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団体ツアーの大きな勘違い

数日前の出来事です。
1台の大型バスが、JR境港駅前のロータリーに入り込んで停車し、乗客を降ろしました。
それを見て私は、一緒に降りた添乗員の女性に「なぜここに止められたのですか?」と尋ねると「『世界妖怪会議』としてブロンズ像が集まっているから」と返答されました(現在、境港駅前に70体前後のブロンズ像が集結しています)。

バスを止められた場所は本来、路線バスとタクシーおよび、切符の購入などで短時間停車する程度の一般車用で、観光バス専用の駐車場は約400メートル離れた場所にあります。そのあたりの話をすると「ここで見学して、(観光バスの駐車場に)移動して、また少し見学します」という返答でした。

そこで、本来は(一時的にしろ)大型バスを止める場所ではないということを踏まえて、リニューアル工事の現状と、今後の方向性として「観光バス用の駐車場が変わる可能性があること」などを話したところ、「バスの駐車場が変わったら、ただでさえ記念館に行く人が少ないのに、もっと行かなくなりますよ」と言われました。

「まちづくり」から観光地へと自然発展した水木しげるロードは、境港駅前から約800メートルの「一本の道」として定義づけられています。そのため、現在、工事が進められているリニューアル計画において「境港駅を起点、記念館を終点として“歩いていただく”まちづくり」を進めています。
私は「水木しげる記念館ができる前から(建立はロードの完成式の約7年後)、観光客として訪れた後に移住」していますので、ロードの歴史や変遷を「観光客の立場で」見てきました。ところが、ここ数年、映画やドラマの影響で「ブーム」をつくってしまったために「原点」が忘れられつつあるとともに、旅行会社や団体が「記念館がメーン」だと思い違うをするようになってきました。
それだけに今回のリニューアルにおいて、あらためて「一本の道」であることを再認識していただくよう努めるとともに、起点と終点という定義付けを明確にして「800メートルを歩いて楽しむ」という、ロード誕生の「原点」を守り伝えていきたいと考えています。

現在、工事中で通行に支障をきたす場所もあるとはいえ、駅前に集められているブロンズ像は全体の4割程度。約6割は「水木しげるロードの道路上」にあります。リニューアル工事の意図や変遷を知っていただくためにも、工事中といえども「歩いていただくこと」は非常に重要なのです。歩いて「全体を」散策したうえでの「世界妖怪会議」があると思っていただかなければなりません。

そこで、こういった話を切り出したのですが、「記念館に入ることと、町を歩いてもらうことと、どちらが重要ですか!?」といった切り返しをされたので「まず全線を歩いていただいたうえで、記念館の存在がある」と返すと、「想いと実情は違います」と何度も繰り返し、「失礼します」とも言わずにバスの中へ戻っていかれました。

直接的な発言ではないですが「歩かせないことが観光客にやさしい」「記念館のみに行かせればいい」と言いたい感じを受け、まるで水木しげるロードの「まちづくり」が「観光客にやさしくない」と言われているように感じました(添乗員の話からすると「本来の観光バスの駐車場に止めて境港駅方面へも歩かせると、記念館での時間が減る(取れない)」のと「歩かせること=客にやさしくない行為」という考えから「大正川あたりと境港駅前との間を歩かせないため」に、このような方法を取ったようです)。

現状、リニューアル工事中で通行に支障をきたす場所はありますが、この女性添乗員の言動からすると「そのための措置」として境港駅前にバスを付けたわけではなく「もともとのコンセプトや経緯と、町づくりの真意を知らない」からだと見受けられました。
そして上記のとおり「歩かせないことが観光客にやさしい」という視点での対応。「水木しげる記ロード」ではなく「水木しげる記念館」がメーンだと捉えているため、このような発想をされたのだと思います。

単に「箱モノ施設」に行くだけなら「歩かせないこと」は重要なポイントでしょう。しかし、町としては「水木しげるロードの一部として水木しげる記念館がある」、つまり記念館は「あくまでも町の一部」なのです。
確かに「記念館の入館率が低いこと」は大きな課題ですが、それは別の問題として取り組んでいかなければならないことです(企画展がないこと、催し物の告知が遅すぎること――など)。今回の女性添乗員の言動は、その問題点の以前に、まちづくりの「原点」「コンセプト」が分かっていない故の発言でしかないと感じました。

「記念館に入ること」イコール「水木しげるロードに行った」ではありませんし、「歩いて楽しむ町」を「歩かせないのが観光客のため」という発想で捉えていては、「町本来の魅力」を客に伝えることなどできず、単に「行っただけ」にしかなりません。
本質的なことを言えば、観光客に満足していただけるよう“やさしい”対応をするために「ゆっくり歩けるだけの滞在時間を設け、記念館に入るか町を散策するか選択してもらえるよう努める」のが理想です。
確かに高齢者だと「800メートル歩くのも大変」という声もありますが、それを「歩かせない」ではなく「店先で休み休みしながら、ゆっくり散策する」という町本来のコンセプトを説明していただきたいと願います。それでも「歩きたくない」と言われたら、それは「水木しげるロードに関心がない」ということですので、致し方ありません。

いろんな地を巡る団体旅行では、そうもいかないのが現実でしょうが、地域の観光振興に対しては「ゆっくり散策する時間が取れないことを詫びる」のが本来取るべき対応であって、「歩かせないのが観光客にやさしい」とばかりに「想いと実情は違います」などと、まちづくりの本質を切り捨てる発言をするのは、水木しげるロード自体を冒涜されているようで残念に思いました。

団体旅行ではできないとしても「今度、個人で来られた際には、ゆっくり歩いてください」といった案内ができているかが、町としては非常に大事です。「まちづくり」の理念と、団体旅行の在り方が一致しない面がある中で、いかに対応していくかは課題ではありますので、せめて「コンセプト」を正しく理解し、観光客に伝えていただきたいと願うのです。

この時、運転士さんが一言だけ口を挟み「駅前で降ろして記念館前で拾えればいいが」と言われました。その案は正論で、私も対策が必要だと思っています。大切なのは、こういった検討課題を拾いながら、理想に近づけていくことです(私的には、個人客用の駐車場を境港駅西側に設け、団体用の駐車場は記念館周辺に整備するか、運転士さんが言われたように「駅前で降ろして記念館前で拾う形式」が良いと思っています)。

今までもいろいろな添乗員さんや運転士さんらと話をしてきましたが、「古くからある店のファンになっている人」「店を覗いて話を聞き“物語”として観光客に伝えてくださる人」「“個人”として観光客の目線で買い物をしたり、コミュニケーションを図る人」もいます。正しく「学ぼうとしてくださっている人」が案内している団体は、乗客もマナーが良いですし、また「個人客として」リピーターになってくださる人もいます(団体→個人への発展は「細く長く」観光地として展開していくうえで、絶対に必要です)。
こういった「観光客に楽しんでいただく工夫を凝らし、ご自身も町を楽しんでいる人」からのご意見は非常に貴重で、その想いに応えていけるよう努めなければなりません。逆に言えば、こういった「町の視点」で物事を見た上で観光客に接してほしいと願っています。

はっきり申し上げますが、ここ数年でお会いした観光団体の関係者の中では「かなり“残念”な対応」でした。旅行ツアーではなく、慰安旅行などの団体への添乗のようでしたが、あるべき基本は同じです。

あらためて「水木しげるロードは、800メートルの一本の道で、ゆっくり歩いて散策する町づくりをしており、記念館はその一端」だと認識していただき、その前提の上でご案内していただくことだけは、切に願っています。

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