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ドスくんはキリスト?ルシファー?結局どっちなの?(お題箱から)

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
ヤングエース2024年4月号および5月号のネタバレがあります。単行本派の方は閲覧ご注意ください。

超難問!ドスくんってキリストなの?ルシファーなの?結局のところどっちなの選手権~!ぱふぱふ

頂いたお題はこちら:

<お題 その一>
フョードルについて失礼します。
113話でブラムが聖書について触れており、またフョードルの遺言(仮)もキリストが放った言葉ということもあって、文スト世界ではキリスト教(または別名だがそれに等しい宗教)が存在しているのかなと思いました。
それを前提に話を進めていきますが、彼のモチーフや思想は創世神話絡みなのでは?と思います。(勿論史実本人の可能性も高いですが)

個人的にはルシファーが元ネタなのかな〜と考えています。光ドスが天使、いつものドスが悪魔だったらワクワクするな…。ルシファーは創世神話でイブを唆した蛇だという説もありますし。
“あの男”がミカエルモチーフのキャラクターだったら辻褄も合いそうです。全部妄想なのですが……。

ルシファー云々は置いといて、文スト世界のキリスト教(仮)はどのような影響与えているのか気になります。

<お題 その二>
ヤンエー2024.5月号の文スト、ただでさえキリスト教っぽい感じだったのに露骨にキリスト教来たな……ってなってます。
明らかにキリストとロンギヌスですよね……
脇腹にぶっ刺した時の血が目に……ってのは。


お題を頂きありがとうございました!本誌で答えが出てしまう前に回答しておきたかったドスくんのお題。

ドスくん、どう見ても悪魔なのに聖人のふりをやたらとしてきますね最近ね。
キリストのごっこ遊びをしているのには一体どんな意味が…?と気になると思いますので、ドスくんって本当にキリストなのかどうかをこの考察では解き明かしていきたいと思います!

■ロンギヌスの槍

ヘリの中でも槍のようなもので刺されて大出血していましたが、114話で再び槍によって刺され、死んでいく姿を拝む機会に恵まれました。
お題主様が言っているように、槍で脇腹を刺すのはキリストを意識しているからだと思います。この絵画がわかりやすい。

イエスの脇腹に槍を刺すロンギヌス Fra Angelico(1450)

槍を持っている兵士の名が「ロンギヌス」。そのため、キリストの脇腹を刺した槍は「ロンギヌスの槍」と呼ばれて、キリストの血が付着していることから聖遺物になっています。

槍を刺したときに、キリストの血がロンギヌスの目に跳ね返り、それによって盲目だったロンギヌスは目が見えるようになったと言われています。
本誌114話で傭兵の目に血が跳ね返っているシーンがありましたが、キリストの聖なる血がロンギヌスの目にもたらした奇跡を再現しているかのように見えますね。

■キリストごっこ

キリストのパロディ、略してキリパロは近頃よく目にする光景ですが、ドスくんはこれまでにどんなキリパロをしてきたのかひとまず一覧にしてみました。

アニメ32話で杯に溜まっているドスくんの血が、キリストの血を象徴する葡萄酒のように見えることから、どうやら3期のころから既にキリパロは発動していたようです。

ドスくんはこうして自分がキリストなのだということをやたらと主張してくる。
しかしみなさまはどう思います?
本当にこいつがキリストでいいと思いますか?
これって本物のイエス様に対する冒涜なのでは?

ということで私が今回ひねりだした答えは「ドスくんは偽物のキリストだ」です。そう思う根拠が「ヨハネの黙示録」にありますので、どうかお付き合いください。

■三位一体

皆さまは「三位一体」という言葉をご存知でしょうか?とても重要な概念なのですが、キリスト教では「父・子・聖霊」という三つの位格が合わさったものが神だとされています。
父なる神、子なる神、聖霊なる神。この三つはそれぞれが神でありながら、三つが一つとなって唯一神をかたちづくる。三つの位格の調和によって神の完璧さが保たれています。
それゆえに「3」という数字は神聖な数字だとされています。


では「偽の三位一体」はどうでしょうか。
怪しい方の三位一体なので、普段は見聞きすることがほとんどないはずです。
というのも「偽の三位一体」は「三位一体」のような普遍的な概念ではなく、黙示録に描かれている終末のとき、つまり地上の悪が最高潮に達する頃に現れるもので、予言的な性質を持ったものだからです。

終末のときには「反キリスト」と「偽預言者」が出現するだろうと黙示録に書かれていますが、彼らは本物の「子」と「聖霊」の裏返しの存在であり、本物がやったことのパロディをして人々を騙すのだそうです。
つまり、反キリストはまるでキリストのように復活をするし、偽預言者はまるで聖霊のように偽物の証印を押す。

彼らの背後にいるのは父なるサタンであり「龍」と呼ばれたり「蛇」と呼ばれたりする悪魔。
龍も蛇もサタンも同じ意味であり、同じ存在(堕天使ルシファー)を指しています。

だとするならば、ドスくんって実はこっちの、偽物の、終末のしるしのほうのキリストなのでは…?という可能性が少し出てくると思いませんか。

ということで、偽物たちについてもう少し具体的に検証していきましょう。

■偽の三位一体

偽の三位一体は「反キリスト」「偽預言者」「サタン」で構成されています。

反キリストはあらゆる戦いで勝ち、各国を支配する権利を与えられ、最終的には全世界を一人で統治します。そして剣で刺された後に復活を遂げる。福地を彷彿とさせるような特徴を持っています。

反キリストが現れて復活を遂げた後に、今度は偽預言者が現れます。

偽預言者は、反キリストが本物のキリストだと人々に錯覚させて信仰させるのが役目。
信仰してくれた人には「聖霊の証印」のパロディである「獣の刻印」を押すのだそう。押される場所は「額」か「右手」

そこでDEAD APPLEを思い出してみましょう。
DEAD APPLEで分離した異能には赤い結晶体が埋め込まれていました。その場所はほとんどが額です。夜叉の額に、エリスの額に、国木田の額に結晶体は輝いている。
しかし3人だけ「額以外」の場所に結晶体が埋め込まれていました。

額か右手にある刻印が反キリストの刻印なのだとしたら、首の後ろというヘンテコな場所についている白虎の結晶体だけは、反キリストの刻印ではないということになります。
そして右手に結晶があるのはドスくんだけですから、反キリストの中でも彼が特別な存在である証のようにも見えますね。

澁澤を囲っていたのは特務課であり、彼らは経済活動の許可証となる「異能開業許可証」を発行していることから、特務課からは偽預言者の香りが漂います。
特務課の背後にいるのが、赤い龍であるサタンというのも見逃してはいけません。

文豪ストレイドッグス 45話『君も罪の子、我も罪の子』

反キリストと偽預言者の手綱を裏側で引いているのは父なるサタン。
サタンは終末だけに現れるものではなく、はじまりのときからずっと地上にいてずっと人間を誘惑してきました。そして、サタンははじまりのときからずっと「嘘つき」で「偽り者」であり、隙をついて人の中に入っては、人を操ります。

帝国主義はサタンの支配下にあるものだと言われていて、代表的なローマ帝国もサタンの支配下にあったようです。
113話で「ローマの密偵か」と言われていたドスくんも、このあたりの象徴的な意味合いと無関係ではないと思いますし、そもそもドスくんはサタンの性質に非常に似ていると思います。

これらのことから、個人的には反キリストとは福地であり、偽預言者とは特務課であり、彼らを裏で操っているのがサタンたるドストエフスキーなのではないかと今のところ感じています。この三者で偽の三位一体が完成する。

サタン側もキリストが復活したように復活をするし、キリストがしたことのパロディを連発してあたかも自分がキリストであるかのように人々に思い込ませようとする。そうして信仰の対象を本物のキリストではなく、自分にすりかえていくのがサタンの狙い。偽物の神さえをもでっちあげようとする。
ということで、やっぱりドスくんって偽物のほうなのかも?

■ことばの受肉

少し話は変わりまして。
キリストってそもそも何なのか、というお話です。

神の子や御子と呼ばれているキリストですが、本当の御姿は「ことば」なのだそう。キリストが肉体を纏うことを受肉といいます。

世界のことわりのうち、ことばによって説明されうる論理的な領域を体現している存在、それがキリストの本当の姿。
「神の子」とよばれることが多いせいか神によって生み出されたものという認識をしがちですが、本当は神が世界を創造する前から神とともにあった言葉(ロゴス)です。
神は言葉(ロゴス)によって天地を創造していますから、天地創造は神とキリストの共同作業だったと言えます。

キリストが「ことばの受肉」した存在だとするなら、キリパロのドスくんはどうなるでしょうか?

24巻でドスくんが一芝居打ったときに、さりげなく興味深いことを言っています。奴は「邪悪」という文字が肉体を得たような男。これってつまり、ことばが受肉したような男だということですので、ここで再びキリパロが発動している。

この言葉が万が一真実なのだとしたら、ドスくんの本質はキリストと同じように「ことば」だということもあるのかもしれません。
そして我々が今見せられているものは、受肉の儀式である、という可能性も。

■結論

さて、ここまでドスくんが本物か偽物かを検証してきました。いまのところ、ひとまず偽物側に寄っています。
しかし大事な前提を抜きにしてここまで考えてきました。
それが「異能者とは堕天使であり罪である」という前提です。

咎与うるは神の業でカルマが言った重要な台詞があります。
悪は誰が救うのか

悪人を救える人はいない。悪人を救えるのは、悪よりも暗くおぞましいなにかなのだと。
堕天使として象徴され、罪であり寄生虫だと揶揄させる異能者は、存在そのものの中に根源的な罪を抱えている。
異能力とはいわば異能者たちにとってのある種の原罪のようなものなのかもしれません。意図しないまま背負わされてしまった罪であり、さらには「非異能者になる」という選択肢がない限り、その罪は贖いようのない罪でもある。
そんな異能力者たちのための救世主となるのは、一体誰なのか。

もし神やキリストが罪人である異能者のことを救済せず、彼らを天に連れて行ってくれないのだとしたら。
異能者を天に連れていってくれる人こそが「異能者にとっての真のキリスト」となり、そこに独自の救世主の姿が形成されていくのではないか。そんなキリストにぼくはなりたい、とドスくんは思っていたりするのかもしれませんね。
であるならば、ドスくんとはやはりキリストなのだ、という着地点も真実であるような気がしてしまいます。

あとはみなさまのご判断にお任せしつつ、本誌で解明されていくのを楽しみにしたいと思います!

最後におまけ。
今回考察してて気づいたこと。
ねずみどしって子年って書くから、ねずみって子だよね、それってキリストだよねとか。
御子って数字にすると35だから、5って子だよねとか。
とにかくキリパロが大好きなドスくん、細部へのこだわりが徹底している。

■参考情報

キリスト教の象徴的な意味合いとか、黙示録とか、そういうの興味あるよって方向けに、私がいつもお世話になっているふたつのサイトをご紹介しておきます。
個人的には、創世記1〜3章、ヨハネの黙示録が文ストにおいては割と重要かなと思っています。
キリストの実際の十字架処刑と復活の様子を確認したい方は、新約聖書で福音書と名がついているものの最後の3章くらいを読んでみるとわかると思います。キリストの衣が天衣無縫であることや、死の間際に「自分で自分を救え」と罵倒されたことなども、きっと確認できると思いますよ。
そうしてあなたには織田作が本物のキリストに見えてく~る。きっとそうな~る。


★一つめのお題を頂いた主様へ
ルシファー信者同士ですね!仲間がいて嬉しいです。よろしければドスくんについての過去の考察をご覧頂ければなにか参考になるものがあるかもしれません。
https://note.com/55straydox/m/m016548340508


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