明できずにいた。というのも、自分の説明力不足ももちろん、直接会うことができない立場だったので、伝言形式のテキストでは全然うまく伝えることができなかった。

納品の締め切りの期限もあり、細かい部分でいちいちMTGを組むわけにもいかず、やむなく伝言で伝えられたオーダー通りに直して納めてしまうこともしばしばだった。納品には間に合って、クライアントも満足、だけど、本当にそれでいいのか?という悔しい思いで悶々としていた。

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デザインの基本セオリー(理論)を当たり前にできたら。

「余白大事」というのは、デザイナーにとっては当たり前の基礎中の基礎だ。だけど、このことは、意外と世の中で知られてない。こういった基本的なデザインの仕組みは「余白大事」以外にもたくさんある。

ちなみに、セオリー(理論)とは、対象となる事象の原因と結果の関係を説明する一般的な論述とのこと。

この場合、なぜ余白が大事か?ということをしっかりと説明できること。そんな風に、デザインセオリー(理論)ってたくさんある。数多くのデザインの役割や機能を説明することはデザイナーの大事な仕事だ。だけど、毎回、「この線はこういう役割があって...」「面のバランスがこういう機能を果たしていて...」というのをプレゼンシートに書いて送るのも変な気がする。それって本当にデザイナーが続けるべき仕事なのか?

水は100度になると沸騰する。言葉には主語というものがある。地球には季節がある。食べたものは食道を通って胃に入る。

義務教育でインストールされてきたセオリーは、常識となって私たちの日常生活を助けてくれる。もしも、その中にデザインの基本的なセオリーがあったら、デザイナーは本当にデザインするべき対象に近づいたり、他の領域と手を組む余裕ができて、もっと世の中がいろいろな角度から、デザインされて心地よい空間になっていく気がする。

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デザインはセオリーだけでは成り立たない。

そんなことを考えているうちに、あるTweetをみつけた。大好きな映像作家のシシヤマザキさんのデザインセオリーに対する考え。

そうなのです。これが超重要。セオリー(理論)はとても便利で重要なのだけど、セオリーだけでは、質の高いデザインは成り立たないこと。1人の人間が主体となって、1人の人間の感性や思考を起点にしないと、生き生きとしたデザインにならない。デザイナーはセオリーだけでデザインはしていない。

どんなことかというと、デザインはスポーツに近い。

野球に例えるとこんな感じ。どんなにプロ野球選手のバッティング方法を文章で読んで、たくさんの試合を観戦して観察して解説できても、自分が試合で勝てることとは全く別物であることと同じ。

セオリーとしてのデザインが広まることは悪いことじゃ無いが、セオリーだけのデザインが常識として広まることは、なかなか危険な気がしている。

大事なのは、デザインを学ぶに当たって、デザインセオリーだけではなく、デザイン体験の中に身を浸して、自分の体でセオリーを超えた経験を覚えていくこと。でも、これって、少年野球のようなコミュニティでもないと、なかなか作り出せる空間じゃないよな。とか、そんな時に見つけたひとつの記事。

👉萩原修さん/@shuhenka 「ちいさなデザイン教室」 

この教室では一方的な講義形式ではなく、お互いが何かを持ち寄り、体験の中からでデザインを学んでいくようだ。とても素晴らしいと思う。地域の少年野球のように、地域の中にデザインの教室があってもいいよね。と思った。どんな空間なのか、いつか見学しにいきたい。

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どのタイミングでどうやってデザインを学ぶべきか?

私がデザインを学び始めたのは、高校2年の時に、原研哉さんのデザインのデザインを読んでからだ。この本は原研哉さん自身が体験してきたデザインの仕事の経験から、普遍的なデザインのセオリーに繋げてくれている。今から考えるとベストなデザインの学びの入り口だったように思う。

でも、もっと早い時期でデザインに出会っていたらどうなってたのか?極端な話、義務教育のなかでしっかりとデザインの体験があったらどうなるのか?という興味があった。

そして去年、2017年の夏にワークショップデザイナーで造形作家の田中レイさんから、「小学生向けにデザイナー体験のワークショップを企画してみませんか?」と声をかけられて、自分の興味にドンピシャだったので、7月に実際に企画してやってみた。

小学生にデザインをおしえること。これは、一見、簡単なようでめちゃくちゃ難しかった。深かった。反省点だらけの可能性だらけだった。長くなってきたので、次回はこのワークショップのことについて書いてみようと思う。(終わりに次回書くことを予告すると、次が書ける気がする:D)

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清水淳子 / @4mimimizu

Design Researcher / 対話の場 / 議論の可視化について研究してます◎グラフィックレコーディングの教科書 発売中 https://amzn.to/2Frt8OC |多摩美情デ専任講師

デザイン@4mimimizu

@4mimimizuが、日常生活の体験から感じたことを元に、デザインのこれからを、人類の歴史と変化する世の中の流れと絡めつつ、言葉で考えていくマガジンです。3つの視点をぐるぐるします。※清水淳子のTwitter@4mimimizuが素材になっています。
6つ のマガジンに含まれています

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