シヴァの山を眺めながら

山の魔力

 Happy New Year 2107!新しい年が明けました。日本を出発して2週間ちょっと、インドで過ごすお正月。といってもタミルナードゥの聖地はお正月色はほとんどなく、いつもと同じ日常がゆっくり流れてる。
 それでも昨日はこのティルバンナーマライでもカウントダウンパーティがあると知り、友人と共に出かけた。オーストラリア人のDJがなかなか素敵で、結構な数の外国人が集まって来た。思いがけなく、ピースフルで楽しい年明け。でも、聖地だからお酒は売ってない。みんな水のボトルにお酒を入れてこっそり飲んだりして、あくまでつつましいのだ。

 ここでの生活も少しづつ落ち着いてリズムが出来て来た。4度目だから町の事情もなんとなく分かって、友人もできた。
 アルナーチャラ山の麓に広がる町、ティルバンナーマライは古くから南インドの聖地として、巡礼者を集めてきた。
 曰く、カイラス山はシヴァ神の住むところだが、アルナーチャラはシヴァ神そのものだという。ここには山を囲むように数多くのリンガムを祀る寺院があるが、特にシヴァ神を祀る大寺院はとても有名で、寺院の周りにはたくさんの巡礼バスが停まり、インド中から人がやってくる。
 アルナーチャラは山というよりは大きさとしてはむしろ丘で、麓を一周しても3、4時間しかかからない。しかし乾いた大地にすくっと伸びる、均整のとれた美しい形は、まるで自然のピラミッドのようでもあり、宙と交わる巨大なリンガムのようにも感じる。1日に刻々と表情を変え、毎日眺めていても飽きないし、その姿を想いながら瞑想すると、懐の中に深くズシンとエネルギーが入ってくる。
 ここは保守的なタミルナードゥの聖地で、それほど生活しやすい訳じゃない。聖地と言ってもシヴァ神の場所だから、火のエネルギーが強く、カルマとカルマがぶつかって、何かと激しいことが起こりやすいとか。色々物騒な話もあるらしく、日が暮れたら女性一人で歩くのは危ない。なのに妙に惹きつけられ、女性一人で長く滞在している人も多い。不思議な磁場を感じる場所だ。

  
 有名なラマナ・アシュラムはシヴァ大寺院から数キロ離れた場所にある。ほとんどの外国人はこのアシュラム周辺に滞在している。聞けば、ここに外国人が集まりだしたのは、90年代のはじめ、ラマナ・マハリシの弟子の一人だった、プンジャジが海外で有名になり、その師であるラマナ・マハリシが急に注目を集めるようになったという。
 ラマナ・マハリシの元で真我を悟ったプンジャジは、ラクナウやハリドワールでサットサンを続け、そこに多くの外国人たちも集まってきた。彼の元で悟りを得たとされる弟子は多く、ムージやガンガジなどが有名だ。
 その弟子たちが欧米でサットサンやセミナーを開き、今の「アドヴァイダ」「ノン・デュアリティ」のブームの一端を担ってきた。そういうわけで、ここは古い聖地であると同時に今のスピリチュアル・ティーチングの流れの核となる場所でもあり、様々な人々が様々な関わり方で、集まり、滞在している。
 ラマナ・マハリシの熱烈な帰依者、アルナーチャラ山に惹きつけられた人、アドヴァイダの教えも学ぶ為、色んなサットサンに出て内なる探求を深めている人たち...
 とにかく一癖ある人たちが多いので、旅人や長期滞在者と話すのが、私の楽しみの一つでもある。もう何十回も繰り返し訪れ続けている人も少なくない。
 

 「ここが私の探求のラストストップだったの。」10代の頃から禅を学んでいたというドイツ人の女性が言う。「ここにたどり着くまで40年かかったわ。でも遅くはない、マインドを超えたら時間はないことが分かるから。今は時間のない世界とある世界をスイッチを切るように行ったり来たりできるわ。」

 ある日は、20回もこの町を訪れ、世界中の著名なスピリチュアル・ティーチャの写真を撮り続け、その写真集を出版しているフランス人女性に出会った。彼女にあなたにとって一番の先生は誰ですか?と尋ねると「アルナーチャラね。彼は他の教師みたいに言葉は話さない。ノーマインドだから。だから素晴らしいのよ。」
 そこまで彼女たちを駆り立てるものは何なのか?たどり着いた境地はどんなものか、彼女たちのようにきっぱりと言い切れるほど、私はまだ深くは繋がっていない。それが何なのか知りたくて、私もまたこの町に居るのかもしれない。

   ちょうど今、比較的涼しい数ヶ月がこの町のハイシーズン。シーズン中は様々な国からスピリチュアルなティーチャーが集まり、サットサンを開く。長期滞在者が多く、数ヶ月単位で滞在するので、フラットや貸家も、いい物件はこの時期にはみんな満室になっている。私もここに来るのは4度目だが、家探しはいつも難航する。いい物件を探すには自分の足で探すしかないが、この時期はなかなか見つからない。

 実は今回は2ヶ月ほどここに滞在する予定で、のんびり家探しをしようと目論んでいたが、後に説明するが不測の事態が起こって、早めにここを出なければいけなくなってしまった。1ヶ月を切る滞在だと貸し間は貸すのをしぶり、(いい物件なら黙っていても長期滞在者が住んでくれるから)、値引きにも応じてくれない。

 しかし、インドの紙幣問題で今年はいつもより旅行者が少なく、今までなら月貸ししかしてくれないフラットを借りることができた、1日400ルピーで二間の部屋。広いし仕事ができる机を用意してくれるというので借りたが、住んでみると、あちこち水漏れがあったりゴキブリが出たり...しかしまあ、インドの安い貸し間とはこんなものか。


 そうだ、インドで暮らしてみよう

 今回の旅は、今まで住んでいた部屋を引き払い、荷物は一畳のトランクルームに突っ込んでやって来た。まさかこんなに足場の危うい生活を自分が選択することになるとは、去年の今頃には思ってなかった。
 2002年から毎年のようにインドを旅し、2012年から年に数ヶ月ケーララに行くようになった。ここ数年は半分インドに暮らしているようなものだったが、それでもインドにいる時間はオフ、日本に帰ってきたら働くという気分でいた。 
 この4年で自分の生活は激変した。1年の3分の1以上も日本にいないのだから当然パートナーシップは破綻し、2014年に離婚した。様々な変化が津波のようにやってきて、自分の基盤を揺るがしていった。家を出て、次に住む場所に困っていたら、友人が声をかけてくれて、木造の一軒家に友達3人と暮らすことになった。
 インドに通い詰めたおかげで、仕事の縁も途絶えていたので、アルバイトを掛け持ちして食いつないでいた。そんな不安定な状況の中、友人との生活はとても心の支えになってくれた。疲れて帰ってきても話し相手がいる。お茶を飲みながら世間話をしているうちに、長年のパートナーシップが終わってしまった深い喪失感を、少しづつ癒す事ができた。

 その一方で、ヨガの師であるジョシーとの関わりも変化していった。
 それまでずっと私はケーララの村にある先生の実家に住み込んで暮らしながら、ヨガを学んで来たが、突然それが出来なくなってしまったのだ。
 2010年に大きな交通事故似合い、右足と記憶にハンデのあった先生だったが、2年ほど前から、骨折した部分が化膿するようになっていた。私も周囲も医者に行く事を勧めたらが、医者に足を切断されそうになったトラウマからか絶対に医者に行こうとしない。アーユルヴェーダの治療を受けて、なんとか良くなってもまたぶり返してしまう。
 そんなこんなでだましだまししてきた化膿が、去年の夏に悪化して再度手術することになった。化膿の原因は交通事故の手術の際に入れたインプラントだった。日本ではそのまま取り外さなくてもいいらしいのだが、インドでは骨が定着したら取り除く手術をするのが普通らしい。化膿しやすい気候のせいだろうか?ともかくその化膿した足を切り開いて、インプラントを取り除く手術をした。
 その手術おかげで、ジョシーはすっかり老け込んでしまった。不便な村での一人暮らしはもう無理、と家族は判断し、しかし面倒を見られる人がいなかったため、彼は高齢者用の療養施設で暮らすことになった。

 それまでは、右足に不自由はあるものの、複雑骨折したとは信じられないくらい、まだまだ色んなアーサナができた先生であった。しかし、今回の手術はそこに追いうちをかけてしまった。自由に外出もさせてもらえず、まっすぐ身体を伸ばすことも辛そうなジョシーを見るのは本当に忍びなかった。
 そんな先生の状態を見て、私は自分に問いかけた「ヨガって一体何だろう?ヨガのたどり着く先は一体何だろう?」
 もちろん2度も右足の大きな手術をしてそれでもまだ歩けているのは、驚異的ではあった。絶えず相当な痛みがあるはずなのに、愚痴一つこぼさない。ヨガで培った身体能力と精神力がなければ到底耐えられないに違いない。
 しかしそれでも、体にはリミットがあるのだということを、どんなに鍛え上げた美しい体も、必ず失われるのだという現実に、私は直面せざるを得なかった。もしも、ヨガの目的が難易度の高いアーサナを美しく完成させることだとしたら、いつまでも健康で若々しくいることだとしたら、ヨギとしてのジョシーの人生は事故の時に終わっているのだ。けれど、たとえ身体能力が失われても、彼のヨギとしてのスピリットが失われたわけではなかった。彼の身体の奥底に、それは変わらず、むしろより研ぎ澄まされて在り続けていた。
 物事はいつも思い通りに運ぶ訳でもなく、あらゆることには終わりがある。様々な刺激やアクシデントによって、儚く変わり続けるものに完璧や幸せを求めても、必ず失望することになる。ならば本当に大切なのは、決して変わることのない「何か」なのではないか。
 自分の結婚が破綻した喪失感と、ジョシーの健康が失われてゆく喪失感。それが私をさらに一歩、内なる領域、魂の住まう場所、「瞑想」へと深く向かわせるきっかけになったと思う。

 しかし、シンプルにヨガを学びたいという情熱が消えた訳ではなく、一体これから誰にヨガを習ったら良いのか、私は途方に暮れてしまった。色々と考え、自分が彼から学んだことを形にしたいと思い、去年ケーララのアシュラムでティーチャーズ・トレーニングを受けた。そこでの1ヶ月のヨガ生活は、私が足掛け3年かけて、ジョシーに叱られて右往左往しながら、送った村での生活が、凝縮されたものだった。
 アシュラムでお金を払えば、守られた環境で効率良くそれができる、しかし、自分で手探りしながら、じっくり時間をかけて身につけるというチャンスは、誰にでもある訳じゃない。それは本当に大きなギフトだったと実感した。
 でも、その村での生活は、もう送れないのだ。
  
 私の人生は、今や津波の後の更地のようだった。家族もいない、子供もいない、生活資金はアルバイトで賄ってる、もちろん家もない、ヨガを習う先生すらいなくなってしまった!甚だ不安定で足場のないこの状況で、メリットといえば自由なだけ。さて、どうする....?
「じゃあ、自分の一番好きな場所で暮らしてみようよ。」
コツンとそんな考えが、空から頭に降りてきた。どこにも根がないのならば、好きな場所で張ればいいんだ。日本の田舎に行ってもいいし、海外に行ってもいいわけだ。

 今自分が一番暮らしたい場所...もちろんインドだ!

 特に先の展望もなく、甚だしく行き当たりばったりだが、ここまで「自分のもの」と信じていたことを失ってしまったら、大して怖いものはない。
 ただ シンプルなパッションに突き動かされて、私はその突拍子もないアイディアを実行に移そうを決心した。今ならそれができるし、やるなら今このタイミングしかない、という確信があった。

 気がつけば、この数年の村での生活の中で村での不便な生活の中で、私は色々な事を身につけていた。先生から叩き込まれたヨガ的ライフスタイルだけでなく、ローカルバスに乗って買い出しすることも、水シャワーも、紙のないトイレも、冷蔵庫のない生活も、多少の蚊やらアリやらゴキブリも、毎日インド料理しか食べられないこともいつの間にか平気になっていた。
 そして今、どうにか荷物を片付けてここにいる。ケーララには拠点がなくなってしまったので、一年かけてゆっくり気に入った場所に滞在しながら、ハートと直観の声に耳を傾けつつ、自分の拠点を探そうという計画だ。その為にイラストを描けるだけの機材は持って来たし、ちゃんとWifiルーターも買った。今までの情報をできるだけ遮断した、浮世を離れた静かなヨガ生活ではなくて、荷物はいつもの3割増しになったけど。日本にいるのと同じように、自分の近況や作品をシェアしていくのが、今年一年の大きなテーマ。私がインドで吸った空気を、フレッシュなままお伝えできたらいいなと思ってる。

 ということで、新しくはじまる2017年、みなさまよろしくお願いいたします!

 ジョシー先生とのヨガ修行の経緯はブログの「インディアンヨガライフ」に詳しく書いています。どうぞご覧ください!


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若山ゆりこ

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