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人生が階段を登ることだとして。

人生が階段を登ることだとして。

階段を登った先の見晴らしの良い場所で、
いろんな景色を見て綺麗だと感じる。

また次の行きたい場所を、
みた景色から探してみる。

そんな風にできたら最高だけど、
登る最中に迷いや孤独を感じることは
僕にも誰にだってあることだと思う。

悩んで足が止まる。
上に登れない。
ゴールが見えない。

自分が考えていること、悩み、気づき、怒り、自分の中にあるけど、うまく腑に落ちずモヤッとした感じで自分の中にあるもの。たくさんあって全てを明確にしようとするのは、ひとりだと大変だ。

僕がたまにイベントを企画主催するようになったり、いろんな人たちのイベントに参加したり、交遊関係が広がって友達とご飯を食べたり。こうなれたのは自分を引っ張ってくれた人たちがいたからで、それは自分の中に明確に2人いる。引っ張ってくれたから、自分で階段を少しずつ上がっていくことができたんだ。進んだ先には、その2人以外にも、たくさんの素敵な人たちがいた。たくさん出会いがあった。

階段を登っていけたのは、自分のモヤッとした思いを明確にして、前に進む意思を芽生えさせてくれた他者の存在があったからだ。

階段は一本道じゃないと思う。「こんな道もあるんだよ」っていうのは、周りの人たちが行動で見せてくれる。階段を登っているのは自分だけじゃないんだ。ゴールも、道も、登り方だって、いっぱいある。きっとそうだ。

歩き方や歩くペースに正解はない。遅くたっていいはずなんだ。階段の上の方で楽しそうにしているキラキラしたかんじが眩しすぎて、気持ちが沈んでしまったら、それは見なくてもいいんだ。

階段を登り続けることだけが正解じゃない。無理して登って転んでしまって、取り替えしのつかないことになってしまうこともあるし。おどりばで一息ついたり、休むのも正解なんじゃないか。前に進むのも大事だけど、それだけだと疲れちゃう。居心地が良いと感じる空間に身を置き、時間を過ごすことは、大事だと思う。そして気持ちが落ちついたら、また階段を登り始めていければ良い。

階段を登るのを引きずり下ろそうとしたり、我先に登って早さを競い合うのは、自分は嫌だ。階段に登る人を影でとやかく言う人も嫌だ。上の階段に登りきった人たちが下の人を見下すのも嫌だ。そういう嫌なことからは避けていきたい。

もし自分が大事にしたい人、仲間、友達、恋人が、階段に登っていくことに迷いを感じ、疲れていたのなら、「頑張れ」じゃなくて、「ちょっと気分転換にお茶でもしようよ」って声をかけたい。愚痴があれば聞くよ。僕が助けられたように、モヤッとした思いを整理して前に進む意思を芽生えさせてくれた人のような感じで、そんな感じで僕もありたい。

ひとりで階段を登り続けるんじゃなくて、みんなと登りたい。ひとりじゃ難しい。寂しい。僕に見えていない道があれば、見えていない景色があれば、教えて欲しい。僕はみんなと階段を登っていきたい。

#人生 #とは #階段 #20代の本音


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