スクリーンショット_2019-07-05_22

救済?リメイク?PARTSシリーズができるまで

「足りない」から 良いことが人間でも絵でも服でもあると思う。

私たちがブランドを始めた時、もう新しいブランドはいらないと思っていた。好きなブランドをとても好きで、彼らが生み出しているもので私には十分で、服は溢れて、愛されて、とにかく十分だと。
とはいえ私は服をつくるのが好きで、その両方に気づいたのが服飾学生の時、このギャップを抱えて学生時代は服をつくることを悩んだり、進路にもアパレルを選べず悶々としていた。
私贋広告店(はE.SOCOの前身且つ温め直しているプロジェクト?がいいかな、ブランド名かもしれない)というのを始めて、やっぱり自分たちの甘さとか、出来ること、やりたいこと考えてく中で、それでも服をつくることにしがみついてる自分に気づいたし、どんなに悶々としようと離れがたいことなんだとは重々思い知って、新たに2人の中で浮上した言葉が「プラモ服」

これはとりあえず言葉だけ置いていきたいのだけど、プラモから想像するあれこれで正しいんだが、まあ
パーツってことを考えてた。
服が分かれている、繋げていく、つくる楽しさはどこにある?
服を縫うのが好きなのであれば何なり手段はあってそういう市場は既に存在してる。(ユザワヤの土日平日関わらずの盛況知ってる?)
またデザインするという点ではカスタムやオーダーなどがあるけど、やはりブランドなりの世界観とこのクオリティこのイメージを買えますよ、どの色がいいですか、とかどの素材ですか、とかになる。
ほとんどの人がそれくらいフォーマットがないと想像しずらく、やっぱりわからないものは買わないだろう。
じゃあ私たちの世界観はどう見せてどこに余白を持ってきて、どんな作業を商品にするのか?その時に出てくるパーツは?どんなだろう。
パーツそれだけでも魅力的なら?

服→プラモ→パーツの思考の中で、気づけば私は古着にハサミを入れていた。自分の思うパーツに分かれた服を見たくなった。分かれた服を点で繋げて今度はまた服として着てみた。
線で繋がっていた物が、点で繋がると見え方は全然変わって、無かった隙間や分量感のアンバランスさが面白くてなんか凄く良かった。
服のパーツってそれだけで魅力的なんじゃないかと思った。
コラージュのような感覚で服をデザインする。

このパーツを着るという言葉がなんとなく始まった時、オリジナルでそういう服をつくることも出来た。
でも服が溢れてるという思いの中でずっと考えていたこと、考えようと思う前に頭の中にあったこと。

溢れてると感じる服の終着点はどこか、色々思い浮かぶも、どこかのフリマ?メルカリ?それもまだマーケットの中というなら君の私のクローゼットの奥かもしれないし、ゴミ袋に入れられて捨てられた服とか?マーケットに出ずに企業に作られて燃やされる服もある。

服には多くの場合値段という見える価値基準がつけられる。
フリマにしろメルカリにしろセカンドマーケットやユーズドでは値段が下がるのがセオリーだ。
特別なブランドや希少価値がつく一部を除いては本来の価値(作り手が決めた価値基準)よりも当たり前に低くなるべきと感じる人の方が多い。

私はよく祖父や父や母の“箪笥の肥やし”を持ち出して着る。持ち主である彼らがいらなくなったものに価値を見出すのはメルカリとかと似てるようで違う。値段という基準を使わないし、受け継いだものという点で価値が下がるというよりも引き継ぐか上がるような感覚がある。

また、リサイクルショップも好きでぐるっとしっかり見る。多分どこかのおばあちゃんのクローゼットがどさっと来てるなって感じのラックとか、服の塊があったり、地域性があって面白い。
そこでよく見るスーツジャケット。型落ちも何も流行りは関係なかったんだろうジャケット。綺麗に着られてきたんだなって感じのジャケット。大体が最安値!である。
はっきり言ってこの値段は付いてるようで付いていない。意味としては、商品だから、売り物だから、お店だから値段ありますよっていう値段。

服をつくる人ならわかると思うけど、ジャケットっていうのは服の中で断トツに面倒な類である。
決まってることが多くて、内も外もやたらに仕様が多い上に裏地がついていたりするもので、素材も違えば扱いもその分大変になる。
昔の物になればなるほど内側に手間が潜んでいて、毛芯にハ刺しとか裏地の端に手ステッチとかポケットの中にポケットとか。

そういうジャケットが、大量生産のカットソーとかペラっとしたスカートとかと一緒に最安値で並んでいる。
需要と供給のバランスと言われればその通りなのだ。どんなにこの価値基準に違和感を感じようと私自身もこういう紳士ジャケットをいくつも愛用して、なんてことにはならないし。

服は素材感、機能ディテール、サイズ感、アイテムたらしめるデザイン、アイテムが持つイメージ(例えばジャケットで言えばフォーマルであるとか)などの要素が影響し合っている。
その中でサイズ感と、アイテムが持つイメージによって選ばれるチャンスが狭まっているなら、、そこに“パーツを着る”が合致した。

服としての完成されたよく知る形が分かれることによって普段脇役になるような部分もフォーカス出来てさらにカットのラインによってコラージュ的な面白さが生まれるのでは!
記号的な部分が強いからこそ、パーツに分かれた時も程よく主張を残して良い方向に作用するのでは!
散り散りにあったアイデアが合わさってスパークした。やってみたらコレしかない感。
最初にパーツに分けて点で繋げてでつくったサンプルを検討し直して、ベルトで繋げるというアイデアでさらにサイズ感のフリーさも手に入れて、PARTS第一弾が誕生した。

ジャケットに加えて紳士のシャツもラインナップあり。2つにカットすることでサイズ若干壊せたことと、かっちりしたイメージを崩すことをジャケットと共通してやっている。

パーツの古着を選ぶ時、あえてちゃんとダサいのをピックアップしたいと思っている。それを昇華する時PARTSがPARTSであると思うから。

今までの話の中で服が溢れてる“から”古着でPARTSつくってるみたいな流れになってしまったかもしれないけど、勿体ないとかそういう話とは少しズレてるというか、、救済とかにはむしろなってなくて、PARTSなんてニッチな物という自覚はバリバリあるし、エコとかそういうことではなくて、(ただ、捨てないってのは大事だと思っていて、PARTSは1つの古着から3つ2つ つくるけど、そのラインの見極めに命かけてて、襟だけ切って捨てるとかはあり得ない。でも話は別)

誰かに要らないとか、需要がないと評価を受けたものをめちゃくちゃファッション的な感覚でそういう文脈に押し上げてる(そう信じてる)のが面白いぞ!と、

ほんで着たらめちゃくちゃ格好良いからな、、

気になった方はオンラインとか、通常では上がってないですが、期間限定で上げたりもあるので、ぜひSNSと合わせてチェックして貰えたらと嬉しいです。

E.SOCO site
instagram @e.soco_


読んでいただきありがとうございます。