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もう時効なので書くよ #022 大物はやっぱり図太い!? David Foster

 1994年JT(日本たばこ)の音楽イベント『JT Super Producers』が開催される事になった。映えある第一回目のプロデューサーは、このコラムでもおなじみのデビッド・フォスター!

仕事ではあったんですけれど...

 彼は当時アトランティック・レーベル所属だったので我々は「中の人」。”Love Lights The World”というイベント・テーマ曲入りのCD発売などの「仕事」もしてましたが、もうイチ洋楽ファンとしても楽しみで楽しみで。東京公演は武道館。とにかく凄いゲスト陣!Jay Graydon、Color Me Badd、Peabo Bryson、そして…Celine Dion。バックにバンドとオーケストラを配し、指揮とピアノで大活躍のデヴィッド。大盛況のうちにコンサートは終了。スタッフでありながらメチャクチャ楽しませてもらいました…けれど、急にキンチョーしてきました。

キンチョーのわけは!?


 実は、上司から「津森、終演後武道館で関係者打ち上げをやるから、お前司会してくれよ」と仰せつかっていたのです。地下のパーティールームでスタンバイしていると出演者、関係者が集まり始め打ち上げスタート。軽食とドリンクで和やかなムードの中、折々に主催者、来賓を呼び出し挨拶をお願いしていく司会の私。

主役登場

 さぁ、いよいよクライマックス(中締め前)。会場の中ほどにいた主役に私は”David,Do you have a few words?(スピーチをお願いします)”と呼びかけました。そして万雷の拍手に迎えられデビッドが登壇。マイクを持ち開催のお礼などの挨拶をした後、スピーチはシメへ...。
 「本当に素晴らしい企画だと思う!えーっと、もし来年も開催するのなら最適な素晴らしいプロデューサーを知っているよ!」(皆が思った。「誰の名が出るんだろう?」)

翌年のプロデューサーは誰だ?


 少し間を空けて、デビッドはおもむろに言った。「IT’S …ME!」(同時に両手親指で自分を指す)
 全員が引いたのが肉眼で確認出来ました(笑)。因みに翌年第2回目の"プロデューサー"はナラダ・マイケル・ウォルデンでしたね。
 その後デビッドはラスベガスなどアメリカを中心に同様の企画を複数回やっていますので、このアイディアを 気に入った(パ○った?)のは間違いないと思います。

次回 023 吸う、すするが得意だったあの男 DAKOTA MOON はこちら


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