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“苦境”への道筋となったもの――

「大人社会」で生きていくうえで、何が一番困ったか――。
地方新聞社での2社12年をはじめ、ほかにも少し会社勤めをしたが、どこも「人間関係」での苦悩が絶えなかった。「社会人の悩み」として多いことではあり「誰しもが少しは悩み苦しむこと」ではあると思うが、自分の場合は、ある一つの理由が大きく、“苦境”への道筋となった。

自分は決して「コミュニケーション能力」がないわけではないし、理詰めで仕事をするタイプで「説明する」という行為も得意なほうだったので、自分で言うのもだが幹部クラスからの受けは良かったし、後輩や新人からは慕われていたとは思っている。

ただ「近い上司」と「少し先輩の男性社員」からは、常に好かれなかった。
理由は「“仕事”として従事している時間内」のことではなく「一歩外に出ての付き合い」が、全くできなかったからだ――。

自分は「酒の席」が苦手だ。
基本的に酒が飲めず、特にビールと日本酒は「口を付けるのも嫌」なレベル。洋酒やチューハイなら1~2杯くらいは飲めなくもないが、それ以上は喉を通らなくなる。「体質的に受け付けない」と言っていい。

なので「酒に酔う」という感覚が分からない。
これが「人間関係」を崩壊させる原因となり続けた。

忘新年会や歓送迎会、慰安旅行など、どこでも必ず「宴席」があった。
そこではまず「乾杯」がある。大抵はビール。20くらい年前だと「乾杯だけでも飲め」は当たり前の世界だった。そして「酒は鍛えるもの」という考え方が残っていた。
「無理して飲もうにも喉を通らない」ので断るのだが、まだこの時点では「つまらない奴、と、少し煙たがられる程度」で済んだ。

問題はこの後。
「砕けた話で場を盛り上げられるタイプではなく、大勢で騒がしい雰囲気は苦手」なのもあり、場が和んでくるにつれて、大抵は「こっそり抜け出して目立たないように努めていた」が――、現実にはそうもいかない。

周りはどんどん酔い始めるが、自分は素面。
その状態で酒を勧められると――、感情の“糸”が切れる。

自分としては「さっき飲めないと断った」なのだが、相手は「断られたことを覚えていない」ので、酷い場合は同じことが何度も繰り返される。そのうちに怒らせてしまい、自分も不機嫌になる。その場で喧嘩になることもあった。
「要領が悪い」のもあるが、誤魔化すよりも「自分は飲めない人」だと認識してほしかったのもあった。「酔っている状態の人」に通じないのは、頭では分かっているつもりでも「素面」だけに、逆に醒めてしまう。自分は「感情に嘘をつくのは苦手」で、喜怒哀楽がはっきり顔に出てしまうので、相手も「俺の酒が飲めんのか」となりがちだった。

そして、翌日以降に社内で顔を合わせても、蟠りが解けない。
本質的に言えば「単なる趣味嗜好の違いの問題」でしかなく、仕事上に引き摺ることではないと思うが、「酒の席のことだから」で穏便に済まそうとされるのが、どうしても釈然としなかったからだ。
ハラスメントが厳しくなっている現世では違うかもしれないが、当時は「飲めない人のほうが立場的に弱い」という風潮はあった。それが、虚しかった。
「自分の心が狭いだけ」でしかないが、「とりあえず謝っておく」といった「大人の対応」はできなかった。

「過剰反応」で「意固地」なだけかもしれない。
だが「お互いが素面なら」、諍いになったとしても「理」として和解できるわけで、自分の中で、この「理」は大切にしたかった。
「表面的に和解しても、同じことを繰り返すだけ」だとしての反骨的な対応は、大人社会においては“過ぎた正義”だったのかもしれないが・・・。

また、日常的な社員同士の「個々の付き合い」としても、やはり「食事+飲酒」が主になる。「仕事を終えてからで夕食を採っていないのだから当然とは言える」のだが、ほぼ必ず「酒」が入る。
ボウリングやカラオケ、あるいはスポーツで汗を流すといったことは大好きだが、「酒の席には参加しない」となると行きづらくなる。結構「セット」にされるからだ。趣味嗜好や楽しみ方が“子ども要素”なので、そのうちに「付き合いが悪い」と誘われなくなっていった。
自分にとって、酒はコミュニケーションのツールになり得ないので「飲める人」(飲みたい人)と同軸の空間には居づらくなる。「飲めないタイプの若手社員」からは慕われることもあったが、それは概ね新人や若手の女子社員だったから、仕事上の人間関係としては、自分の”救い”にはならなかった。

ちなみに学生時代も「酒を強要される雰囲気に耐えられなくて“逃亡”を図っている」(この話は「黒歴史」なので触れない)。

今、宿を運営していて、設備を案内する段階で宿泊者に「自分は全く酒が飲めない」と公言している。「酒そのもの」以上に、「勧められる行為」への抵抗感、トラウマが消えていないからだ。
親しみを込めて善意で言ってくださる「一緒に飲みましょう」に対して、応えることができない申し訳なさは、理解してほしい。

宿のカラーや雰囲気を明確にしたことで「ゲストハウスには興味があるけどお酒とその雰囲気が苦手で」という女性客も結構入ってくれているが、現実的には「旅と酒」「宿と酒」などを一括りの魅力とされる人も多い。そう考えると、礼文島の「桃岩荘」のような「飲酒全面禁止」にはできないし、するつもりもないので「自分が飲めない人」だと伝えて“線引き”するしかない(とは言え、男女とも「酒飲みタイプ」は来なくなってきているし、ファミリー層は飲むとしても基本的に「外の店」だから「大人の飲み会」の雰囲気になる日は滅多になくなった)。
「酒が飲めない人の苦悩」は、存分に分かっているので、少数派でもいいから、その苦悩に応える空間づくりは大切にしたいと思う。

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