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【職場改善note有料マガジン】No.0013・・・仕事の精度はどうすれば高めることができるのか?

 仕事量が多く、時間に追われてしまうと、どうしても一つ一つの作業が雑になりやすくなる。 その上、自身の不器用さを言い訳にしてしまえば、必ず「人のための仕事」は成し得ない。 そもそも、仕事とは何のために、そして誰のためにするものなのかを考えなければならないところ、「できない理由」「やらない言い訳」をすることに慣れてしまえば、毎日の仕事にいちいち妥協するようになる。 少し問題が生じると、真っ直ぐに向き合うことができなくなってしまう。

 そうした仕事人生を過ごすようになると、まず「ハードル」が下がる。 「頑張った」のハードルがね。 そして、「結果」が期待されるほどのものでなくても自分では頑張ったと自己肯定するようになる。 自分で「納得」できるのであればそれでいい、そういう解釈もある。 しかしそれは、自分の仕事の「精度」に対するハードルの高さに大きく左右される。 

 ボクは派遣社員だから、基本的には簡単な作業を依頼される。 単純作業と言ってしまえば、面倒で、面白くもない作業で、同じことを何度も繰り返さなければならない。 確かに依頼されるもののうちそういう作業は多い。 でもね、さすがにボクも気付いている。 もう何年も前に。 「単純作業ほどそれをやる人の精度がハッキリと表出する」と。

 とある部品の調査のために、100個分解・切断をするという作業があって、それは市場から返却された特定の現象による不具合の原因調査だった。 もちろん、1個1個に製造ナンバーがあって、部品そのものには刻印はないため、どの部品がどの製造ナンバーかはわからない。 でも、ボクが依頼されたのは、部品の分解と切断だけだった。 1から100の番号は振ってもらっていたけれども、製造ナンバーとの紐づけはされていない状態で作業依頼をされたため、頼まれてはいなかったけれども、ボクは一つ一つ、調査番号と製造ナンバーの紐づけをして、間違いのないように管理できるようにしたんだ。

 その調査が終わって、調査済みの部品は保管棚に収納することになったわけだけど、それから半年以上経ったある日、担当者から特定の製造ナンバーだけをピックアップしたいという意味の追加依頼をされたんだ。 もしボクが調査番号と製造ナンバーの紐づけをしていなければ、調査結果と現物の部品とが食い違う事態になっていた。 担当者もまさかそこまでやっているとは思っていなかったようで、感謝の言葉をボクにかけてきた。

 「モノの管理」について、ボクが個人的に重視していることがある。 それは、「いつ誰が見てもそれとわかるラベリングの重要性」だ。 もちろん、自分だけがわかっていればいいモノの管理情報であるならばもっと簡易的なラベリングでもいいわけだが、ボクは管理情報そのものが誰にとって重要かを考えて管理方法を選択するため、毎度その選択は異なる。

 Microsoft Excelは、今やボクにとっては毎日触るソフトだ。 「今や」と言っても元々興味関心があって、プライベートでも趣味・遊び感覚で楽しんできたため、それほど抵抗のあるものではない。 文系の自分でもExcelに興味を持つようになったのは、Excelが「数字を管理するソフト」であり、「推移を記録するソフト」なのだということを知ったからだ。 これは面白いと思った。 数式をいくつか勉強して、自分が欲っしている数字を瞬時に割り出す機能は、ボクにとってはすごく新鮮に思えたんだ。

 しかも、割り出す数字がどの数式を使えばいいかが決まると、種類が100であろうと1000であろうと、全てをその数式で一気に計算できる。 今更ながら、ボクはExcelの凄さに今も惹きつけられている。 つまり、「ツールの扱い方」を身に付けさえすれば、学生時代に全く数学が理解できなかったとしても数字を操ることができるということを知ったから、Excelは徐々にでもスキルを伸ばす価値がある、と悟ったのだ。

 時には、数式が複雑化すると、微妙に数値がズレることがあり、「何が間違っているのか」や「何が足りないのか」、そして「別の数式でないとダメなのか」など、いろいろと考えさせられることがある。 わからなければわからないほど探究心が刺激される。 こんな感覚は「利き手ではないほうの腕で上手にボールを投げることができなかった」時の感覚と似ているなと思った。 元々左利きのボクは、左腕同様に右腕でボールを投げられないことに心底疑問に思った。 体は左右対称じゃないのか?と。 でもね、一緒なんだなって思った(笑) Excelも、ボールを投げるのも、「条件」「真」「偽」とかいう言葉で表せる。

 利き手ではないほうの腕で上手にボールを投げるための条件を、中学時代に独学で編み出した。 と言っても、単に重心移動と腕の振り、そして、遊びての引き、条件はこの3つだとわかってから一週間でできた。 今もできるよ。 自転車に1度乗れたら忘れないのと同じでね。 この体験は貴重だった。 ボール以外のことでも何でも試したくなってくる。 簡単なところで言えば、ハサミ、カッター、ホチキス、ドライバー、ペンチ、工具系は何でも右でも左でもやるようになった。 案外できる。 慣れるまでそう時間はかからない。 めちゃくちゃこだわるようになったのは、右脳と左脳への刺激が左右の手で全く違う効果があるということを知ってからね。

 「脳内でイメージしたことを神経を伝ってそのとおりに手を動かす」、これを強く意識する人はできるようになるんだよね。 コツとかいう一言では表せないくらい繊細な動きを、当たり前のようにできるようになる。 外科医は手術をする時に刃物としてメスや電気メスを使うわけだけど、彼らは扱う刃物の切れ味がどれほどのものかを頭で理解しているのではなく、おそらく、手先の感覚に沁み込ませているのだろうと思う。 イメージしたとおりに手先を動かすのと、それを頭で理解するというのでは次元が違う。 ボクはそんなふうに思う。

 モノづくりの現場に集まる多くの技術者たちは、それこそ外科医のような繊細な技術をその手に宿しているのだろう。 しかし、技術者たちだけではなく、事務職の人たちにだってそれに近いものを持っている人がいる。 電卓を超高速で打ちまくって僅かのズレもない計算ができたり、書類の作成にも高い精度を追求していたりする人がいる。 同じ職場にそういう人がいるかいないかでは、受ける影響も大きく異なるだろう。 でもボクは、影響を受ける側ではなく、与える側でありたいと思っている。 慢心ではなく、これからも与える側に立てるように作業精度にこだわる。

 自分の脳と目と手を信じて、高い精度の仕事をする。 これができれば、あなたはきっと誰かのためになる仕事をしていると自信をもっていいだろう。 メモを残す時も、自分が書く字は丁寧さに欠けていないか。 特に宛名として書く相手の名前は丁寧に書けているか。 実は、自分の手先に神経を集中させる瞬間というのは毎日のようにある。 でも、イメージが出来ないのであれば具現化させることもできない。 では、どうやって完成形をイメージできるようになればいいのか。 それは、一言には表せられない。

 なぜなら、自分が話す言葉、態度、歩き方、目線、表情、食事の摂り方、心の在り方、人が普段当たり前のようにする全ての行動、全ての所作に通じるから、というのが最大の理由。 「人は見た目」なんていうけど、世間一般で言われている見た目はただ単に「着飾っているだけ」で、本質的な意味での見た目は、「人(他者)の目に映る自分の全ての行動・所作のこと」だとボクは定義する。 それでもボク自身、足りない部分がまだ多いと感じることはたくさんある。 そんなふうに感じられるようになったことは、また一つ大人になれたということなのかもしれない。

 全ては思考にかかっている。

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