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◆今日で4周年だぜ!!

 皆さん、イメージクリエイションラボは5年目に突入致します。これからもよろしくね(・∀・)時に真面目に、時にテキトーにやっていきます。エクセルアートを卒業してからというもの、新しいペイントアプリで画像を作っていますが、オレ様には大抵のものは使いこなせるぜ!!と言いたいところですが、最近はどのアプリもユーザーにマッチした利便性を追求しているものがほとんどで、使いやすいのが前提になっています。

 すんごいマイノリティな方々には超超たくさんのフォトギャラリーをご利用いただいており、すでに7500回を突破しております。もうすぐ1万回のご利用に到達するのではないかというところまできています。

 好きなことができなくなる人生なら生きる価値はないと思いますが、自分が思う好きなこと、自分が思う楽しいことをひたすら探究していきましょうね。

 共通のもので繋がっている人たちと生きていく時代はすでに始まっています。新しい認識へとアップデートしていかなくてはならないことは非常に多いですが、古さにこだわっている場合ではない、それが令和。切って捨てて前に進むくらいないとね。

 強がる必要も、背伸びをする必要も、見栄を張る必要もない。無理をすれば必ずその反動が返ってくるもの。そうではなくて、今の自分が壊れないような環境や行動を選択していきましょうね。

 ひとしきり過去を振り返って思うことはね、自分がいろんな仕事でやってきた自発的な意見の発出や行動は、間違ってはいなかったということ。立場がどうとか組織はこういうものだとかいう考え方はオレには元々ないので、おかしいことはおかしいと言える。立場もへったくれもない。

 もちろん、言えば言ったで波風が立ったり周囲の反応がざわついていたりもするけれども、そんなもん気にしてたら有益であろう仕事なんかずっとできないまま社畜人生で終わる。なるべくそういう働き方は避けてやってきたつもりなのでね。これでよかったんだと思えたことは何より。

 日本には旧態依然とした体制のままの会社がたくさんあって、変えられることも変えようとしない。変えることを拒む風習が根強い会社は今でも多い。この過渡期、私は自分を社会から一旦切り離している。

 全国的にいろんなことが起きているよね。変化を迫られているが故の様々な課題が生じているのも事実で、そのことがまた別の問題へと移り変わっているような現象が一部には垣間見える。

 働く環境としては、たぶん今が一番厳しい時期なんじゃないかね。ワーキングプアも増えているし、失業者はこれから増える。でも悪いことばかりではなくて、こういう変化の中では良い部分も大いに確認できる。焦って行動するほうが良くない。そういう場合は必ず失敗する。

 自分が納得するまで与えられた時間を自由に過ごせばいい。トラブルに巻き込まれる人たちも出てくる。店員と客のトラブルが単なるトラブルではなく、殺傷事件にまで至っているケースもちらほら。

 言わずもがな、今はそういうことが起こりやすくなっている時期でもある。みんなが大変な時に、身勝手な行動をする人間は必ず出てくる。せめて真面目に働いている人の邪魔だけはしてくれるなと思うんだけど、そうもいかないんだよね、きっと。目立つのは50代の男の犯行。年齢は関係ないとは言い切れないんだよね。50代以上ってまだまだ人生長いように言われがちだけど、未来があるわけではないからね。

 オレはね、人生100年時代って世間がどんなに言い続けていても、それを自分の価値観に置き換える理由は一つもないと思っている。

 広島だったかな。老々介護疲れの末に夫が80代の妻を殺害した事件に関する記事を読んだけれども、そうなるまで生きて本当に幸せな人生だったと言って死ねるだろうかと言われれば甚だ疑問でしかない。

 おまけにさ、そういう高齢者層を狙った特殊詐欺は現在進行形で横行している。コンビニ店員が防犯という記事と、被害額数百万・・・という記事とが入り乱れて報道されている。

 あと、ここ最近ずっと公職員の事件事故がすごい数報道誰てるけど、これは何かの策略か?って思ってしまいそうなくらい多い。

 総じて、まともではいられなくなるくらいの社会なんでないかい?無理しても良いことない気がする。ほんでもって、GWに遠出して事故・・・必ず起こるよね、玉突き事故。楽しむためにそういうリスクを取らなければならない理由はない気がするんだけど。子供がいる家庭はそうもいかないのかな?

 ひでー世の中だ・・・と嘆く人も多いだろうけれども、自分も一緒になって嘆く必要はない。人生における絶望や失望を小さいうちに経験している人たちにとってはどうってことないと思う。

 少なくとも、オレが高校卒業するまで、自分の未来はまったく見えなかった。勉強やスポーツに励んで資格も取得して・・・とかいうことを一生懸命頑張ってきた人たちほど、きっと今、想像を絶する苦悩を強いられているのではないかな。

 「そんなことはない」って前向きに言える人でも、内心では「こんなはずじゃなかったんだけどな・・・」って思ってしまうことがあっても不思議はないくらいひでー世の中になってしまっている。

 で、オレはそのことを予見していたわけではないけれども、“何を頑張ればいいかわからない”という状態がずっと続いてきたから、信じられるものもなかったんだよね。早いうちに失望を経験しているから。

 今でこそ、おかしいよね的な議論がいろんな面でされるようになってきているけれども、それらすべては、昔から多くの人たちが感じてきたことだったりする。

 立場至上主義的な思考回路がオレは嫌いでね、社会人のくせにとか男のくせに女のくせにとか、年上のくせに年下のくせにとか、親なのに子どもなのにとか、全部、そういうものがすべて意味不明だと認識していた。反吐が出るんだよ。

 社会が安定していた時の常識は、今となってはほとんど通用しない。多様性がすべてとは言わないけれども、妙な縛りが無駄に多かった。今みたいな社会になることを予見していたわけではないけれども、感情としては“やっぱりな”という思いがする。

 暗記学習意味ないよね、大学行っても価値ないよね、とかいうことが盛んに言われるようになってきた令和時代、やっぱりなと思う。騙された気分になっている人たちもいるだろうけれども、未だに意味ない価値ないって言われて「自分がこれまで信じてきたこと」「今でも自分が信じていること」を否定されたと腹を立てている人たちもいるけれども、目を覚ませって言いたいね。

 ワーキングプア、それでも会社にしがみつくべきだと言う人もいるし・・・。中途半端に仕事を頑張れば頑張るほど、国は失業率や就業率にばかり固執して改善しただの悪化しただの繰り返すだけで、根本的に何も変えられずにいる。労働人口の4割以上が失業したら行政も動かざるを得なくなると思うんだよね。

 あと、起業する人たちをやたらと増やそうとしている社会的な流れ。「オレ社長」を量産するはするけれども、そこに至るまでのコンサル料、起業後のコンサル料を貪り取っている輩がいる反面、大してうまくいかずに借金だけ抱えて倒産するベンチャー企業も実は多い。搾取する者たちほどいい顔をする。

 セミナーにはよく参加するけれども現実何も変化していない人たちもまさにそうで、セミナー参加のための課金を何回しても、儲かるのは主催者だけで参加者が数百人数千人いようと、みんな参加したことそのものに満足して“うまくいきそうな気分”になって錯覚したまま家に帰っていく。

 うまいことやるよなって思うけどね。今このご時世にそういううまそうな話に飛びつくのはカモネギでしかないと思うんだけど、多いんだよなー。楽して稼ごうと考えすぎ。

 マインドセット的な心理カウンセラーも、セラピストとかヒーラーとかも、「自称〇〇」なんていくらでも言えるんだよ。でも、そういう人たちにいくら課金しても実態が即好転することはない。言ってしまえばそういうのって専門知識を持った人たちなのかもしれないけれども、知りたければ本を買って読んだほうがまだいい。言うだけなら受け売りでならいくらでも言えるんだよ。

 自称なんとかの人たちは、そりゃーそういう肩書を名乗るための勉強はしてるんだろうけれども、知識はこの世界に溢れているわけで、知ろうとしない学習しようとしない怠惰な弱者がカモにされるんだよね、結局。すごくひどいこと言ってるけど、あまりにも溢れ返ってるよね。

 みんな、お金を稼ぐのに必死になっている最中、円安は加速していて対米ドル為替相場は1ドル150円になる可能性も出てきている・・・。円安ドル安は最悪のパターンだけど現実味を帯びてきている。そりゃー仕事にも身が入らなくなるよね。

 世の中を他人事に近いレベルで遠くから全体を眺めてみると、3年前とは全く別の社会になっていることがわかる。令和になってから急激に変化している。何に起因してそうなっているのかを一つ一つかいつまんでみると、何もコロナだけでもないしウクライナ情勢だけでもない。

 これまでの30年間で積み重なってきたものが噴出し始めてしまったというのが現実的な見方かな。オレはね、平成で見て見ぬふりしてきた問題が無視できないところまで来てしまった、それが令和時代なんだと思ってるんだ。

 何を頑張ればいいかわからなかった高校時代の自分が今の社会を一望して思うのは、“やっぱりな・・・”だと思う。むしろ、何も信じ込まずにやってきてよかったのかもしれないとさえ思う。

 信じるってすごく無防備で、疑うって身構えている状態だと思うんだよね。精神論的に信じるっていうのだけでは上辺だけな気がするし、信じるのであれば相応の根拠や裏付けが必要だと思う。

 何が正しかったんだろうね?何が間違っていたんだろうね?正しいか間違いかで語れるものなんてたかが知れてる。

 でも、社会がどうあれ、自分を見失うようなことだけは避けなければならない。特にこれからは「今まで当たり前だったいろんなことを必要以上に求めすぎる人」にとっては苦しい時期が始まる。お金さえあれば安心だと言い切れる時代でもない。

 人間、カネを手にすれば使いたくなるし、誇示したくなるもの。そういう人はことごとくターゲットにされると思っていたほうがいい。悟られないように、地味に、質素に暮らすようにしたほうがいい。もう小金持ちのマウントごっこに何の価値もないんだってことを認めたほうがいい。日本人はみんな貧乏になっていくんだから。

 他人基準の思考に支配されていないか、もう一度考え直してみないといけない。自分が信じていることがあるのであれば、どうしてそう信じているのか、誰が言っていたことなのか、本当にそれは信じるに値するものなのか、いちいち疑ってみても良いと思う。

 おかしいことだらけだった社会がおかしいことをおかしいと認めて議論するようになっているということは是正されることが増えていくわけで、これに伴う変化は避けて通れない。変化は万人が納得するわけではない。これからどんどんおかしな意見も飛び交うことになると思うけれども、一先ずいろんな人たちの思考に触れて自分で咀嚼するってことを繰り返すしかない。

 オレのnote5年目は、これまで以上に大変な社会と共に続くことになるだろうと思っている。

 ラグーナテンボスの水上バイク事故は、事故ではなく、業務上過失傷害事件として立件されることになるだろうけれども、つまりこれも良い例だってこと。「ちゃんと免許持っている人たちが演出しているんだ」と思い込んで最前列で楽しんでいたわけで、最悪の事態を想定していれば設営状況がどうであれリスクを疑問視すべきだったとも言える。悪いのは運営会社なんだけどね。社会もそうじゃん。悪い人が悪い。

 でも、後遺症を伴うほどの重傷や死亡なんてことになれば後の祭りで、結局やられ損。どんなに損害賠償請求してカネを得られたとしても元の状態には戻れない。

 楽しい時間が惨事に染まる、そういうこともできることなら避けたいところで張るよね。コロナ自粛は、レジャー関連における潜在的なリスクを忘れさせてしまったのかもしれない。

 ちょっとね、個人的には北海道と岐阜県が交通事故や事件ともに増加しているような印象を受ける。一通り全国各地の情報には目を向けているんだけれども、ここ最近一層悪化してきている。

 イヤでもオレは社会で起きていることに目を向ける。音楽を聴きながら画像編集している間だけは脳内がクリア。一切のノイズなし。そういう時間を如何に手に入れるかが重要だと思う。

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