ストブリにおける虚無の救済について
※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※小説STORM BRINGERのネタバレを含みます。
ストブリにおける虚無の救済の形は非常に美しい。
先述の救済の全体構造に照らし合わせて、ストブリにおける虚無の救済を考察してみたいと思う。
まずは救済の構図から。
(用語に?となってる方はお手数ですが『文ストにおける救済の全体構造について』をご参照下さい。)
ストブリのとき、中也はまだ中間属性にいて自分の存在意義を模索していた。一方、ヴェルレエヌと太宰は既に虚無に堕ちている状態だった。
ストブリはヴェルレエヌがこっち(虚無)に来いと言い、太宰がこっち(虚無)に来るなと言い、二人が中也を巡って押し合いへし合いしながら、その中で虚無光属性のアダムが中也を救済し、最終的に中也が虚無を克服する物語。
アダムは究極の虚無光属性だ。彼はただの機械で無意味な存在なんだけれども、彼にとってそれはどうでもよくて、あらゆる瞬間で自分にできる限りのことを尽くし、人と心を通わせようと努力した。それは虚無堕ちした人が目指すべき境地そのもの。
中也の転換点はアダムの死だと思う。自分がどんな存在か、なんのために存在するのか、そんなことはどうだっていい。自分が人間かどうかなんて問題じゃない。それはアダムを見ていれば明らかだった。
『太宰さんからはカミュの匂いがする。』で書いたが、虚無を克服する唯一の方法は虚無を受け入れること。そして中也が虚無を受け入れるきっかけになったのはアダムなんだろう。
これが中也が虚無を受容し、救われた瞬間。
見事なまでに美しい虚無の克服の形。
アダムという虚無光キャラを作り出した朝霧先生が本当にすごい。AIがこれほど美しく虚無を救済する役割を持つなんて、誰が想像できただろうか。
ストブリはとんでもない物語だ。
ちなみに「こっち側に来ないように間接的に手を打つこと」がこの時の太宰にできる最大限の救済だったんだと思う。当時の太宰にはまだ「生きる意味とか自分が何者かなんて重要じゃない」ということは言えない。だって太宰自身がそれで苦しんで答えを出せなかったんだから。
だから中也をどうしたら救えるのか太宰もわからなくて、あんまり自信もなくて、だから少し中也に対する距離感みたいなのがあったような感じがする。その辺の描写も絶妙だった。
そしてこの一連の救済の形が森には全部見えていて、そこに配置している構成要素で事足りると判断した。
とにかくもう森の知略と精神世界の奥行が測り知れなくて恐ろしい。
埋没属性のランボオが懸命にヴェルレエヌを救おうとしたが叶わなかった。最期のやりとりで多少は救われたものの、おそらくヴェルレエヌの救済はまだ完了していない。
彼の虚無を救済できるのはきっと虚無光属性の誰かなのだろう。
いつか太宰と中也で彼を救ってくれたら感無量です。
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