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【本誌114話】resurrectio 感想&考察

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
ヤングエース2024年5月号のネタバレを含みます。


24.04.04感想

ドスくんの化けの皮が!一枚ずつ!剝がされていくー!!!
化け狸のたぬき寝入りも案外あっけなく終わりそうでぽんぽこぽんぽんぽん。

■ドストエフスキー ライジング

【resurrectio】
ラテン語で「復活」の意。
ドスくん、本気で復活する気らしい。

今回は114話前半パートなので、114.5話でresurrectioの続きが見られるはず。ということで次回いよいよ誰かがドスくんの風貌に突然変異して…そうして復活する光景がみられるのかな…?果たして…一体誰が…?

ドラキュラ城で槍刺され死したドスくんは目の前の傭兵に何かの変化をもたらそうとしているわけだけど、異能発動のきっかけが自身の死だとして、異能を発動する対象というのは自身を殺した人に限定されるのだろうか。あるいは異能を発動させる対象は死の間際に近くにいた人だったら誰でもいいのかな。海外勢がドスくんの血を浴びてるのが発動条件では?って考察してるのも面白かった。鏡花ちゃんのパパママみたいよね。

とりあえず太宰には異能は効かないはずなので異能発動のターゲットから外れるのかな?(ドスくんによる身体乗っ取りが異能であれば、という前提付き)
残るターゲットは中也とシグマとゴーゴリ。ゴーゴリは一旦退場した感が若干あるしなあ…中也は荒覇吐いてちょっと危険そうだから対象から外れる気も…とすると?そもそもドスくんの異能が異能者にも発動できる仕様のものなのかは不明。
だけど、モブ警備員はいくらでもいるはずだからね。あらかじめ器として用意しているモブの非異能者がどこかにいる可能性に期待したいが、ドスくんの考える策略なのでおぞましいことしでかしてくるという覚悟も必要ね。シグマがわざわざ椅子に座らされているのはかなり気味が悪いと個人的には感じる。

最近「誰やねん」ってツッコミいれないといけない場面が多い気がするのだけど、最後の死体さん、ほんと誰やねん。ちょっと羂索っぽい感じがしない?脳パカァってした傷跡なのかな?だとしたら、脳の一部の切除みたいなことは異能じゃなくて外科手術によってなされているのかもしれない。
イワンは包帯を巻いていたから外科手術感がもともとあるし、ホーソーンの場合はさ、相互さんの考察の延長線上になっちゃうんだけど、ホーソーンが自分自身の異能で体内の血を操って脳の一部を切除している可能性も考えられるよね。体内の出来事で完結しているから外側の見た目に異変がなくて血もにじんでないという…

■化かし合ってだまし合って

それにしても、触れて殺す異能がすべて捏造だったというのはあまりに大胆不敵。読者も心底すっかり騙されましたわよ。これは気づけない…気づけないよ…色んな前提ぶち壊しすぎてて潔くてもはや気持ちよさすら感じる。なかなかに爽快。そして個人的には結構感動した。

ドスくんが今まで殺した人ってこんな感じですよね。

【異能力者】
・A    →嵌めた
・森    →刺した
・花袋   →撃った
・澁澤   →切った

【非異能力者】
・カルマ       →触れて殺した
・黒の特殊部隊    →触れて殺した
・Aの拠点の人たち  →おそらく触れて殺した
・七號機関の警備員  →おそらく触れて殺した

異能者には最初から異能を使わず、非異能者のことはすべて触れて殺していた。けど触れて殺していたのは太宰たちを騙すための偽りで、本当はホーソーンの緋文字によるものだった、という…
たしかに時系列的にもドスくんが人に触れて殺すシーンが描かれるようになったのはホーソーンを部下に引き入れた後からなんですよね。
伏線の張り方が緻密でお見事すぎる…
そして騙し方がうまい…うまいよ…
すこーーんと底が抜けるような有無を言わさぬ種明かし…圧倒的すぎる…!

だけどここに来てまだ生きて残っている考察もある。ちゃんとあるよ…蜘蛛の糸のようなやつが…色んな考察残しといてよかった。
予防線を多方面に張っておくってほんと大事。心の安定に関わってくるのでほんと大事。「衝撃への備えは万全に!」がこのnoteのモットーです。合言葉は「巨大インパクトに備えよー!!」です。いま決めましたけど、これからずっと使う。

ということで相互さんの考察をご紹介。
みどさんがね、教えてくれたんです。ドスくんって色んな人の身体渡り歩いてるんじゃない?って。当時のツイート貼っときますね。ツリーご覧ください。

こちらの考察記事もとてもよくまとまってるので、ぜひに。

今月の本誌を読むに、これは本当に渡り歩いているパターンかもしれないという気がしてきましたよね。
死ぬことが異能発動の条件というのは比較的クリアになってきたことなのかなと思いますが、異能の中身の方はもう少し攻めてみる余地ありそう。
大枠でいえば、憑依あるいは乗っ取りという感じがしますが、最後に転がっていた死体の顔の縫い目がどうも引っかかる。器に何かの外科手術を施す必要性ってどうして生じるのだろう。異能だけでは完結できない部分があるとか?
基本線でいけば、ドスくんの異能とは「他者を自分そっくりに変身させる異能」ということになるのですが、発動の条件に死以外のなにかの制約もあったりするのだろうか。

DAのことを思い出せば、分離していた異能側のドスくんは画面の端から歩いて出てきたし、分離しても人間側の方はいつものドスくんのままだったので、異能生命体が憑依していない状態でも器はドストエフスキーで居続けられる。だけど死んだら、ドストエフスキーではいられなくなって変身が解ける。ということは憑依しているかどうかは重要じゃないのかも。

異能生命体を伴わない非異能者のドストエフスキーというのが我々が普段目にしていたドストエフスキーということもありえるだろうか。そもそも彼は今までに一度も異能を使ってこなかったので、異能者である必要性がほとんどない。乗り移りの儀式以外では異能生命体は不要の可能性も。だとしたら異能生命体は普段なにして…?という、これまた謎が増える永遠に終わらない迷宮。シグマが交換したのは、異能生命体側の記憶…だよね?それすらも曖昧。

いやはや。ドスくんってほんとになんなのかしら。
そして罪をなくす=異能をなくすのを目的にしているドスくんは、おそらくだが大義が目的なんだよね。偽り、あるいは欺瞞でなければだけど。設立秘話で織田少年が「Vの目的は大義だ」と言っていたので。そしてDAノベライズでは原罪をすすぐことがドスくんの目的のような書き方がされていたので。
その大義のもととなった明確な動機があるのかはわかりませんが、異能が明かされていく過程でそのあたりもちょっとずつわかるようになっていったりするのでしょうかね!

■恍惚の中に

推しが刺され、ピクつきながら死に、遺体が転がり、ありとあらゆる限りを尽くした惨い絵図を見せられ続けているわけですけど、この人とりあえず血流しすぎで少し心が痛んできております。ドスくん...ファイト...
以前にブラムは長年生きてきて孤独で大変だって考察書いたことあるんだけど、ドスくんの心の中ってあんまのぞけなくて、孤独はないにせよ、どんな想いで何百年も生きてるんだろうなあと気にはなる。
自分の異能を使うためには自分を痛めつけなければならないって結構精神的にも負荷が大きいと思うんだけど、もうその辺は色々通り越して快感の領域に到達してるのかな。生まれ変わりの待ちわびていた瞬間のような恍惚感があったりするんだろうか。

死の瞬間を喜んでいるのは太宰と似ているし、死にたくても死ねないところも太宰と似ている。自分の身体が痛めつけられているときに笑みをこぼすところも似ている。似ているが、太宰の苦悩がせいぜい20年近くなのに比べてこの男は何百年もの間、太宰と同じ境地いたと思うとドスくんが抱えているとてつもなく巨大な深淵がとたんに目の前に広がって、足がすくんで全然先に進めない。太宰さん以上に真っ暗闇。それなのに、ときおり鮮烈な光を見つめていることがあるような感じもするドスくん。

友情や愛情をかけらほども持ち合わせずに何百年ものあいだ生きるって人間にできることなんだろうか。そういう相手に誰一人として出会わずに生きるってそんなに簡単じゃないような気がして。すべてを神に捧げていて神以外は無価値だから?人間生活のすべてを凌駕するほどに強い信念で大義を希う気持ちがあるから?

いずれにしてもたったひとりで立ち向かっていくのは社会的な視座から見れば否定すべきことかもしれないけれど、それでも自分の身ひとつであらゆる敵に抗おうとするのはドスくんの強さであり、その裏には辛酸を舐めながら地面を這い続けた種々の苦労があるんじゃないかなあと思ってしまう。

ドスくんの内面なんて、そもそも想像していい部類のものじゃないんだけど、なんか不意に気になってしまった今月の本誌でした。ちょっと距離を置いたところからいじり倒すくらいがちょうどいいね、ドスくんはね。
というか6期アニメ化したらここから入るんでしょ?こいつは誰だ?から入るんでしょ?やばいなあ、そのアニメ。

文スト本誌って最高体験で大好きだけど、心臓発作のリスクといつも隣り合わせ。よく自分に言い聞かせていることだけど、心臓はしっかりいたわっていきましょうね。大事だから、ほんとに。


24.04.09追記

ドスくんってなんなんだろう…という問いを改めて突き付けられた今月の本誌。今までのドスくんの登場シーンの中に、異能についてのなんらかのヒントがこっそり埋まってたりしないだろうか、と気になったのでアニメのドスくん登場シーンを改めて振り返ってみたいと思います。

まずは「咎与うるは神の業」から。

プロの誘拐屋「話すと魂を抜かれるぞ」
エース「魂のない吸血鬼のような」

文豪ストレイドッグス S3 EP29

ドスくんと話せば魂を抜かれるし、そもそもドスくん本体には魂がない。これらの情報をヒントだと考えてみると、他者の魂をその人の身体から抜き去ってしまう異能とか他者の魂を食べて生き延びる異能とかが浮かんできますかね。
エースの言葉を文字通り受け取って「ドスくん自身には魂がない」と仮定するなら、生存のエネルギー源、あるいは異能を使役するエネルギー源がドスくん本体にはない説も考えられるので、他者の魂を奪い変形させて自分の異能の動力源にするようなこともあったりするでしょうか。

では次のヒントへ。同じく「咎与うるは神の業」からです。

「空間と意識を操る能力」
エース「ここはお前の頭の中、そう、異能空間だ」
「意識が異能空間にあるということは現実の肉体は意識がない」

文豪ストレイドッグス S3 EP29

他者の意識を異能空間の中に引きずり込む異能というのが、ドスくんが一番最初に公表した異能であり、後にこれは偽りであることが判明します。
しかし今となっては「本当の異能」と申告していた能力もひっくりかえって偽りとなっているので「空間と意識を操る能力」の真偽は多少曖昧になっているような気も。
「現実の肉体の意識がなくなる」というのは、ある意味では「乗っ取りの準備ができた状態」でもあるように感じられるので、ドスくんの真の異能が他者の意識をどこかに飛ばして肉体を乗っ取る異能なのだとすれば、エースを騙したこの情報の中には一部、真実が紛れていたという考え方もできます。

他者の意識を消してあげるというのはすなわち思考からの解放であり、原罪からの解放に繋がりますし、身体を乗っ取って神の望み通りに動く傀儡に改造してあげれば、その人は過ちを犯さない神に忠実な人間に成り上りますので、そういうのを良かれと思ってやってる節とかもあるんでしょうかね。

その仕組みって天人五衰編でずっと見せつけられてきた福地の発想とも似通っていて、大指令も吸血種化も本人の意識を奪って「指示を出す人=神」の傀儡にすることなので、ドスくんらしさが凝縮された発想であるともいえます。
福地がやると優しい世界になって、ドスくんがやると真っ黒な世界になるという違いはありますけれどもね…福地がドスくんの策略を上書きしていったことが伺えるポイントだなと感じます。
だとすれば、ドスくんは人類軍総帥のポジションを「神の席」だと考えていたりするのかも?

さて、次は盲点となっていた「フィッツジェラルド・ライジング」のアニオリシーンです。

奇跡に群がる罪の獣。
何千年と繰り返された業。
心配いりません、もうじき完成です。

文豪ストレイドッグス S3 EP32

な、なにが完成するのですかい?と気になるこの台詞。背後にはホーソーンの姿があり、この台詞を言いながらドスくんはグラスに血を溜めています。そして直後から共喰いが始まります。

ホーソーンを部下にする前(2期最終話)では爪かじかじしていたドスくんが、爪かじかじを卒業して血ぽたぽたに昇格した記念すべき回なのですけど、台詞も動作もなかなかに意味深。
ホーソーンを引き入れたら血ぽたぽたできるようになったその訳は…やはりドスくんの体内にホーソーンの血を予め仕込んだことを表すものなのでしょうか。
ホーソーンの緋文字は「罪深き者に裁きを下す異能」。「そは邪悪の一切を阻むべし」とホーソーン本人も言っているほどの尊き血が、悪魔の体内を素通りするというのは皮肉すぎますね。
このふたり一応神の下僕仲間ではあるんだけど、もはや神の下僕の定義が広すぎて訳わかりません。

「奇跡に群がる罪の獣」というのは白紙の文学書に群がる異能者のことで、「何千年と繰り返された業」というのはなんだろう、人の罪そのものかな?それらを一掃したいってのがドスくんの動機なんでしょうかね。その点では確かにホーソーンと仲間っちゃ仲間なんだけど、手段がねえ、清き大義を果たすための手段と犠牲がねえ、ドストエフスキー貫いてるよなあああと改めてなってしまうのでした。より良き世界のための悪ってやっぱ神でも裁けないものなのかな??ホーソーンの緋文字的には無実認定だったのかな...?

ところでドスくんの周辺でやたらと「血」が強調されているのにもなにか理由があるんだろうか…キリストの象徴ということ以外なかなか思いつかずにおりますので、なにかピンときたらまたご報告します。

ということで、どんどん面白くなってて、2期3期の伏線も拾いながら進んでて、楽しい楽しい予感に包まれたレスレクティオでござんしたね。今月の残り期間はシグマくんのために祈りを捧げる期間にしていこうと思います。

24.04.11追記

ドスくん情報追記しとく。
DAノベライズがね、やっぱりだいぶ問題作なんだよな…
まだ読んでない人は買って読んでみること本当におすすめしたい。
映画とは違う台詞が結構あるし、小説だからキャラの心情がよくわかるし、象徴的な意味合いの検討という点でもとても参考になる。

ということで!映画とは一味違うノベライズならではの!「罪と罰は仲良しなんだ」シーンをご紹介して考察してみたいと思います。

ドスくん双子説の元凶となっている仲良しシーン、ノベライズではこうなっています。

床に落ちていたリンゴを拾う”彼”の手には、赤い結晶が輝いている。”彼”は、フョードルとおなじ顔をしていた。
リンゴを持つ”彼”と、髑髏を持つフョードル。二人は互いに自分の持つ球体を掲げながら、背中合わせになって囁く。
「ぼくは罪」
「ぼくは罰」
おなじ声を持つ二人の言葉が、ドラコニアの空気を揺るがす。

文豪ストレイドッグス DEAD APPLE

"彼"。
"彼”って誰なの…!
今まではあんまり気にも留めてなかった"彼"という代名詞。"彼"の手には赤い結晶が輝いているので異能側が"彼"ということになるのですが、だとすれば異能側はフョードルじゃないということでしょうか。
フョードルなのは肉体側だけ…?
ならばムルソーで死んだのはフョードルで、"彼"はまだ生きてて、今まさに復活を遂げようとしているのは実はフョードルじゃなくて、"彼"のほうなのかも?でもそれって誰なの?え?誰なの??フョードル以上にヤバい存在の匂いがぷんぷん漂ってきます。
我々が今まで「ドスくんの異能生命体」って呼んでた存在って、もしかしたら"彼"だったのでしょうか…それってなに…?
寒気がするようなホラー仕様になってきたドスくん。
さてさて、我々は一体どこからどこまで騙されているのでしょうか…

つづきはこちらへ

ドスくんに関する考察が全然終わらずこの記事におさまりきらなかったので、続きはこちらをどうぞ。



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