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孤独について考える。

僕は前回こんな文章を書いた。

内容としては簡単にまとめると「写真で僕なりの孤独を表現したい」という内容だったのだが、今回はその「孤独」というものについて自分なりに考えてみたいと思う。

そもそも”孤独”ってなんなのだろうか。

好きな相手も、パートナーもいないと孤独なのだろうか。独りでいることは孤独なのだうろか。じゃあ人と一緒に時間を過ごしているときにさえも感じるあの孤独感のようなものは本当の孤独ではないのだろうか。

僕の考えでは、どれもが孤独であり、どれも孤独でない。

孤独とはどこまでも主観的なもので、そこに社会一般的な定義などという言葉は当てはまらない。僕が孤独であると感じればそれは孤独であり、他人が孤独であると感じればそれもまた孤独なのだと思う。

しかし同時に相対的なものであるとも思う。例えば、私が複数人でご飯を食べていて、ひとりでご飯を食べている人を見れば「あいつは孤独だ」と感じるし、逆に、ひとりで家にいて、家の前から複数人の仲のよい笑い声が聞こえれば「僕は孤独だ」と感じる。

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じゃあ次に、”主観的であり相対的な孤独”をどのようにすれば写真で表現できるのだろうか。

私が「この被写体は寂しい」と感じたものをシャッターでとらえ、現像すればその写真は”寂しい写真”なのだろうか。たとえ被写体が笑顔であったとしても、私が寂しい感情である時に撮る写真は寂しい写真なのだろうか。もしくはその両方か。もしくはどれでもないのだろうか。

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僕はいまだに分からないでいる。”孤独”を写真で表現する方法を。しかし、必ずあるのだ。僕にしかない”孤独”が。僕だけの”孤独”が。

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いつかは必ずこの答えを見つけなければならない。

その答えを見つけた時の僕はどんな世界を見ていて、どんな写真を撮っているのだろう。

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もっともっと”孤独”と向き合う必要がある。

道のりはまだ長そうだ。


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よかったらそんな僕の写真も見ていってください。


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おかげさまでいつも楽しくやらせてもらってます。ありがとうございます! これからもどうぞよろしくお願いします。