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インド瞑想を巡る旅 1

この一年の瞑想を巡る旅路をまとめてみました。前の記事とかぶる内容もありますが、主に瞑想がテーマとなります。すこし専門的な話も入ります。

変わり者たちの尾根

 2018年のお正月、ウッタラカンド州のアルモラという場所にいる。ウッタラカンド州はヨガで有名なリシュケシュがあるところ。アルモラはそこから西へ400キロほどの山間部に位置する。ネパール国境からも結構近い。去年のお正月はタミル・ナードゥ州の聖地ティルバンナーマライで迎えた、その時はアルモラなんて場所があることは全く知らなかった。
 しかしこの場所、なかなかに興味深いのだ。アルモラという町は19世紀にイギリス植民地時代に作られた町らしい。山の斜面沿いに家々が並び、小道や坂道が続くマーケットは中東のスークみたいで、いい味わいがある。アルモラからさらに山道を20分ほど昇ると、山の尾根沿いに広がるカサール・デヴィという村がある。そこは60年代から70年代のヒッピーカルチャー全盛の時代に、様々なアーティスト、スピチリュアルな探求者が滞在していた場所として名高く、「Crank's Redge (変わり者の尾根と訳すべきか)」呼ばれている。
 

   一番の有名どころはスワミ・ヴィヴェカナンダ。村の中心であるドゥルガー女神を祀るカサール・デヴィ寺院で瞑想し、その時に高い境地に達したと言われている。
次には「チベット死者の書」を翻訳し欧米に紹介したオランダ人、スニヤータ・ババ、寺院の裏手に家を建てて長く住んでいたという。それからビート・ジェネレーションの詩人であるアレン・ギンスバーグ、作家のティモシー・リアリー、ボブ・ディランなどなどがやって来てここに滞在していったそう。かなりそうそうたるメンツ。
 
 そんな場所の割には全く観光地化されていないし、山の尾根沿いにゲストハウスが点在しているという立地からか、わさわさした感じも一切ない。どちらかというと、かつての栄華はすでに失われ、静かな保養地になっている印象。
 村の両サイドはヒマラヤスギやパインの木が広がる見晴らしの良い山の風景、晴れた日は遠くにヒマラヤの山々が見える。広大に視界の開けた山の上にあるのに、風はあまりなく、しんとした不思議な静けさに満ちている。今はちょうど一年で一番寒い時期だが、ヒーターが一個あればなんとかこと足りるし、真夏でも最高気温は35度くらいまでしか上がらないという。一年を通して温暖で、春や秋には美しい花が咲き乱れるらしい。
 そうした気候条件を生かし、ハーブティーオーガニックのジャム、やはちみつ、化粧品類など、ツーリストに魅力的な地産品なんかもお店に並んでいるし、地元の女性たちによる手つむぎのショールやニット製品も有名。けっこう購買意欲をそそられる。こんな静かで素敵な場所があったなんて!うれしいみっけものをした気分。
 

  そもそもここに来たきっかけは、ここに住むアナディというポーランド人の瞑想の先生に会うためだった。彼は以前アジズ・クリストフという名前で日本に何度か来日し、WSを行なっている。著作も何冊か日本語に翻訳されている。彼のことを知ったのはその著作を読んだのがきっかけ。それは「悟り」という神秘的で、伝統の中で様々な幻想に色どられた、実は不可解な意識の状態を、彼独自の用語でかなりクリアに解説した本だった。決してすごく有名ではないが、一部の瞑想を学ぶ人の中では知られた存在だった。

 ジョシーからヨガを学びはじめた時から、実はもっとそれ以前から、ずっと瞑想に興味があった。本もそれなりに読んできた。でもなかなか瞑想をきちんと学べる場所には出会えなかった。独学で一人座ってみるが、15分もすれば集中力が途切れる、そんな状態が随分長く続いた。ジョシーと出会った時、私は彼から瞑想も学べることを期待していたが、彼は一向にそれを教えてくれなかった。私がお願いしても、いつもまだ準備ができていないとか、瞑想はテクニックじゃないと言われるばかりだった。
 それでもコソコソいろんな本を読んでは勉強し、時間を見つけて毎日座るようにしていた。ヨガを本格的に始めてからは、少しづつ座れる時間は長くなっていった。念願のヴィパッサナーの瞑想コースにも参加した。そんな中でアジズの本にも出会ったのだった。
 かなり深く感銘を受けて、彼がどこで教えているのか調べてみた。アジズは来日してWSを開いていたころ、フーマンというイラン人の先生と一緒にワークを行なっていた。(著作の一部もフーマンとの共著になっている。)しかし、フーマンが不慮の事故で急逝し、その後はアジズもしばらくは教えるのをやめて隠遁生活をしていたようだった。数年前にアナディと名前を変えてインドでリトリートを再び始めた様子だが、しかしアナディになってからの日本語の情報はとても少なかった。
 興味をそそられたが、その時はよく知らない外国人の先生のもとをいきなり訪ねる勇気はまだなく、心の片隅に置かれたままになっていた。

 2015年にジョシーが2度目の足の手術をして、次第にそして加速度的に彼の身体が衰えていくのを目の当たりにしたあたりから、私はアーサナよりも瞑想を学びたいと、より強く思うようになった。
 それまではヨガのプラクティスを続ければしなやかで美しく健康になり、身体と心対する知恵が深まれば、それがコントロールできるようになり、自分が自分自身に対して感じていた居心地の悪さを、不調和を、一気に解決できるのではという夢を持っていた。しかし、その夢は尊敬し私に沢山の身体の知恵を教えてくれた先生自身が、次第にその身体の機能を失うのに直面することで崩れてしまったのだ。
 私はジョシーの身体の状態に絶望し、神様に腹を立てていた。前にも書いたが彼が与えてくれたヨガの夢を彼によって崩されたように感じたからだ。同時に彼の命がどこまで続くのか、それを考えるのも恐ろしかった。多分身体自体はまだしばらく生きながらえることができるだろう、しかし事故の後遺症である記憶障害も年々進行していた。近いうちには、もう私が誰であるかすら分からなくなるかもしれない。
 2011年の震災があったあたりから、私の人生は変容をはじめ、ジョシーと出会ってヨガを始めた頃からは激変の嵐だった。閉ざしていた心の箱がいきなり開いて、色んなものが飛び出して来て、人生を飲み込んでいった。仕事をそっちのけでヨガにのめり込んで、離婚をして、病気まで見つかって、それまであると思ったいたものの大半を失ってしまった。
 それなのに最後の頼みの綱であったヨガの夢すらぶち壊されるとは、人生がすっかり更地になった上に、敬愛する先生の死にも向き合わなければならないなんて、あんまりだ。一体私がどんな悪い事をしたというんだろう?これから私はどこへ行けばいいんだろう?
 この身体とは、心とは、生きるということは、本当の幸せとは何なのか?もっともっと自分という存在の源へと踏み込んでいかなければ、完全に道に迷ってしまいそうだった。

 その想いが私をインドの旅へと突き動かしはじめた。ジョシーの身体が悪くなり、彼の元で長期間ヨガを学ぶことはもはやできないという、現実的な事情もあった。
 旅はまずティルバンナーマライからはじまった。シヴァ神そのものと言われる聖山アルナーチャラと、その山を生涯愛した、聖者ラマナ・マハリシのアシュラムがあるティルバンナーマライ。
 ジョシーはインドの聖者の中でもラマナ・マハリシを敬愛していたし、彼がまだ旅できた頃、2度ほど一緒に訪れたこともある。ケーララから夜行に乗って一晩の距離で、それまであまりひとり旅をしたことがなく、インドの国内移動に慣れていない私でも気軽に行くことができる場所だった。

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