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しゃぼん玉の外側

その人と会ったのは何年ぶりだったのだろう。
私が20代半ばの頃、余命が1か月ほどだと言い渡されたその人。

「ヨシヒロさんが会いたがっている。今会わなかったらもう次はないからね」

と、言われ、名古屋市内の大学病院へ母、姉、兄そして私の4人でその人に会いに行った。私の人生の中でも数えるほどしか会ったことがなく、久しぶりに見たその人の頭は知らない間に白髪になっていて、イメージしていたよりずいぶん小さくなっていた。
口に管が入っていて話すことができないので、書いては消せる子供のおもちゃのホワイトボードを使って会話をした。その手の動き、瞬き、呼吸の全てがスローモーションのようにその人の命はゆっくりと流れていた。薬の影響か常に短い睡眠と緩やかな覚醒を行ったり来たりしていた。まぶたを閉じていく瞬間は、次にはもうそのまぶたは開かないかもしれないという緊張感が私たち家族の間に、言葉にはしないけれどあったように思う。
こんなことを言うと冷酷だときっと思われるだろうけれど、血はつながっているとはいえ、一緒に時間を過ごしたことがほとんどない私はその人の命が消えてゆくことが少しも悲しくはなかった。なので今この瞬間に目の前で死んでしまったら、私はいったいどういう顔をして、どういう態度をとっていいのか分からなかった。今にも消えそうな命の前で私は
「今は死なないで」
と、心の中で思ってなんの感情もないままその人を見ていた。もし目の前で死なれても、悲しんであげられる自信が少しも無かったので、そうなった時に自分の冷酷さを知ることになるのがただ怖かった。
そして私たちが会いに行って何日目だっただろうか、その人が亡くなったことを知らされた。そして私はあの時病室で感じたのと同じ気持ちで結局葬式にも行かなかった。

そんなふうに過ごしてきた私は結婚だとか子供をもつとかいうこととはどこか違う世界にいるようにずっと感じていた。他の誰かがそうしてしあわせになっていくことは素敵な事だとは思うけれど、私にはそれは良くできたテレビドラマを観ているような、そういう世界をしゃぼん玉の中から見ているような感覚でいた。なのでそういうものが自分の現実に近付いてきた時には、ふわりふわりとごまかして逃げてきた。

そして最近になってふと気が付いたのだけれど、いつの頃からか、そのしゃぼん玉が消えていたみたいな感じで、自分はそういうふうには生きてはいないけれど、テレビの中やしゃぼん玉の外側ではなくて同じ世界の中、すぐ隣でそういうしあわせの形があるのだなぁと感じられるようになっていた。
子供が生まれ、家族の中に愛があり、孫が生まれ、また家族という愛が増えてゆく。そういう風景を見ながら、ようやく私の気持ちではなく、あの人、私の父親ヨシヒロさんの気持ちを想像してみる事が、ずいぶん時間がかかったけれども、今やっとそこまでたどり着いたような気がしている。

いつか私も死んで、もし天国で会ったなら“あの人”ではなく“お父さん”と、一度くらいは呼んでみようかと思う。


2018.11.14


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