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【映画】我々はジョンの人生をもっと真面目に考えるべきだった

 ジョン・ウィック:チャプター2観ました。「想い出の詰まった家をバズーカで爆破されてしまう」とかいうアホみたいなあらすじを聞いて、キャッキャはしゃぎシリーズの今後は痛快エンタメに違いない~と偉そうに予想していた私はそのあまりにもヘビーすぎる展開とジョンのままならない人生に打ちのめされ……死んだ……。我々はジョンの家が爆破されることを笑うべきではなかった。家が爆破されるとはどういうことなのか……それによって、ジョンの人生がどうなるのかをもっと真面目に考えるべきだったのだ。あ、以下ネタバレ注意です。

 貼っておいてなんですけどこの予告編、事態が決定的になった後の映像ももりもり盛り込んでおり、あんまり観ない方がいいんじゃなかろうか。この予告のように本映画は激ヤバぶちギレ殺し屋キアヌの痛快復讐アクションを装っていますが、その実極めてヘビーな内容です。痛快さはむしろ一作目より減じているんじゃないですかね……。本作のジョンは得物をにらみつけ全てを殺しつくす憤怒と憎悪の怪物ではなく、過去のしがらみと人間たちのルールの中で、何とかこうやっていこうと……生活を取り戻そうとあがく一人の人間として描かれています。ジョンは一作目で復讐を終えており、今や自分で選んだ犬を飼う、生きていく人間なのです。「前作のジョンは能動的で本作のジョンは受動的」とは友人の言ですが的確かと。あのキャッチーにも程がある自宅バズーカ爆破も、復讐の動機ではなく、彼の人生を翻弄し、裏世界にひきずり戻す逃れられない過去のしがらみの長い指として機能を果たしています。

 己を再び立たせ日常と生活に帰るために怪物として全てを破壊し尽し精算した一作目。人間としてルールの中で苦闘し続けた二作目。「自分の意思で犬を拾い、飼うこと」。一作目のラストカットで示されたその道をジョンが選ぶということがどういう意味を持つのか。それがどれほど途方もなく困難なことなのか。あのラストカットの「完全さ」「美しさ」は、「完全で」「美しい」という点で所詮、神の視点、視聴者の目線でしかなかったとでも言うのでしょうか。やっていく意思を描くことと、やっていくことを描くことは、大きく異なっている。犬を飼う。生活をする。そのためだけに、イタリアスケコマシ野郎の脳天に弾丸をぶちこみ、世界の全てにファックサインを叩き付けたジョンの姿に……再びに怪物に戻った、怪物に戻るしかなかったジョンの姿に、私は空元気のような虚しいガッツポーズをとり、力なくおろし、「なんでこんなことになっちまったんだ、ジョン……」と呟くしかありませんでした。

 いや、マジでこれ3でどうなるんだよ! 寄るべきなき怪物と化したジョンが歩く災害のように擦り切れて果てるまで人間を殺しまくるのか? あるいは、自分が拾った犬を守るために戦うのか? 新しい家族が虚空からPOPするのか? 確かに、奪われたものを取り戻すために、殺されたものの復讐のために戦い続けたジョンが、最後に「奪われないため」に戦うというのは物語として美しい……。でも物語としても美しくても、それじゃあジョンは死ぬしかないのでは? ジョンに救いは……取り戻すべき生活は最早ないのか? 帰る場所は……ああジョンの家は既にバズーカで爆破されている! 誰だ家がバズーカで爆破されることを笑っていた奴は! 許せねえ!