1人乗り/2人乗り

1人乗り

知らない場所のはずなのに、どこか懐かしい気がして立ち止まる。全体的にぼやけた世界、馴染みのコンビニや通ってる学校なんかがぐしゃぐしゃに並んでる。時間の概念のない世界で体感数分間が経ち、夢の中だと気づく。不思議な感覚は処理されてしまい、朝を待つ自分が生まれた。
車のない車道を進む。現実なら五分ほどの距離で、どこか懐かしい背中を見つけた。夢の中だと分かっているから、夢の中だと分かっていたら永遠に覚めないままにしたのにみたいなメンヘラじみた古典的な短歌は詠むことはない。けれど、人の夢はいつか覚めるから儚い。ワガママを言っても嫌な現実にすぐ戻される。悲観的な売れないポエマーみたいだなと自虐しながら、でもだからこそその背中に近づかなければと思う。確実に近づいてるのに中々差が縮まない。ちょっとでも気を緩めたら、すぐに元に戻されてしまうだろう。それでも諦めず、歪に曲がったコンクリートを踏みしめる。あと少し、あとコンビニ一店分。落ち葉一枚分の距離になったからもう離れないように抱きついた。あのときと同じように。運命の狂ったあの日と同じように。

彼も私も息のしにくい、生きにくい環境にうんざりしていた。それぞれの両親は線路までではないけれど、しつこいくらいの交通規制をかけて私たちに旅をさせなかった。きっと私たちは可愛い子ではなかったんだろう。大学に入ると、皆化粧とかお洒落の話ばかりで私は友人とも方向性の違いを感じるようになった。バンドだったら解散寸前レベルだろう違いに堪えながらも、居場所なんてどこにもないと酷く絶望した。そんなときに出会ったのが彼だった。
居場所がないという共通点で繋がった私たちは、すぐに意気投合した。絵に描いたようによく遊び、よく愚痴り、よく体を交えた。ほとんど痛いだけの行為も、彼に喜んでもらえるならと断ることはなかった。もう居場所がないなんて言うことはないと本気で盲信していた。銀杏が猛威を振るうあの日までは。
彼がデートに行こうと言った。消極的故に居場所を失った彼はここまで変われたのかと驚いた。二つ返事で、誘いを受け、いつもよりオシャレにこだわるようにした。今思えば、私も彼の存在で変わっていたんだ。
彼はバイクの後ろに私を乗せる。抱きつくようにして発進を待つとすぐに機体は音をあげる。バイクから見る街はいつもより綺麗に映った。ずっと笑顔だった。急に車が私たち目掛けて進んでくるなんて思いもしなかった。
目が覚めると、病院にいた。彼は即死だったと聞いたときの絶望は私にしか分からないだろう。居眠り運転だったと聞いたときのやるせない怒りも私にしか分からないのと同じように。
こうして、交通遺児のようにまた居場所を失った私は下を向いて日々を過ごすことになった。

彼は抱きつくとやっと私に気づいたようでこちらを振り向いて、笑顔を振り撒いた。私だけに見せる不恰好だけど、明るい笑顔だった。気づいてないだろうダサい服も、風に飛ばされそうな華奢な体も彼そのものだった。彼は何も喋らず、ずっと口を閉じているから私は少し背伸びをしてキスをした。すると彼は、お互いの心音が伝わるくらい強く私を抱きしめた。夢だから心音なんて聞こえるはずもないのに。
もうすぐ夢が終わる。そんな予感が本当だと示すように、世界はよりぼやけていく。何がなんだか分からない世界で私と彼だけが原型を留めている。
元気にしてるよ、なんで先にいっちゃったの?ごめんね、ありがとう、さよなら、また会えるよね?どの言葉も自分の気持ちを表せない。焦りだけが加速する。

はっと、目が開く。いつものベッドの上、彼の形見のヘルメットは私の隣だ。彼の両親からは理不尽に責められ、私の両親は腫れ物扱いをする嫌な現実に戻されてしまった。
あの夢の中で、彼に何か言いたかったけど、言葉がうまく出なかった。

2人乗り

 人間の夢の中では知ってる景色もこんな風にごちゃ混ぜになってしまうのか。懐かしいあの景色をもう一度見ることは敵わないんだと少し残念に思う。でも、ワガママを言っても仕方ない。僕にこんな機会が与えられたこと自体奇跡なんだから。この夢が覚めるまでに早く彼女を見つけなきゃ。久々の自分の体は、あまりに軽くて不健康的だった。自分でもどうしてこんな体で生きていたのか分からないくらいに。でも少なくともその一要因に彼女があるのは分かる。息苦しい世界の酸素のような存在だった彼女。足早にぐにゃりと気持ち悪い感触を足に覚えながら探す。
 僕は所謂「幽霊」になってから時間が経ってしまっているからか、あまり思い出せることはもう少ない。このまま何も思い出せなくなった時に僕は別の世界に移行するらしい。そういうルールらしい。頭にその情報が増えている。

僕が覚えているのは、事故当日とあとは彼女のことだけ。彼女とは、傍から見れば共依存の関係だったんだろう。僕は高校までずっと一人だった。今は面影すら思い浮かばない親からもダメという言葉で厳しく制限されて、自分はダメなまま一生を終えるのだろう、そう考えていた。彼女と同じように。だから、僕らは互いを許し合え、だから僕らはすぐに惹かれあったんだろう。彼女を僕が褒めて、彼女を肯定するようになったように、僕が彼女を褒めることで、僕の存在を肯定していた。
そして、あの日の記憶へとつながるのだ。僕は彼女にプレゼントを渡そうとした。それはとてもささやかだけど、でも彼女に渡したら喜ぶことは間違いないと思ってた。何かは思い出せない。こんなことまで忘れ始めている辺り、そろそろ僕の終わりも近くなってきたみたいだ。彼女のために買ったそれを渡そうと思い、初めてデートに誘った。あまりのぎこちなさに彼女が笑い、それにつられて僕も笑った。付き合い始めるまで意味もなく貯めていた金を全部使ったオンボロな二人乗りバイクに跨る。そして、手招きして彼女も後ろに跨る。彼女の体温に癒されながら、バイクを走らせる。いつもモノトーンだった景色に色が付くほどの認知の変化は実際には起こらないけど、それでも心の中ではそれくらい変わって見えた。彼女と僕の世界にスポットライトが当たっているみたいだ。まさかこれから野次馬によって本当にスポットライトが当たることになるなんて思いはしなかったけど。
死んだ当初、僕は僕のことを見ていた。それだけで僕がもう死んでしまったことを察する。最初は実感がわかなくて段々と悲しくなってきた。でも、死んでしまったこの体には水分がないから涙を流すことはできなかった。彼女がしばらく経ってから起きて、僕の死を知った時の絶望の表情、それを病室の窓の外から眺めている途中で急に僕は世界と断絶された。白い箱の中はいくら進んでも白が続くばかりで終わりも何も見えない。幽霊と生体は干渉し合ってはいけないらしい。僕らは別の世界へと行く存在、ここでの思い出は全て消去しなければならないのに、いつまでも生体と触れ合っていてはその記憶は薄まらない。反対に彼女らはこの世にいる存在、次の世界があると知ってしまったら命を粗末にしてしまうかもしれない。それを防ぐために、僕らのような存在は知れてはいけないのだ。そういうルールだ。頭に刻み込まれている。
だから、彼女に会うことなんてできないはずだった。僕は彼女を急に独りにしてしまったことを悔やみ、時間なんて概念の消えた世界で毎秒彼女との再会だけを祈り続けた。そんなある日、神様の声が聞こえた。世界との繋がりを強制的に断つという条件付きで、彼女に会えるとのことだった。本来、幽霊は徐々に記憶を薄めていくことで、あまり抵抗を覚えずに次の世界へと向かう。生体の時から、忘却のシステムは備わっているから。でも、僕のように忘却に勝るほどの強い執着を持つものはそれができない。永遠に憶え続けてしまうのだ。そういう時は、神様が少し工夫をこらして執着を叶え、その代わり強制的に次の世界へ旅立たせる。そういうルールらしい。実際の世界で会わせるわけにはいかなかったから、彼女の夢の中で会うことになった。神様は夢に干渉しない。この機会が与えられるのは彼女が夢に見るほど僕を忘れていないからだ。それが嬉しくもあり、悲しくもあった。

そして、今に至る。この夢の中で彼女に会えなくても次の世界へと向かわなければならない。そもそもこの機会自体例外的なものなのだから。気持ちだけが前のめりになる。後ろを振り向く時間すら惜しかった。ただただ一直線のレールを走る列車になった気分だった。速く、されど何も見逃さないように。
もう会えないかもしれない、そう思ったときに癒される体温が背中を覆いだした。もう、お迎えが来たのか。一瞬そう思った。けれど、もう一歩を踏み出そうとしたときに重りに引きずられているかのように上手く踏み出せなかった。そこで、気付く。これはバイクに跨がっていた時に何度も感じていた体重だ。バイクを走らせていた時にずっと感じていた体温だ。ゆっくりと振り向くとそこには紛れもない彼女が涙を流していた。それが愛おしくて、僕は思わず笑ってしまう。独りにしちゃってごめんね、今でも大好きだよ、もう僕のことは忘れていいからちゃんと自分の人生を歩んでね、どの言葉を口に出そうとしても出てこなかった。多分、僕が次の世界へ行く存在であることを口外しないようにするためだろう。どうすればいいのか迷う僕に彼女は僕に体重をかけながら背伸びをした。そして、体全体で口づけを交わした。彼女を心から感じられた気がして、思いきり彼女を抱いた。互いの心音が聞こえるくらい。とっくのとうに死んでる僕に心音なんてあるわけもないのに。
もうこの夢は長くない。周りのものはぼやけてしまって彼女と僕だけがそのままの形をしている。二回、体を手で優しく叩かれたから抱きつくのをやめると、彼女は何か言いたそうにしている。その内容が言語化されて彼女にまとわりついている。彼女はそれに気づいていないのか、それとも僕にしか見えていないのか全くそれに注意を向けていない。
ぼくはその言葉一つひとつを見てみる。元気にしてるようなら良かった。これからも僕なしでちゃんと生きていってね。先にいっちゃったのは本当にごめんね、僕ももっと一緒にいたかったよ。君が謝ることなんてなにもないんだよ。僕をこんなに幸せにしてくれたんだから。謝るのは僕の方だけで良いんだよ。こっちこそこんな僕を愛してくれてありがとう。さよなら、次の世界でも一緒になろうね。ねぇ、神様、こんな言葉を伝えるのもダメなんですか? もっと彼女といてはダメですか?

ふと気づくと、白い箱の中にいた。もう夢は終わってしまったみたいだ。不安定な僕ももう終わってしまうみたいだ。それを示すように意識がぼんやりとしてくる。最期に思い浮かんだ言葉は柄にもなく

愛してるよ

だった。

HELLO WORLD

<終>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?