Yuta-amy-guitar

神奈川県横浜市出身 現在、群馬県前橋市、高崎市中心に活動中 アコースティックバンド a…

Yuta-amy-guitar

神奈川県横浜市出身 現在、群馬県前橋市、高崎市中心に活動中 アコースティックバンド amy ギター担当

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something ever after

あれから8年 少しずつ3月11日が近付く テレビやラジオではもうあまり取り上げられなくなった 数年前までは少し寂しいような悲しいような気がしてた 今になって思うと それはそれで良いことなのかもしれない 時々、東北へお手伝いや旅に出掛けると 荒れ果てた海沿いはキレイになって 道路も整備され 明かりの灯るお店も増えてきた いわゆる復興が進んでいる結果だと思う だけど、ゴーストタウンはまだそこにあって 仮設の住宅 放射線の影響で車以外通れない道路 消えることのない原発 自分だけ

    • Good morning Kids

      天気予報と同じように毎日繰り返される感染者数の発表 梅雨明けが遅くなってることすらそんなに気にならなくなってしまって 高度救命救急センターのスタッフも限界を迎え始めています 歯を食いしばって繰り返される毎日をどうにか恐怖とウイルスと闘っています そんな毎日でも今朝の幸せで涙が溢れた出来事を書き残しておきたくて、、 僕の大切な方のお姉さんが二人目のお子さんを妊娠されて 予定日だった昨日を忘れたかのように音沙汰なく お腹の中の、のんびり屋の彼は寝坊をしていた 「ま

      • 誇り

        noteで繋がる事が出来た皆様からの 温かいコメント、本当にありがとうございます 日々の「糧」というのはこう言う事だと人生で初めて知ることが出来た気がします そんな中、以前よりnoteを拝読させて頂いている方の記事で 涙を流しながら読ませて頂いた、嬉しいnoteを、、、 医療従事者の君を誇りに思うよ。ありがとう。|アイム☆ヒア(ゆき坊) #note https://note.com/yoshie1961/n/nc5a15c9ce2a0 本当に言葉がありません ゆ

        • AIRメール

          少しずつ終息に向かっているのか 数ヶ月ぶりにまだ日が残っている時間に仕事を終え帰宅する 医療者としてダイヤモンドプリンセス号に災害救護として乗り込んで 早、数ヶ月 自分の所属する救命救急センターに戻っても 怒涛の毎日で、まともに自宅で休む時間もなかった 時々、医療職と言うだけで差別を受けたり 心無いことを聞かされたりもした 帰宅途中のサイドミラーから見えた夕日を眺めていると 「いつまで頑張ればいいんだ。」 そんなことを無意識に口にしていた 少しだけ心のギ

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        something ever after

          土筆

          やっとnoteを開く時間が出来て 皆様の温かいコメントを読んだ時 自然と涙が流れました 心から感謝申し上げます ありがとうございます 世界中、大変な事態になっています 救命救急センターの看護師として 精一杯、頑張ります 寒い寒い冬を乗り越えて 土筆や筍達が頭を出した 自分の身を守る事は大切な人を守ることになる 人生100年時代 出来なかった花見も 絶対見に行こうって約束したネモフィラも 楽しみにしていたライブハウスも 来ないでと願った卒業式も

          Shimmer

          皆様、大変ご無沙汰しております。 当たり前だった日常があっという間にそうではなくなってしまって とても不安な日々を過ごしているかと思います。 ご無事でしょうか。 私自身、高度救命救急センターで看護師をしております。 世界中で闘っている問題に対してどうにかやっております。 正直、休む間もない毎日で やっと作った時間で近所の桜を見た時の事 「人生100年時代か。そんなに焦らなくても良いのか。今できる事をやるだけ。」 息抜きも早々に僕は家に帰ることにした

          10年目の始まりに ③

          花束のお花を少しずつ砂浜にお供えして 手を合わせて 福島県の海沿いを北へ いわき市を出る手前の砂浜で某全国区の新聞記者の方に声をかけられた 「何方か亡くされたのですが?」 「いいえ、違います。」 「お知り合いの方がいらっしゃるのですか?」 「いいえ、いません。」 「関係ないのにすごいですね。写真を撮って記事にさせてもらえませんか?」 「関係なくないですよね?」 「あ、、、」 「でも、記事にして下さい。」 そんな会話のあとで気不味そうにしている新聞記者の

          10年目の始まりに ③

          10年目の始まりに ②

          さぁ行こうか 「素敵な花束」を助手席に座らせて 海岸を目指す 福島県いわき市の砂浜 車を停め海岸線を眺める 海風が少しだけ強い今日も 波はそれほど高くなくて風の強さとは裏腹に穏やかだった この日くらいは静かにあの日のことを振り返ってみる 雲一つない青空と水平線 潮風が運んでくる香りと音 本当にあんな悲しいことがあったなんて嘘のように 美しい福島県の海 少し粒の大きい砂浜に腰を下ろす10才くらいの女の子とお母さん 海に向かって手を合わせるお母さんの横で

          10年目の始まりに ②

          10年目の始まりに ①

          10年目が始まる 早かったのか長かったのか それは人それぞれで 復興はどうだ 進んだのかまだまだなのか それもそれぞれで やっぱり自分の目で耳で鼻で身体で感じて 現地を知ると言うこと 2020年3月11日 日が昇る前 日中は春の陽気を感じるようになった今でも 吐く息は白くて ポケットに手を突っ込む 自宅の玄関先で深呼吸をする 「誰かがひとりで泣かないように」 あれからのことを考えて少しだけ落ちかけたギアを上げる 群馬県を出発して北関東自動車道を

          10年目の始まりに ①

          Fear

          買い占め 転売 差別 中止 自粛 本当に怖いのは ウイルスじゃない 僕達人間じゃないかな 東日本大震災で僕達は学んだんじゃないのかな

          伊豆旅行

          ご無沙汰しております 職業柄、連日騒がれている問題に対して 慌ただしく全力を注いでおります (私は医療職者です。) 先月末のことになりますが 「季節のモノを感じる」ということを 最近になって楽しく感じられる様になって 暖冬の影響もあって少しずつ暖かくなった2月に 例年より少しだけ早目に叩き起こされた河津桜を観るべく ドライブを兼ねて静岡県伊豆市へ 旅先の記念に御朱印を頂くことが最近のブームになっていて 神社やお寺の厳かな、何となく鳥居を潜ると別世界の様な

          Keeper Of The Flame

          2月の月命日が過ぎて 9回目のあの日が来る 元の東北よりも 元より素敵な東北へ たくさんの人達が願って夢をみる 2万人以上が突然いなくなってしまった東日本大震災 先日、新宿で行われていた石井麻木さんの写真展へ 震災直後からメディアでは発信されない東北の本当の姿を 撮り続けて届けている 「震災の写真で利益は得るなんてあり得ない」 そう言って全国の写真展を無料で自分の力で全国のみんなに届けている あれからの本当の東北の姿を自分の記憶と照らし合わせて振り返る

          Keeper Of The Flame

          3.11からの手紙

          あれから9年が経とうとしている 悲しみで苦しみで溢れたあの日から 少しずつ少しずつ3月11日が近付く 何度も何度も東北へ訪れた ボランティアで泥まみれになった僕の手なんかよりも ずっとずっと温かった被災地のおじいさんの両手 報道やメディアでは教えてくれない東北のことを 知ってしまった責任を どうやって果たすかって そんなのは簡単で 「続ければいい」 ただそれだけだった 少しずつ少しずつだけど進む復興 絶対に諦めない そもそも諦めるってなんだ やる

          3.11からの手紙

          冬のご褒美

          数年前から恒例化した 一年間突っ走った毎日のご褒美に コートともマフラーともそれなりに仲良くなれた冬の寒い時期 Blue Note TOKYOへ足を運ぶ 表参道駅から徒歩数分 数々のお洒落なショーウィンドウを横目に 全員がそんな街並みを当たり前のように闊歩している歩道 いつもより少しだけお洒落をして 少しだけ大人になった気がして 目的地へ向かう 扉を開けるとそこはレジェンドと呼ばれるに相応しい ジャズマン達の無数の写真 部屋の中央にはロビーへ向かう階段

          冬のご褒美

          Legacy

          Those time you get up early and work hard, those time you stay up late and work hard, those time you don’t feel like working, you are too tired, you don’t wanna push through but you do it anyway. That is actually the dream. That’s the dream

          時計台

          早朝 真っ暗な中、群馬県を出発し神奈川県横浜市へ 関越自動車道を南へ向かう途中 東の空から朝日が指してきた 横浜市へ「お出かけ」を目的に行くのはどれくらいだろう 僕は神奈川県横浜市出身です 両親の離婚で群馬県に引き取られ 学生時代は群馬県で過ごし、社会人になり再度横浜市へ そして約3年前に仕事で群馬県に戻ってきた あまり神奈川県横浜市での良い思い出は無いような気がしていて ましてや人生の半分以上過ごした土地に遊びに行くこともなかった 今回、神奈川県へ出掛