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Small talk

 (2500字くらいあります。たまの投稿なのでお許しください)

 ☆

 なにやら見抜けてしまう。
 それが特技かもしれない。
 わかっている訳じゃなくて、感じる力がなきゃ自分なんざ話にならない者なのって意味。
 ま、思い込みが強いのねなんて思われれば、これまた蛇足の随筆になります。

 泡沫太陽やたぬきちくんは実在しないキャラクターなのだけれど、部分過敏すぎるわりに大体鈍感な点がアポロの性質と似ていたと思う(アポロは実在する)。

 決して無垢ではない故、自らよりも無垢に近い魂に惹かれる。
 ぼくたちは不純を嫌う訳じゃなく、不純なレッテルを貼られたくないから時に俗世と交われず、ここで生きれば生きるほど堕落を受け入れることになりそうで、防衛本能が起動する。

 人間にはそれぞれ天然の光を帯びたカラーがあり、その人の想いが表皮から外界へ発露され受け取られるまでに社会的な不純物が添加されがちだ。
 純粋な言葉の輝度が評価のされ方で高まったり落ちたりもする。
 猜疑心を凝り固めかねない人災に遭うと、自然体では駄目なのかと感じさせられ、その空気ガスに表現の本質まで侵されそうになる。

 社会は他者による承認が必須、その普通が毅然と確立しているので、一度信用をなくした者はよほど賢くなるか幸運に恵まれなきゃ不自由。
 活動方針の自主規制と発想の転換を余儀なくされた人は実際ここにもいる。
 人はみんな弱いものなのに、弱いと分かった途端に相手をまともな人とは見なせず差別し、人権を侵害までしてしまう人もいらっしゃる。

 この現実にどう対抗するか、あるいはいかなる表現をして一時的にしてもここから脱出するか、それが凡才と天才の狭間に埋め込まれた器量を賭けるテーマとなった。

 混乱はけして常態化させられない。
 鮮やかに説明したり面白く演出しなきゃ納得されないのか、とか。たとえ努力しても結局はご立派な方々と平等には信用されないのだ、とか。
 そんな社会とのつながりが思えば思うほど・・・・・・・絶え間ないから、弱者と言われる以前に頑張り切れず虚しさを覚え、インスピレーションが頼りなく鈍麻し、積み重ねてきた何もかもをいっそ後ろ向きに振り込んで楽になってしまいたい気はする。

 だけど、それじゃ世界を操れる確信犯たちのお望み通りかもしれない。もしもぼくが邪悪な王や超マッドカルトのハイパーAIであり自国のエネルギー不足が深刻だったならば、生産性や耐久性の低い民を減らせる罠が作れないか思案するかもしれない。

 現実社会がぼくの元気をドレインするだけならば、これまで通り個人として頑張り続けりゃ何とでもなる。
 大事なのはそこじゃなくて、ぼくたちの読者にぼくたちでさえ落ち込むしかないんだとか、表面的に誤認させちゃったりすることが問題だ。
 草の根的な創作活動のイメージごと冷えてしまい、作品とキャラまで損なわれるなんて非常に好ましくない。

 たとえばSNSの所々には現代人の絶望的な本音が常にマグマの如く溢れ出している。
 なぜそれを伝えたいのかという所が興味深くはあるものの、痛みの共感が勝るので、一般人としては気楽にログインできなくなる。
 大衆を励ますべき文化や交流が、皮肉にも大衆を家畜化する口火にされてしまうのではないか?
 実は誰も信じられないなんて、思えば寂しい気持ちになるじゃないか。
 今の世は闇の仮想真理が色濃くあるようで、人類の一員として辟易する。だから、孤独を愛する自分に納得もするのだろう。

 でも思考は絶えず回転する。ぼくの思う温故知新は何だって。
 平和な時代や名作に香る反骨精神を継ぎたいじゃないか。

 色即是空。
 信じる者はさいわい。
 考えるな感じろ。
 仲間がいるよ。

 弱さを強さに変えられる言葉を覚えておくのって、いいね。

 人を愛することは信じること、それと言うのは、神と人とが、ひいては人と人とが仲良くあり続けるのに欠かせない一つの生きる知恵で考え方だと思える。
 だからぼくはぼくの中に住み着いたイエスや釈迦や素敵に生きたクリエイターを気さくな友と思うのだし、胸に感じる今生の人の友愛も無条件に信じたいのだし、ただ存在することを許されて、眼前の人に可愛がられたいと望む。

 大人なんか大嫌いだ。
 まだそう言われた経験はないものの、言って暴れてみた経験はしっかりあって、これが実に忘れちゃいけない感覚なんだと思っている。
 完璧な大人みたいに賢くなりすぎちゃうと、自分こそつまらない人間に思えてくるんだ。

 もちろん、大人になるのがつまらないだなんて考えている訳でもない。
 素晴らしい大人って、やっぱりかわいい子ども心を持っているんだもの。

 人ってのは、人をないがしろにして平気なほど邪悪なもんじゃないだろう、そんな風に思うと少し楽になる。
 神や王の概念にしても社会では疑いと信頼を繰り返し、これからも補正されることはあるだろう。
 人類文明の進化速度は神がかっている。市民のみならず神に選ばれたような英才たちでさえ時に間違ったことを人に教える。
 誰もが何かしら傷つき敗北をしてるんだってことが、ネガティブな話のようで実は人に大志を与える根拠になる。

 そういう意識の苗が芽生えているから、さすがに単なる永遠の少年であると言い張るのに正気ではいられなくなり、また自分なりのレンズで春夏秋冬を嬉しく感じたくなるのだろう。

 ドリーミングな創作であれ人間の善性は壊されない、世界は変えられるはずなんだ、なんて青い想い付きの表現を求めたくもなる。

 真面目なセリフが似合わなくても、ニヤニヤ笑いながら、オイオイ泣きながら、それがいい。
 自分らしく、それらしく、せめてあなたの命に必要な愛だとか平和だとかをちょっと呼び醒ますほどの者ではありたい。

 ぼくがかわいいアポロくんであろうとするのには理由があるんだ。
 子どもらしい人を見ると人は幸せな気持ちになれるって知ってる。

 ぼくのためじゃなくてもいいし、あなたのためじゃなくてもいい。
 自分こそが悩める神様になったつもりで、次の世界を生きる子どもたちを想えばいいのかもしれない。
 
 願わくば、巡り合えた人たちの情熱が、未来の作品に現れますように。

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