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年賀状じまい

今年は大学時代の友達数人に年賀状を出すことをやめた。年賀状だけで繋がっていた人たちだ。
毎年、私が出して、向こうから来るのは3日とか4日とか。
年賀状が来たから出すという義理だけなのはわかっていたが、毎年どうしたものかとそのままにしていた。

今年は、親の喪中欠礼のお知らせがとても多く、そういう歳なのかとなんだか気持ちが暗い方へ引っ張られていたのだ。

このまま惰性で年賀状を送り合っていると、たいして深くない関係の人たちの、病や訃報なども入ってくることを避けたかったのもある。

さらに、ファンではない、名前を聞いたことがあるというだけの芸能人の訃報にも気持ちが塞ぐ。

そういうことから、なるたけ離れたいとも思った。

そんなわけで、いよいよ出したくない気持ちが強くなり、「よし、出さない。それで向こうから来なければ、私は友達と思われていなということだ。」
と決め、出すことをやめた。

思った通り、向こうからは来なかった。これで終われるとホッとした。

向こうは何年も前から、友達と思ってないのに、義理だけで送ってたのかーと悲しくも感じた。

清々した気持ちの一方で、友達と思ってないなら、向こうから、年賀状じまいの連絡を出してもいいのに、そうしないのは、私に気まずさを押し付けている。なんて卑怯なんだ。と八つ当たりのような感情も湧いてきた。

などと様々考えた年明けだ。

年賀状をやり取りする人の少なさと、訃報から遠ざかるのと、どちらが心の負担が少ないのか。
とりあえず、家族は大切にしていこう。

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