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美魔女、ソロ専、追っかけ、覆面、Trackback、デートってどこから

 困惑の、Cooley Gee人柄だだ漏れ日記

◾️「美魔女」と言ってはいけないワケ

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 「おばさん」を自称することにあまり抵抗ないのだが、じぶんよりもかなり年下のひとが自虐や蔑称っぽく使っていると困惑する。

 まだ制服を着用している17歳(高校3年)が、卒業したばかりの18歳とか、成人したての20歳に向かって「じぶんもうババアなんでw」とか言うの、なんともいえない気分になる。

 そのトシでばばあ到達となると、30歳で熟女、40歳で老婆、50歳で妖怪、60歳あたりからもう転生モンスター、70歳で別ゲーム開始してレベル1のふりだしに戻っちゃいそう(死亡確定)だ。実年齢の実態より老けているようにかんじちゃうので、若者が自称するのはマジでやめてほしい。

 ……ただ、

 おばさんを自称してもよさそな年齢については「27歳から」とおもっている。30歳を前にして、なぜか誰もかもっとも「人生の次のステージどうしよう」と悩む頃合いで、急激に見た目も中身も老けだすからだ。ビジュアル的な「化け」をサポートする化粧品や、当然だった「いつもの調子」をフォローするサプリなども微妙に変えたくなってくる時期である。

 26歳までは仕事や恋愛がどれだけつまらなくてもソコにしがみつきがちで、漠然と希望があり、どうにかなると考えている。

 27歳からまわりをみて「じぶんやばくね?」と焦りはじめ、なにかを手放す覚悟ができてくる。っていうか、なにもつかまなかったと自己分析をするひとがドッとふえる。

 28歳までには、「30歳をすぎてもじぶんが納得して歩みたい道」をまず見つけたいとおもいはじめる。歩まなかった道、切り捨てた道を振り返りだす。

 29歳はそれらの構想を回収すべくうごくので、忙しすぎて記憶がなくなる。心身フル稼働でよくもわるくも熟す

 いいかんじで積み重ねができていてなんの後悔もなく、このままいけーっ!となれる幸福なヒトも、このままじゃだめだーっ!ともがきまくっているヒトも、1回「若さ」をだしきってしぼむ。再び輝きだすひとは大勢いるが「おばさん」と自称してもいい程度に貫禄がつく。

 33歳までは他人からいわれたら不機嫌になってもいいとおもうが、37歳になるとふつうに肉体的に老化をかんじるので文句をいえる心境ではなくなってくる。きもちの折り合いがつくのはその先なので、いっぺんそこで凹むことになってもいいよにんげんだもの。としか言いようがない。

 あと、美魔女とか、本気で若ければいわれないフレーズだというのに気づかないとまずい。よろこべるワードではないとおもう。そして、こんなことをはっきりいえるのは、わたしがおばさんだからである。


◾️「ソロ専」という生きかた

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 むかしから、仕事関係のヒト(交流)に対する未練のなさがすさまじい。業種や業界さえ大幅に変わらなければよくて、環境は二の次、三の次。どんなひとがどんなふうにどこまで関わっているのか、ずっと無関心だったのだ。

 他人とのつながりが切れるのが「惜しい」、とおもうようになったのは、単発または短期の派遣仕事・パートタイム・アルバイトで食いつなぐようになってからだ。再会希望の意思を込めて連絡先を交換しておかなければ、ここでぽっくり消え失せてしまう仲なのだなぁ、と。

 とはいえ、今でもプライベートに3人以上で「群れる・つるむ」のが大のニガテで、お昼休憩とか100%ソロで自由行動する。1対1でしゃべるならいいのだけど。その徹底した一匹狼っぷりはまわりも承知済みで、わざわざ大げさに声をかけてくることはない。しれーっといなくなって誘うスキをつくらないから、何かを断るっていう状況さえない。プロのソロプレイヤーだ。

 見方によっては、かわいそうなひと、むずかしいひと、という印象があるかもしれない。ただ、日々の業務の範囲外で「らしくない」ことをして心身を疲弊させるくらいならば(するんだよ)、おもいきってスタイルを貫くほうがいい。みんな大人だし、仕事の合間にはケタケタしゃべりまくってるからとっつきにくさは中和されているはずだ。


◾️誰かをマイペースに追わなくなった日

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 「 blog(note)を一年、毎日更新してもじぶんの人生になんの影響もなかった」「頻度より質なのかもしれない、きょうで連続投稿はやめる」、などとある日 突然いいだして姿をあまりみせなくなった執筆家が、わたしの記憶にはふたりいる。UP待機勢(ファン読者)だったからそれはもう、大層びびった。

 「本人が紙やWebで綴ったもの」経由で誰かをマイペースに追いかける習慣が、むかしはあったのだけど、スッと血の気がひくようにやめてしまった。そのワケが、その出来事だった。

 若かりし頃、365日の発信をわたしもやっていたのでそこに含有される日々の喜怒哀楽っぷりは多少なりともわかるつもりだ。……が、「書いたって、なーんにも起こらねえんだからムダだろ?」という疑問を、それなりの肩書きがある人々から投げつけられるとはおもっちゃいなかったので、一瞬ひるんだ。

 「そんなことねえだろ」とアンサーをするために短文・雑記・落書き上等で記していきたいが、どうなることやら。


◾️覆面の閲覧数より顔見知りの読者

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 「閲覧数を気にしない」というスタンスは誤解されやすい。ないよりはあったほうがいい、モチベーション上がるから。でも、わたしのnoteって仕事でやってるものじゃないから、実はあんまり気にしてない。

 ライターなら、書くことでそのテキストや本人の認知度をあげる努力をするもの、なのだろう。より多く読まれるようシェアを促すし、気持ちが伝わるようツイートやリプライをする。糧になる意見をもらって承認欲求が満ちたり。おもしろいとおもわれることを連続投稿してヒットすれば、仕事につながる可能性も……。

 わたし的には、本気で一緒にウダウダしてくれる顔見知りの読者がほしい。ネットからリアルに飛び出してつきあえるなら、なおよい。それを、「危ない!」と切り捨てられずに済むためのツールとして、Twitterもnoteも運用しているつもり。人と成りをみる場所だ。どんなところに出没するか、興味の矛先はどこにあるかも、そのふたつをみればわかる。

 フォロワーがめちゃくちゃいる人じゃないし、凡打だらけの記事を書くが、「閲覧数を気にしない=向上心ゼロの壁打ち便所の落書きヤツ」と結びつけるのだけはやめてほしい。そこはちがう。やんわりでも、人生を豊かにするためにやっているから。


◾️「話題にされる」のが目標

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 noteには、blog初期・全盛期にあった「トラックバック(TB / Trackback)」と似たような機能がある。

 トラックバックは、じぶんが書いたblog記事と関連性のあるblogを(一方的に)つなげる作用がある。うまく使えば好意的なアクションにつながるが、無差別ランダムで送るときらわれる。

 自筆のnoteで他人のnote(URLリンク)紹介をすると、相手には「あなたの記事が話題になっています」と通知がいく。ピックアップしておいて無関係なことを述べたりしないだろうし、攻撃的な内容でないかぎりイヤな気分にはならないはずだ。noteは「ヘイトを稼いで注目させるタイプ」が少ないようにみえるし。

 ……で、そうやって誰かが気に留めてnoteで「話題」にしてくれることが今のところわたしのnote活動の第一目標になっている。

 ① note公式「お気に入りマガジン」にはいる、② note公式「おすすめ」掲載コンボになる、などで閲覧数がふえるのも魅力ではあるが、個人から話題にされてみたいものだ。知人・身内・同志といえる間柄のひとから話題にされるのもうれしいが、見知らぬnoterさんから「話題」にされるのは、けっこうハードルが高いとおもう。なので、おもわず誰かがネタにしたくなるnote、書けたらいいなあ。


◾️デートはいったいどこからデートか?

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 ライターと名乗るのをやめていたのだけど、「路上観察がスキな」を付けると超私的な視界が加わり、ズバリ職業だけを言い切るおこがましさへのクッション材になった気がする。

 「デートは、いったいどこからデートと呼べるか?」という問いをされたら、わたしは必ず、「ことばの意味を調べると<誰かと待ち合わせてどこかに行くこと>とあるから、その状態にまちがいなければぜんぶデートと呼ぶことにしてる」と答える。あいてが誰であれ、約束をしてどこかに連れ立った時点でほとんどそれにあてはまってしまうのでちょっと乱暴な扱いかもしれないが、少なくとも、ことばの響きに妙な遠慮をしなくて済む

 なんで唐突にそんな話をしたのか?というと、「ライターは、いったいどこからライターと呼ぶか?」という問いも、このザックリ戦法で答えがだせそうだからである。

 これまでの実績、社会での知名度、諸々の技術レベルなど<経験により蓄積されていくもの>についてがんじがらめに考えず、①なにかを書いてどこかヒトの目のつくところで発表していたり、②書いたものに原稿料が発生していたり、③誰かのご指名で書くことを求められたりするのなら、ひとまずライターと名乗ってみてもいいんじゃないか、と、この頃はスッとおもえるようになってきた。

 とはいえ、ライターとだけ書くのは説明不足で緊張する。路上観察がスキな、という事実を入れて、せめて、雰囲気だけでも覚えて帰ってください的なノリでnoteを綴っていく。続けることで、自信と自覚をもてるようになりたい。


 

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