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生活と傷の話(1126日記)

 バイトの品出し中、ふいに「自分はもう自殺するしかない」「自殺するしかない」「ごめんなさい」という思考に支配され、どうしようもなく自分の中を循環しながら、わたしは朝食の1杯のコーヒー牛乳になりたかった。白と黒の中間に立って、もっと大丈夫に、もっと生きやすく、もっと曖昧な、楽に呼吸ができる人間になりたかった。

 時々、人類補完計画を実行したかったゲンドウの気持ちがわかる瞬間が来る。わたしたちは1と1だから互いに触れ合える、同様にわたしたちは1と1だから同じ魂を共有することはできないし、絶対に、わかり合えない。
 人を愛するという行為が本当に嫌いです。わたしの未熟ゆえに自他の境目がわからなくて、どこまでも奥へと踏み込んでしまうから。いつの間にかアガペーと似ても似つかない醜い愛情を抱いてしまうから。 校庭の白線みたいに、プラットフォームの黄色い線みたいに、もっと毅然と線引きしてその外側にいたいのに、できない。
 人間のガワが人体である以上人間を越えられないと思っているし、実際そうだろうけれど、わたしの神様って言葉が出るくらいには人を好きになる瞬間がある。 どうしようもなく好きになって、深く傷つく。
大丈夫なんて、全然大丈夫じゃないのに

インナーチャイルドの話
 よくわからない大きな人や同級生が、わたしを怒ったり殴ったり嘲笑ったりしているのをぼんやりと見ていたら、小4で鬱病になったし、離人症を患って自分の腕がぐにゃぐにゃの粘土みたいに見えたりした。いつの間にかインナーチャイルドは死んでいた。 
 最近ようやく自分のインナーチャイルドの存在に気づいて、話しかけている。最初は冷たかった体が段々熱を持ちはじめて、やっと生きている温度に近づいてきた。でも、無数の傷口から血や膿をたれ流しながら「わからない」って部屋の隅に座っている。 ごめんなさい。もっと話を聞いてあげていればよかった。 手を握ると、未だにどこかひんやりとしている。
 休日が怖かったし、リビングはもっと怖かった。そのうち平日も怖くなった。

 "どうしようもなくなった人が最愛の人に救われる作品"が世の中に溢れていることに強い失望を感じていたけれど、結局これが人間の本質なのかもしれない。自分自身を救ってあげられるほど強くはないのだろう。 でも、じゃあ、わたしは    やっぱり自殺しかないのかな、なんて言ったりするけど、それができるほど強くないし、憎みきれない。
  地球全体を覆っている愛という猛毒から逃げたいだけなんです、苦しくなるから、殻に籠っていたいだけ     何も得られないとわかっているから望みたくない、  やっぱりなんて思いたくない、これ以上傷つきたくない    大切なものばかりだから「まあいいか」なんて楽観視もできないし   全部大切だから
救われたい
これ以上は 本当に死んでしまう

 ずっと優しい言葉を使う人になりたかった、その時々や気分次第じゃなく、魂の根底におだやかな海があって、ふと出た言葉が優しくなる人になりたかった。

 少し前のツイートの下書きに「自傷行為とodをやめて、アルコールと煙草に依存している。死にたいけど死ぬのが怖いし、幸せになりたくなった。死は永遠の憧れ」と書いてあって、これも本当だった   刹那的だけど本当だったのに
早く終わってほしい
 生活に近すぎる日記は生々しいから書きたくないのに、ずっと希死念慮が頭にあって おかしくなる
 これごと無かったことになりたいです

隕石が落ちる夜、わたしをここから連れ出してください神様

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